美しい敬意を見せたエロジジィ

高校生の時おそらく私は問題児だった。

学校にはほぼ遅刻し自習になれば学校を堂々と抜け出して海へ行く。

警察にお世話になるような悪事を働くわけでも、不良とツルんでヤンチャを重ねるわけでもないが、教室には居ない。


小6で「高校には行かない」と宣言した私に、父は強制的に高校受験をさせたが「3年で卒業すれば在学中は何をしてもよい」と約束した。

高校を卒業してから高卒のありがたみが理解できて、よくぞ強制的に高校に行かせてくれたと今でこそ父には感謝しているが、当時の私は「未成年は親の保護下にいるという理由だけで意見が尊重されることは無いんだな」と不満タラタラ嫌々で渋々と高校に通っていた。最低限の単位と最低限の出席日数を取る以外では、私には高校の必要性が無い。


幸い商業科だったので資格を取って点数を稼ぐことが出来、毎日通学するのは1年の2学期まで続ければ後は進級に必要な単位と出席日数を足らせれば「最低日数しか学校に行かない」と決めて実行することが出来た。

私は高校をおおいにサボり、個性的な大人たちと出会いまくった。

その多くが、海で出会った大人たちである。


宮崎のド田舎で育ち、高校から自転車で20分行けばもう海。

川を見れば潮の満ち引きがわかり、学校に潮風の匂いが届く。

だから私のサボり場所は、おおかた海。

制服のまま泳ぎ、足洗い場の蛇口を上に向けて真水を頭からかぶり、ベンチで寝ていれば制服が乾く。

暑くなったらまた泳ぎ、真水を浴びてベンチで寝る、その繰り返し。


制服のまま海に入って行くので犬の散歩中の人に自殺と間違えられて「姉ちゃ~ん!戻って来んね~!」と叫ばれ「泳ぐだけですが~!」というやり取りを、何回やったことだろう。飢えてるわけじゃないのに食べ物をもらったこともある。

バブルの残りカス時代に日本一バブルとは無縁の「爆裂に自然と戯れた女子高生」だったと自負している。


日本語がほとんどしゃべれない外国人に海に潜って手掴みしたウニを渡してジェスチャーで「食べ物」と伝えたり、自動販売機にジュースの補充に来たコカコーラの兄ちゃんからヘコんだぬるい缶ジュースをタダでもらったりもした。

真昼間にライトを付けて走っているカブの爺さんに「ライト点けっぱなしになってる」と声を掛けると「このライトは消えん、そういうモンじゃ」と教えられ「カブてそんな仕組み?ライト無駄じゃん」と感想を述べたら「バイクちゅう乗りもんはエンジンかけたらずっとライトは点いちょっばい全部(バイクという乗り物はエンジンをかけたらライト点けっぱなしだよ全部)」と言っていた、たぶんウソ、兄のバイクはそんな仕組みじゃなかったし。


海でいろんなひとに出会ったけど一番印象的だったのは卒業間近に出会った、妻に先立たれた爺さん。


ベンチに座って海を眺めていたら「学校はどうしたんですか?」と敬語で話し掛けてきた。どうせ説教でも飛ばす気だろうとつとめて明るく「サボって来た~」と答えたら爺さんは明るく豪快に笑って「そういう日もありますね」と言った。


そして私の横に座り「若い人とこういう話をしてもいいものでしょうかと迷いますが…」と口ごもりつつ「若い人たちがどのように愛を確かめ合うのかを聞いてもよろしいですか」と、とても品があるイントネーションで聞いてきた。


それまで宮崎弁しか聞いたことのない私でも、その爺さんがキレイな標準語をしゃべっているのはわかる。

でもキレイな標準語をしゃべる大人と実際に会話をしたことはなかったので、爺さんの標準語がだいぶウソ臭く聞こえて不思議だった。

テレビで見るニュースを読んでいるアナウンサーは全然ウソ臭く無いのに、爺さんの言葉はウソ臭く聞こえる。


「どんな話が聞きてぇと?」と宮崎弁で返すと、まず爺さんは身の上話をした。


自分は戦地から帰ったら顔も名前も知らない結婚相手を親が選んでいてその人と結婚した、子供も設けたが自分たちの時代の結婚は恋愛結婚ではないから、子供をつくる行為こそするが、妻に対しての愛情表現はしたことがなく、キスもハグもしたことは一度も無い、言葉で愛を確かめ合ったことも無い、先立たれた妻とやっておけばよかった、と思ったそうな。

だから今の若い人たちはどのように恋愛を始めて、どのように愛情表現をして、キスが先なのかハグが先なのか、そういうことを知りたいのだと言う。


「とんだエロジジィじゃねーけ」と私は品のある標準語に、宮崎弁で突っ込んだ。

「エロジジィが聞きてぇ事を質問してんな、答えちゃるわ(エロジジィが聞きたいことを質問してみ、答えてあげるから)」

私は爺さんをエロジジィと呼び、上から目線のタメグチである。

いつの時代も、JKは強えぇな。


一方のエロジジィはずっと敬語で品のある標準語のイントネーションで腰が低い。

サボり癖のある女子高生とエロジジィの、トシが逆転したこの妙な会話は、質疑応答のカタチで進んでいった。


私は日時を決めてサボるわけではないので、午前中だったり午後だったりもするし、週に5日海に行くこともあれば1日しか行かない時もある。それなのに私がサボっているとどこからともなく現れる、野球帽を被ったエロジジィ。

「来たかエロジジィ」と胡坐をかいて出迎えると、エロジジィは野球少年がするように脱帽して謝意を表すことから始める。


私は海でサボると3時間くらいはずっと居るのだが、エロジジィは長くても30分くらいで、私の時間を「ほんの少し間借りする」のに徹していた。

日向の海は2月でもサーファーがサーフィンをしているくらいでさほど極寒というわけではないが、寒がりの私は3月くらいまでは足しか海につからない。

波打ち際で足だけ海水浴をしていると、いつものベンチにエロジジィがいて手を振ると静かに去って行った日もあった。


顔を合わせたら必ず会話をするという関係なわけではない。

お互いがお互いに「居るな」とだけ確認し合って、何の会話も無く別れる日が続くこともあった。


エロジジィの質問内容は毎回エロいけど、不快感を与えるような事がなかった。

未成年の私に敬意を払ってくれていたのだと思う。

それを痛感したのが、私が卒業後の進路を関西への就職に決め、最後に海でエロジジィに会った時である。


その日、エロジジィとのエロ質疑応答が終わり、私は今日が最後なのだと告げた。

関西に就職するからもうエロジジィと会うことも無いし、と思い私はとてもとても軽い気持ちでこう言った。


「最後に抱きしめてみる?」

エロジジィに向かって私は両手を広げハグを求めた。


するとエロジジィは大きく一歩下がり、脱帽して、深々と最敬礼をしたのだ、女子高生に向かって。


90度の最も丁寧で深いお辞儀のあと、軍人の敬礼をし、私に握手を求めたエロジジィの一連の所作はとても美しく、品があり、荘厳で、私は息を呑んだ。

(嗚呼このひとは戦場から生きて帰った人間なんだ…)それがハッキリとわかった瞬間だった。


「ありがとう」


それだけ言ってエロジジィはものの見事にあっさりと去って行った。

30年前に見せてくれたあの最敬礼の美しさを、私は生涯忘れない。

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