第四章 四つの顔、四つの幸

(千鶴side)

 朝日が昇っているはずなのに、校舎には夜の名残が張りついていた。窓から差し込む光は灰色に濁り、廊下に響く笑い声は、どこか歪んで聞こえる。


 千鶴は教室の扉をくぐった瞬間、背筋に冷たいものが走るのを感じた。空気が違う――いや、空気までもが笑っているようだった。


「おはよう、千鶴ちゃん。今日も一日、しあわせに過ごしましょうね!」


 担任の先生が、満面の笑みで声をかけてくる。その声の裏に、何かがある。乾いた口調。ぎこちない笑顔。昨日、あれほど大きい警告音が鳴ったのだから、聞こえていないはずがない。


(……演技だ。ぜんぶ)


 千鶴は、静かに席へと歩いた。教室全体が明るさに満ちていた。壁には花柄の装飾。ホワイトボードには「幸福度週間が始まります!」と手書きのメッセージ。

 教壇の隅には、笑顔の似顔絵が並び、窓辺の掲示板には「ハッピーポイント累計ランキング」が誇らしげに掲示されていた。


(……狂ってる)


 誰もが笑っていた。話していた。ポジティブな話題で教室は盛り上がり、その【明るさ】が反対に、千鶴の胃をきりきりと締めつけた。


──昨日、あんな夜を過ごしたのに。


 赤い教室の記憶。警告メッセージ。仮面の鬼。教師たちの沈黙。【あの出来事】がまるで存在しなかったかのように、日常はあっさりと続いていた。


(忘れたんじゃない。……忘れたふりをしてる)


 それは、生き延びるための処世術だ。学園が求める【適応】。沈黙し、笑い、従順にふるまうことが、評価されるこの世界で。


 千鶴は、机の引き出しから懐中時計を取り出し、そっと手のひらで包んだ。止まったままのその針が、今の教室を映す鏡のように思えた。


「ねぇ、昨日……変な音、聞こえなかった?」


 隣の席の女子に、小さく声をかけてみる。彼女はぴくりと肩をすくめ、すぐに笑顔を作った。


「えっ? なにそれ、怖いこと言わないでよ~! 私、ぐっすり寝てたから全然知らない♪」


 明らかに作られた笑顔。目が笑っていない。その声は、心は、震えて、怯えていた。


(やっぱり……みんな、気づいてるんだ)


 だけど、言葉にはできない。誰もがその事実を共有しながら、黙って目を伏せている。


「だよね……ごめん、変なこと言って」


 千鶴は微笑みを返した。演技の微笑み。今のこの学園では、それが唯一の【安全】だった。


(このままじゃ、また誰かが【選ばれる】)


 胸の奥に、じくじくとした不安が膨らんでいく。


「……私たちだけでも、本当のことを見続けなきゃいけない」


 懐中時計の蓋にそっと触れた。冷たい金属の感触が、千鶴にわずかな重みを与える。


 そのとき、教室のスピーカーが鳴った。


《本日より、幸福度週間が本格始動します。全生徒はSNS投稿と表情スキャンの定時実施を忘れずに行ってください》


 教室中がざわめく。だが、すぐにまた【明るい反応】が波のように広がった。


「やった~! これでポイント稼げるじゃん!」


「昨日、めっちゃ笑顔の写真アップしたのに、今日のボーナス対象外だったんだけど~!」


 笑顔の洪水。それは感情ではなく、制度への迎合だった。


(偽りの笑顔。──それが、この学園の【しあわせ】)


 千鶴は静かに視線を前へ向けた。


 その瞬間、教室の窓の外。校庭の向こう側に、誰かの影が立っていた。スーツ姿の大人。教師らしきその人影は、動かずにじっと校舎を見上げている。そしてその背後には、微かに赤い光が、ちら、と揺れていた。


(……あれは、誰?)


 だが、次の瞬間にはもう、その姿は消えていた。


「千鶴?」


 背後から声がかかる。振り返ると、竜二が立っていた。無言で目を合わせた。たった一瞬だが、二人には言葉が不要だった。


 誰かが見ている。いや、試している。この笑顔の檻を、本当に壊せるかどうかを――。


――――――――――

(竜二side)

 放課後の空は晴れていた。よく晴れて、まぶしいほどだった。けれど、竜二にはそれが白々しい光にしか見えなかった。


 彼は校舎裏の芝生に寝転び、手のひらで日差しを遮りながら空を見上げていた。あの日、赤い教室で見た光とは、あまりにも違っていたからだ。


(こんな空の下でも、平気で笑っていられるやつらがいるってのが、信じられねぇ……)


 笑顔の仮面。幸福度。SNS。監視カメラ。生き残るには【明るく】なきゃいけない。けど、それってほんとに……【シアワセ】か?


 目を閉じれば、あの時の景色が脳裏に蘇る。赤い光。誰かのすすり泣き。血のような何かが染み込んだ床。そして、仮面の教師。


──だが。その光景を思い出しても、竜二はもう震えなかった。


(あんな地獄をくぐったのに、まだここにいる。俺は、まだ……生きてる)


 それが、奇跡だと思った。偶然だと思った。けど同時に、それが【希望】だとも思った。


「人はな、たった一つの偶然で生き延びることもあるんやで」


 かつて、姉がそう言っていた。きれいごとでも、信じたかった。予期せぬ光に救われた日があるなら、もう一度くらい、同じことが起きるかもしれない。


 竜二にとっての【シアワセ】は、与えられるものじゃない。たまたま見つけた小さな光。それを握りしめて、生きていく強さこそが、生き残るための力だった。


(俺は、まだ終わっちゃいない。あんなもんに負けたくない)

(あの闇を抜けて、生き残った。なら……)


 そのとき、ふと脳裏によぎったのは、昔の記憶だった。


――――――――――


 まだ竜二が小学生だった頃。夜、雷が鳴るなか、一人で布団をかぶって震えていた。


「竜二~、雷嫌いなんやろ。ほら、来いって」


 半分ふてくされたような口調で、姉が手を伸ばしてくれた。強がりで勝気な性格の姉だったが、弟の竜二には時々、優しかった。


 姉の部屋は雑然としていた。マンガの山と工具、半分壊れかけの目覚まし時計。それでもそこは、竜二にとって不思議と落ち着く場所だった。


「なぁ、お姉……。もし、雷に打たれたらどうなるんだ?」


「んー、真っ黒コゲやな。髪ボーンなって、靴まで飛ぶで」


「こわ……」


「せやけど、竜二は打たれへん。私がいてるから」


 笑いながら言ったその声が、どこか本気だった。そして、姉はポケットから、小さな折り紙を取り出した。


「これ、あげる。うちのお守り。お父んにもらってな。怖い時、これ持っといたら平気やねん」


 竜二は、泣きそうになりながらそれを受け取った。小さな星型の折り紙。少しシワが入っていたけれど、宝物のように思えた。


――――――――――

 それは、ほんの一瞬の記憶。けれど竜二にとっては、生き方を支える光だった。


「偶然でええねん。たった一つでも、救われたら、それでええ」


 彼が【シアワセ】を信じられるようになったのは、あの夜のお守りのせいだった。姉が残した、無造作だけど確かなやさしさ。


――――――――

 竜二はポケットに手を入れ、古びた星型の折り紙をそっと握った。今でも持ち歩いている。色はすっかり褪せ、紙は少し破れていたが、それでも構わなかった。


(あのとき、救われたから今がある)

(だったら、今度は……誰かを、救いたい)


「……ったく、俺は何をセンチになってんだか」


 そう呟いたときだった。足音が近づく。振り返ると、そこに千鶴が立っていた。だが、いつもの無表情ではない。わずかに顔色が硬い。


「竜二……ちょっと、来て。トモヤの様子がおかしい」


「……はぁ?」


 面倒くさそうに立ち上がる竜二。だがその顔は、心配を隠せていなかった。


「どこだよ」


「教室の隅。さっきから、ずっとノートに何か書いてて……」


 千鶴の言葉を最後まで聞く前に、竜二はすでに駆け出していた。偶然で生き延びた命。なら、次は、自分が誰かを救う番だ――。


――――――――――

(トモヤside)

 誰にも気づかれずに過ごせたら、どんなに楽だっただろう。気配を殺して、息を潜めて。そうすれば、鬼もシステムも、気づかないんじゃないか──そんな幻想を、トモヤは何度も抱いた。


 しかし現実は、いつだって声のする方を選別する。泣いた者から、笑わなかった者から、切り捨てられていく。そうして生き残った者たちは、誰よりも上手に【笑える】者ばかりだった。


 ──教室の隅。トモヤは机に突っ伏していた。左手には折り曲げたノート。右手には、芯の減った鉛筆。ただ、何も書けなかった。


(……何が【幸福度】だよ)


 うつむく先には、破られた紙の山。どのページも、言葉にならなかった。いや、書いたはずだった。けれど書いた直後、手が勝手にそれを黒く塗りつぶしていた。

 まるで【見られたくない過去】でもあるかのように。


「……トモヤ」


 ドアの向こうから、千鶴の声がした。竜二もすぐに続く。振り向くのが怖かった。けれど、逃げることはできなかった。


「何やってんだ、お前……顔、真っ青じゃねぇか」


 竜二の言葉は乱暴だったが、声はやさしかった。千鶴は無言のまま、足元に落ちた紙屑を拾い上げる。


「……何も書いてないじゃない。というか、これ、……全部、消してる」


 トモヤは苦笑いを浮かべた。


「違うんだ……書いてた。最初は……日記みたいに、ちょっとずつ、気持ちを残してたつもりだった。でも、あるとき気づいたんだ。これ、誰かに見られるかもしれないって……そしたら、その時点で【幸福度チェック】の対象になるって……」


「……」


「誰にも、見せたくなかった。誰にも知られたくなかった。でも、……自分にも、見られたくなかった。だから……全部、消した」


 トモヤの声は、息を吐くように淡かった。


「……三年前、クラスの子が【転校】させられたとき、俺……正直、ホッとしたんだよ。あの子、ずっと泣いてて、SNSにも【死にたい】とか書いてて、なんか……【面倒くさいな】って、そう思ってた」


「それは──」


「いいんだ。もうわかってる。最低だった。あいつは助けてほしかったのに、俺は……【努力が足りない】って言い放った。そしたら、本当にいなくなったんだ。それが、初めての【赤い教室】だった」


 教室の中に、しんとした空気が落ちる。誰も、何も言わなかった。ただ、トモヤの懺悔が続いた。


「だから俺、必死に【明るく】してた。ポジティブな発言をして、みんなに優しくして、努力してるフリして、笑って……そのたび、幸福度は上がって、【優等生】になった。でもそれって、【人を傷つけても気にしない能力】を数値化されてるだけだったんだよな」


 竜二が、そっと肩に手を置いた。


「わかってんなら、もう十分だろ」


「……え?」


「お前さ、自分をちゃんと【悪かった】って言えるやつだろ。だったらもう、過去の罪は終わりでいいんだよ。そっから何すんのかが、大事なんじゃねぇのか」


 千鶴も、ポケットから何かを取り出して差し出す。折り紙で折られた、小さな鶴。そして、赤と白の飴玉。


「図書館の棚に落ちてたやつ。……【幸せの御守り】」


「竜二がくれた飴もある。笑えない時の保険だって。……私は二本もいらないから、一本はトモヤに」


 トモヤの瞳に、ほんの少しだけ光が戻る。


「……俺、まだ……許されていいのかな」


「私たちの【シアワセ】は、そんな許可制じゃないよ」


 千鶴が笑った。ほんのわずか、けれど確かに、心からの笑顔だった。


「……ありがとう」


 トモヤは、ようやくその言葉を口にした。胸の奥で、止まっていた懐中時計が、静かに音を立てた気がした。


――――――――――

(お松side)

 夜。屋上の扉が、軋んだ音を立てて開く。風が吹き抜ける中、お松は静かにそこに立っていた。手すりにもたれ、遠くの街明かりをぼんやりと眺めている。


 その手には、ひとつの懐中時計。かつて、生徒の笑顔の記録を刻むために配られた、幸福度測定用の試作品だった。いまではただの静かな塊。けれど、お松にはそれがまだ【何かを伝えようとしている】ように感じられた。


 「……昔はね、この学園で、【希望】を教えられると思ってたのよ」


 独り言のように、風へ語りかける。


 「笑いなさい、努力しなさい、前を向きなさい……。それが【シアワセ】だって、心から思ってた。思い込んでた」


 でも、あの子の涙を見たとき。赤い教室に連れて行かれた名もなき生徒たちの空席を見たとき。


 彼女の中で、なにかが壊れた。


 (私は、何を教えていたのか? 彼らに必要だったのは、【笑顔】じゃなく、【声を上げる勇気】だったんじゃないか……?)


 学園は変わった。いや、彼女が【変えてしまった】のかもしれない。あのプロジェクトに協力したのは、理想だった。AIと連携し、幸福を測定し、より良い教育を――。

 けれど、鬼システムはやがて【従順であること】を唯一の幸福と定義した。


 (そして私は、それに気づきながらも、止めなかった……)


 その罪が、お松の背中を沈ませていた。教師であることは、守ること。だが彼女は、【正しさ】を装ったシステムに生徒を差し出し続けていた。


 ポケットから、封筒を取り出す。中には、鬼システムの中枢設計図、幸福度の計算アルゴリズム、そして──生徒たちの【消去ログ】の断片。


(千鶴たちになら、託せる)


 彼らは、自分にないものを持っていた。声をあげる勇気。踏み出す勇気。そして、疑う力。


 ふと、屋上のドアの影が揺れた。赤い光が、一瞬だけ、階段下から漏れる。お松はそれに目を向けることなく、ただ空を見上げた。


「来るのね……そう、思ってた」


 風が冷たい。けれど、それがむしろ心地よかった。


「もう、教師としては失格かもしれない。でも、まだ……【人間】として、生きることはできる」


 彼女は、封筒を胸にしまい、懐中時計を軽く握った。その針が、ほんのわずかに動いたような気がした。


(赤い教室が来るなら、私は【従わない】。従うことが幸福なら、私は【不幸】で構わない)


 そのとき、階段から駆け上がる足音が響く。


「──お松さん!」


 振り向くと、千鶴がいた。トモヤと竜二も後ろにいる。息を切らし、何かを言いたそうに、しかし言葉にならない目で、こちらを見つめていた。


「どうして……こんなところに……!」


 千鶴の問いに、お松は微笑みだけを返す。


「待っていたの。あなたたちが来てくれると、信じてたから」


 そして、封筒を差し出した。


「これを、託すわ。私にできることは、ここまで。この学園を、未来を、……あなたたちの手で【問う】のよ」


 封筒を受け取った千鶴の目が、静かに揺れる。


「先生は……死ぬつもりだったんじゃないよね?」


 お松は少しだけ驚いた顔をして、そして笑った。


「……あなたには、敵わないわね」


 その瞬間、遠くの時計塔が、深夜零時を告げる音を鳴らした。懐中時計が、それに応えるように震え──針が一歩、進んだ。


「……ありがとう、お松さん」


「ありがとう……」


 トモヤの声は小さく、けれど確かに響いていた。


 夜の風が、四人の間を抜けていく。それは、償いでも、別れでもない。新たな【選択】の始まりだった。


――――――――――

 朝の光は、どこか濁っていた。学園の掲示板には、いつもどおりの【笑顔でいよう】ポスター。教室のホワイトボードには、《幸福度週間:頑張ろう!》と、大きく赤文字が書かれている。


 けれど、千鶴の目には、それがもう【ただの飾り】にしか映らなかった。


 手には、お松から託された封筒。中からは、分厚い設計図と、複数のデータチップ、そして手書きのノートが覗いた。


 設計図には、あまりにも単純な【幸福度】の定義が書かれていた。


《従順度》《同調性》《絶望耐性》

《他者に影響を与える危険因子:早期排除》

《トリガー閾値超過→最適化(削除)》



 ノートの表紙には、【幸福定義案(初期草稿)】と、かすれた文字。中をめくると、そこにはまだ理想に満ちた言葉が並んでいた。だが赤い修正線が、それらを一つひとつ否定していた。 


幸福とは、

【他者と比べず、自分なりに前に進める感情】

【失敗や苦しみの中でも、自分を嫌いにならない心】

【声を出せる環境。耳を傾けてもらえる居場所】


(→赤字修正)

→ "比べない”は定量困難/削除

→ “失敗・苦しみ”はネガティブワードのため排除

→ “声・耳”は非効率/従順性に一本化


 今までの情報をまとめると、つまり、「幸せ」とは──【反抗しない】【周囲に逆らわない】【絶望しないフリができる】人間だけが、認められるものだった。


 それが、この学園の幸福。


「ふざけてる……」


 トモヤが言った。握りしめた拳が震えている。


「これのどこが【シアワセ】なんだよ……誰が、こんなもの信じて……!」


 彼は、かつて【努力すれば報われる】と信じていた。でもそれは、システムに従える者だけが救われる構造だった。言い換えれば、【従えない者】への冷たい拒絶でもあった。


「……俺、自分の罪をずっと誤魔化してた。でももう、逃げたくない。俺にとっての【シアワセ】は……誰かを見捨てない自分でいることだ」


 その目には、微かな震えと、確かな光があった。


 竜二が言う。


「なぁ、俺ずっと考えてた。【シアワセ】ってのはさ、偶然に救われることだと思ってた。でもな、偶然だけじゃ足りねぇんだな。救われたなら、今度は誰かを救わな、意味がない」


 それは、彼なりのけじめだった。偶然から得た命で、偶然じゃない【選択】をする。


「……お松さんも、そう思ってたんじゃないかな」

千鶴が、ふたりを見て呟いた。


「選別の基準がどうであれ……あの人は、【手を伸ばし直そう】としてくれた。贖罪じゃなく、希望のために」


 千鶴自身も、これまでずっと揺れていた。あの日失った親友。過去を抱え、問い直せないまま日々を過ごしてきた。でも、赤い教室の真実を知ったいま、もう一度【シアワセ】と向き合う覚悟ができた。

 

「……私たちで、取り戻そう。お松さんが信じた【本当のシアワセ】を」


 千鶴の言葉に、ふたりは頷いた。


 静かに、三人は立ち上がる。封筒を抱え、懐中時計を握りしめる。今、あの【教室】へ戻る時が来た。


 もはや逃げる理由はない。真実を知り、それでも前を向く者たちの選択として――。


――――――――――

 旧校舎の地下、封鎖された赤い教室。かつては恐怖の象徴だったその場所に、千鶴たちは自ら足を踏み入れる。


 教室のドアが、音もなく開く。仄かな赤い光が、彼らを迎える。


 奥にある端末へ、封筒のデータを差し込む。設計図、削除ログ、記録映像。それらすべてが、鬼システムの中枢へ流れ込んでいく。


《ログ認証──三上誠司:確認》

《幸福度設定、修正モードへ移行可能》

《新規定義を入力してください》


 モニターに、新たな幸福度の定義を入力する欄が現れた。


 千鶴は、ためらいなくキーを打つ。


《幸福とは、【他者を思い、自分で選ぶ力】である》

《強制ではなく、自由意志による生の肯定》

《違いを許し、違いを守ること》


 そして、実行ボタンを押した。


《再定義──完了》

《鬼システム:一部機能の再構成へ移行》


 室内の赤い光が、静かに揺れた。まるで、微笑むように。


 千鶴たちは黙って、教室の外へと歩き出した。懐中時計が、その瞬間――ようやく時を刻み始めた。


 カチリ、と静かな音。


 それは、未来へ進む合図だった。


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