本名じゃないほうがほぼ本名のマコト
10代の時、バイト先で一緒に働いていたおばちゃんが私に家はドコかと聞くので答えたら、風習について質問をされたことがある。
「ずっと
「私は違いますよ。父の実家が入郷で、今たまたま入郷に住んでます」
「お父さんもしかして名前ふたつある?」
「名前とアダ名とふたつて意味なら、ふたつありますけど」
「違う違う、名前が。」
「ひとつですよ?」
「ウチのダンナも入郷出身なんだけど、入郷の風習でさ…赤ちゃん捨てるて聞いたことない?」
「双子のひとりを一旦捨てるヤツですか?」
「双子は捨てるの?ウチのダンナ双子じゃないけど」
「違うんですか?双子は縁起が悪いとされてた時代があって、便宜上片方を捨てたことにして戸籍からは抜かずに別の家で育てる風習が昔あったのは聞きますけどね。でもすんごい昔ですよ、私の曾祖父くらいの時代じゃないかな~祖母の親の時代まではチラホラあったようなことをウチの父が聞いて知ってて、私の世代でギリ話だけ聞いたことある感じですから、今の小学生はもう知らんでしょ」
「やっぱ入郷て赤ちゃん捨てる風習残ってるんだ…」
「残ってはないですよ、昔の話であったと聞くだけですって。ウチは入郷でも入り口のほうなんで、残ってるとしたらもっと奥じゃないですかね。親戚一同が同じ場所にかたまって住んでるんですよ、入郷て。だから苗字聞けば住所わかるし、住んでる地域で誰ソレさん一族が住んでるね、てなるんですよね。だから捨てるとか拾うとか言ってもほぼ親戚同士でやってることですよ。私も産まれた時は地区全員の人らが集会所に集まってたらい回しに抱っこする謎の儀式が行われた写真とかありますもん。赤ちゃん産まれたら何かやるんですよ、儀式的なコトを入郷は。葬式も一族総出で役割とかも決まってますし、入郷の人間が当たり前にやってて驚かれるコトは結構ありますよ」
「入郷てやっぱそうなんだね。ウチのダンナには名前がふたつあってさ、本名じゃないほうを皆が呼ぶのよ」
入郷出身のダンナさんが「捨てられた儀式」の話を始めたおばちゃんは、私が10代だった30年前に40代くらいの人だったので、現在は70代。
我が父と同年代で「赤ちゃんの時に捨てられた」風習の体験者である。
この年代でこの風習の当事者であることはなかなか最近まで昔の風習が残っていたことを意味する、だって現在の70代は昭和20年代生まれの人たちなんだから。
昭和50年産まれの私で「たらい回しで抱っこされる」くらいの現代的な儀式にブラッシュアップされてるのに、そのたった30年前の戦後間もない貧しい日本で大昔同様「産まれてすぐに捨てられる」のだ。
よっぽどの治安の良さと人間ひとりひとりの精神的安定さの裏付けがないと、もう赤子なんてホイホイ捨ててはいけない時代だっつ~のね。
空襲で焼けた家の代わりにバラックに住み、生きるか死ぬかの状態をさまよって国の監視の目を掻い潜り、闇市で闇米が高値で取り引きされてるってのに…人さらいがいても、おかしかァねぇぞ?
信用できる人間がかたまって住んでる地域で安全に捨てることが出来る宮崎のド田舎だからこそ、この風習が生きていたと言えよう。
ダンナさんの田舎の風習では「赤ちゃんは捨てる」ことになっている。
拾って育てられた子は病気をせずスクスクと育つんだって。
アレだな夜に爪を切ると親の死に目に会えないとか新しい靴は部屋の中で履いてそのまま外へ出ると怪我しないとか買ったばかりの筆は書道の達人に噛んでもらうと習字が上達するとかの類いのまじないみたいなヤツね。
もちろん本当に捨てるわけではなく入郷お得意の「一旦捨てたことにする」だけ。
近所の広場のベンチなんかに置いて行くのだけど、拾うのはご近所の誰か。
たぶん親戚とかが多いんだと思う、同じ地区に住んでいる人たちは苗字が違ってもだいたい遠縁だったりするので身内みたいなもんだから。
ほんで拾った人が、赤ちゃんを数ヶ月~半年ほど育てる。
その時に勝手に赤ちゃんに名前を付けて呼ぶらしい。
産みの親がちゃんと名前を付けているのだけど、その名前は知らされずに拾うので、拾った側で勝手に名前を付けて呼ぶことになっている。
「赤ちゃん拾ったよ~マコトて名前ね」と隣近所に見せびらかして拾った赤ちゃんの子育てがスタート。
「赤ちゃん拾ったらしいよ~見に行ってみようや~」
マコト、客寄せパンダ。
拾って育てた人は親戚かもしくは顔見知りなので、産みの親の元に赤ちゃんが帰ってきた後も当然ご近所づきあいはずっと続く。
戸籍上は「エイジ」であるが、拾われた先で「マコト」と呼ばれていたので、半年後に産みの親の元に帰されてからも拾った親が「マコト」と呼び続ける。
「エイジて誰?あぁ~ハイハイあの時のマコトね~」
ということが度重なり、何かと言えば「エイジ?あぁあの時のマコトか」で育つうち、とうとう産みの親もが通じるほうの「マコト」と呼ぶようになる。
そうこうするうちに「マコト」が幅を利かせ小学校に上がると本名であるエイジの名を語ってもピンと来てもらえず、地元では何でも「マコト」でカタがつくようにまでなる。エイジ本人ですら、マコトのほうがしっくりくるので「マコト」と名乗るクセがつく。こうなると戸籍上エイジであることは産みの親くらいしか知らないが、その産みの親が「マコト」と呼ぶ始末。
最初からエイジはおらず「マコト」が誕生している不思議。
「マコト」として知り合ったおばちゃんは、マコトからプロポーズされた。
婚姻届にサインをする時に、初めて「マコト」の本名を知るのであった「エイジ」めでたしめでたし・・・・・とは、ならない。
「…ねぇ?エイジ?て誰?」
ずっと「マコト」とデートしてきてたのに、急に「エイジ」と結婚することになるなんて。
「でもですね、ダンナさん、エイジのほうが本名なんでしょ?」
「そう」
「マコトのほうがウソなんでしょ?」
「そう」
「付き合ってる時に気付く事とかなかったんですか?」
「付き合ってて正式な書類にフルネームを書くことなんて、ないのよ」
「確かに。」
「だから全然気付かない」
「でも、ちょっと名前書くコトとかはあるでしょ?」
「書くのも『マコト』なのよ」
「え?!ウソのほうを書くんですか?!」
「ウソて言うか…本人にしたら自分の名前は『マコト』みたいよ。婚姻届け見るまでは全部『マコト』でいけたのよ」
マコト本人は自分がエイジであることが「オマケでついてる名前」くらいのミドルネーム感覚だが、婚姻届けにサインするまでおばちゃんは「エイジ」の「エ」の字も知らされることはなかったと言う。
「結婚するまで言わないんですね」
「結婚する時も言わなかったよ本人は。私が書いてる名前が違う?!て聞いたからわかっただけ」
「えー…その場はどうなったんですか?」
「入郷の赤ちゃん捨てる風習の事を聞いて…だから名前がふたつある、て。私は『マコト』のほうが慣れてるからね『マコト』しか知らんのに今更エイジと言われても、とは思ったよ」
「ダンナさんのこと何て呼んでるんですか?」
「マコト」
「・・・・・」
「…ま、こんな反応になるんだけどねこのハナシはいつも。皆もマコトって呼ぶし、私もマコトって呼ぶの。でも戸籍上はエイジだからね、書類とかはエイジになるのよね。でもエイジと呼ぶ人はいないのよ、親もマコトて呼ぶんだから。ほんとに書類の時だけの名前。本名じゃないほうがもう本名になってる」
「それって改名したらいいんじゃないですか?」
「出来る?」
「その理由だと出来るはず…通称名が周りにもそれだけ浸透してたら改名いけると思いますよ。だってもっと出来ない理由でも入郷で改名した爺さんが近所にいましたもん。大正生まれの爺さんでウチのじーちゃんの友人なんですけど、私が中学生の時にじーちゃんが病気で死んだらその後を追って自殺しました。その大正生まれの爺さんが小さい時に父親が改名さしたんですけどね、この名前だと死ぬていう理由ですから。そんな理由で出来たならダンナさんのほうがよっぽど出来ますよ、改名」
昭和初期だから出来たのか、はたまた父が言うように「あっこの人間が本気でゴネたら国を動かすぞ」との武勇伝しかない家系だから出来たのか、ウチの近所には破天荒な理由で改名できた爺さんがいた。
生き方そのものも破天荒で死に様も破天荒だった、コキあんちゃん。
天涯孤独の身で祖父の戦友でアル中だったので、ウチの父親が身元引受人になっていたコキあんちゃんは、
小さい時に大病を患い、そしたら父親が病気は名前のせいだからと役所で変更するよう粘り、そんなことは出来ないと突っぱねられたんだけど「名前変更せんかったらウチの子は死ぬ。そしたらオマエらのせいだ責任取れよ」と因縁をつけ、とうとう変更させた。
のちにコキあんちゃん自身がバイクのナンバープレートの数字の縁起が悪いから変更しろと因縁をつけに行き、見事に変えさせた出来事があって「あっこの人間は父親の代から変人も変人しつけ~しつけぇ」と執念深さが桁違いだと父は面白がっていた。
本気を出せば国を動かせたかもしれない男コキあんちゃんは、お国のために共に戦場へ行った祖父が病死すると、後を追って農薬を飲んだ。
それは唯一の呑み友達で、唯一の生き残った戦友でもあった農夫リザブロと酌み交わした、コキあんちゃんの最後の酒であったと思う。
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