第22話「屋上より風は行く」

 生徒会選挙当日の昼休み。

 半分くらいの生徒が体育館に行っているせいで、教室は妙に広く感じた。


「ユウリちゃ~ん、はい、ごはんでちゅよ~☆」


 ティアナがバッグの中から弁当箱を取り出す。

 フタを開けると、冷凍食品のサンプルみたいなおかずが現れた。


「……いらねぇ」


「ふーん。食欲、ないんだ?」


 心配そうな言葉とは裏腹に、ティアナはニヤァっと笑う。

 心の中がすべて見透かされたようで、俺は窓の外へと顔を背けた。


「だよねぇ、心配だもんねぇ☆」


 ティアナはからかうように笑い、足をぷらぷらさせている。

 いつもの調子だ。

 でも、その笑顔の奥に、あの妖艶な魔女のような表情を隠していることを、もう俺は知っていた。

 いつも騒がしいケンゴですら、黙って俺たちのやりとりを見ている。

 喉がつかえたような沈黙の中、教室のドアが静かに開いた。


「お! リュシアちゃん、おかえりぃ!」


 ケンゴの声を聞かなくても、足音だけで分かる。

 わかってしまう自分に、また嫌気がさして、俺は机に突っ伏した。


「ただいま戻りました」


 涼やかな声。

 その声を聞いただけで胸がきゅっとなる。


「もう、生徒会のお手伝いは終わりました」


 その言葉が、俺に向けられているのは明らかだったが、それでも何も言わなかった。

 リュシアの気配が揺れた。


「おい、ユウリ、どうしたよ」


「俺にはかんけぇねぇ」


 そう言ったあと、自分の声が震えているのに気づく。

 情けない、すねたガキそのものだ。


「お似合いだったよ、エリオと」


 それ以上何かを言われる前に、俺は椅子を蹴って教室を飛び出した。

 階段を一気に駆け上がり、屋上の扉を開ける。

 風が吹き抜け、身体が揺れた。

 もう秋だというのに、熱と埃の混じった夏の空気が、胸をざわつかせる。

 俺は、生徒だけが知っているフェンスの破れ目を出て、校舎の縁に腰掛けた。

 リュシアにあんなことを言ったことを、後悔していないと言えば嘘になる。

 でも、本音なんて、言えるわけがない。


「ユウリさん」


 少しだけ、息を切らしたリュシアの声。

 追いかけてきてくれた。

 それだけで、救われた気持ちになる。


「……ごめんなさい。自分でも言いたいことがまだまとまっていなくて……」


 その場でのけぞるようにして、やっと顔を向ける。

 風になびく銀色の髪を片手で整えながら、完璧に美しいリュシアが立っていた。


「……ぜんぶ知ってるんだぜ。遺伝子適合度のことも、交配対象……エリオのことも」


「ティアナから聞いたのですか?」


「あぁ。少なくともあいつは、俺に真実を話してくれた。ウソばっかりのお前と違ってな」


 たぶん、俺の顔は卑屈な笑顔だっただろう。

 それでも、言わずにはいられなかった。

 リュシアは髪を押さえていた手を下ろし、うつむく。


「最初にユウリさんのもとへ来たのは、あなたの遺伝子適合度が非常に高かったのが理由です。……交配対象として、私はあなたのもとに送られました」


「白状したな。だけどな、俺はそんな理由で“交配”なんてしねぇ。無駄足だ。もう……月に帰れよ!」


 屋上の強い風が吹き付ける。

 でももう、俺の心には何も響かない。

 リュシアは少しふらついて、それでも足を踏ん張り、言葉を継いだ。


「ユウリさん。聞いてください」


 リュシアはゆっくりと丁寧に言葉を選び、話を続ける。


「私は……AIが計算した“適合度”なんて、そんなものはどうでもいいと気づいたんです。一緒にごはんを食べたこと。くだらない冗談に笑ったこと。みんなで見た花火。たくさん練習したバンドの演奏。……全部が、私にとって新しくて、大切な時間でした」


 声が震えていた。

 リュシアはそれでも、逃げ出さず、一歩前に出踏み出す。


「ちっぽけな“文化”なんて言葉では説明できない感情が、心の中に生まれていきました。あなたの顔を見るだけで、嬉しくなる。いつまでも声を聞いていたい。ユウリさん。あなたのことを考えて、眠れない日もたくさんありました」


 リュシアは泣きながら微笑む。

 その顔は、やっぱり美しかった。


「私は、自分に“恋”ができるなんて、考えもしませんでした。でも今なら、はっきり言えます……」


 不安を押しとどめるように、リュシアが胸の前でぎゅっと手をにぎる。

 涙のあふれる瞳は、まっすぐ俺を見つめていた。


「ユウリさん。私はあなたに……恋をしています」


 俺はまた言葉を失った。

 頭の中が真っ白で、何も考えられない。


――刹那、突風が吹いた。


 リュシアの制服が風をはらみ、軽い彼女を吹き飛ばす。

 あっという間に、手を伸ばしても届かない空中へ、リュシアは舞った。


「リュシア!」


 反射的に、俺は校舎の縁を蹴る。

 空中でリュシアを抱きしめ、できる限り地面に落ちる衝撃を、自分の身体で受けようと思った。


 いきなりぐんと身体を引っ張り上げられ、目を開く。

 リュシアの腰の装置が、淡く光っていた。

 重力の感覚が消えて、ふわりと浮かんでいる。


「ユウリさん! どうしてこんな危ないことを?! あなたはQ.E.E.T.チート装置も持っていないのに!」


 いろいろな感情が浮かび上がっては消えて行く。


「ごめん」


 俺は結局、それしか言えなかった。


「いえ……私こそ、ごめんなさい」


 リュシアの涙が、重力から解放され、空に昇ってゆく。

 静かに、俺たちは空中を漂いながら、ゆっくりと降りていった。

 地面に足がつく。

 リュシアの装置が明滅し、俺は、自分の体重と、抱きしめた彼女の重みを感じた。


「こぉのおたんこなすッ!」


 ゴツッと言う鈍い音。

 俺は頭に衝撃を受けて吹き飛ぶ。

 拳を握って、顔を真っ赤にしたケンゴが、息を切らして立っていた。


「お前リュシアちゃんに何してんだよ! 最低だぞ!」


「わりぃ……でも普通、平手とかじゃね? グーはないだろ」


 いつもみたいな軽口が、自然に言えた。

 それだけで、ケンゴは何かを察してくれたようだった。


「あ~あ、なぁんだ、元サヤってやつ? ティアナがんばったのになぁ☆」


「ティアナちゃん、おれでよかったら、どう?」


「ケンゴは違う☆」


「即答?!」


 ティアナがどう言うつもりで今回の暴露話をしたのかはわからない。

 それでも、おかげで俺は、リュシアとの新しい一歩を踏み出すことができた。

 今はそれだけでいいと、俺は思った。

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