第38話 ずっと続きますように
日曜日の水族館のデートから、もう何日か経った。
でも、それがたった数日前の出来事だったなんて、信じられないくらいだ。
それくらい、私の毎日が、少しずつ変わっていった。
スマホの通知が鳴る。
ふと手に取ると、そこには見慣れた名前があった。
小鳥遊くんだった。
《今日のむぅむぅちゃん、元気ですか》
思わず、笑ってしまう。
机の端にちょこんと座ってる“むぅむぅちゃん”に目をやる。
クラゲのぬいぐるみ。あの日、あの人と一緒に「この子、むぅちゃんに似てるかもね」なんて笑い合いながら買った子。
《白銀:今日のむぅむぅちゃんは超ご機嫌です。なぜなら朝から日なたぼっこしてました☀️》
すぐに既読がついて、また返事がくる。
《小鳥遊:さすがっすね。俺も日なたぼっこしたい》
ふふ。なんだそれ。いや、私もなんだそれ、か。
まぁでもこうやって他愛もない話を続けられるのが、なんだかすごく嬉しかった。
──もしかして、これが“特別”ってやつなのかな。
少しずつ、そんなことを思うようになった。
******
「白銀先輩、またスマホ?」
昼休み、購買の前で並んでいると、背後から声がかかった。
振り向くと、久世ななちゃんがいた。
制服の胸元を緩めながら、ジュースのペットボトルを小脇に抱えてる。相変わらずさばさばした態度で、でも妙に勘が鋭い子。
「いや、ちょっとだけ」
スマホの画面を伏せるようにして、私はそっとポケットにしまった。
「ふーん……もしかして、小鳥遊くん?」
「っ……な、なんでそうなるの」
バレバレだった。むしろ隠す方が不自然だったのかもしれない。
ななちゃんはニヤリと笑って肩をすくめる。
「いや、最近の白銀先輩、なんか違うんですよね。やわらかいっていうか、楽しそうっていうか」
「……そう、かな」
「うん。前はもっと、“自分で距離とってる感”があった」
その言葉に、どきっとする。
自分では意識してなかったけど、そうかもしれない。私はいつだって、“王子様”として振る舞ってきた。それ以外の私を見せたら、崩れてしまう気がして。
でも、小鳥遊くんといるときだけは、違った。
守らなくても、取り繕わなくても、ちゃんと“白銀レイ”でいられる気がした。
「……うん。最近は、ちょっと変わったかも」
正直に答えると、ななちゃんは「へえ〜」といたずらっぽく笑った。
「じゃあさ、小鳥遊くんのこと、好きなんですか?」
「……っ、それは……まだ、わかんない」
でも、心の中では──
(“好きかもしれない”って、今なら、言えるかもしれない)
ただ、その一歩を踏み出すのが怖かった。
あの人は、まっすぐで、優しくて、ちょっと照れ屋で。
そんな人の隣に立つには、私にはまだ、勇気が足りないのかもしれない。
******
帰宅して制服を脱いで部屋に入ると、むぅむぅちゃんがベッドの上に転がっていた。
自然とそのふわふわの体を抱きしめる。
「むぅむぅちゃん……私さ、最近ちょっと変なの」
口に出してみると、余計に顔が熱くなる。
いつの間にか、スマホに手が伸びていた。
写真フォルダを開く。あの日の、水族館の写真。
クラゲの前で撮った自撮り、むぅむぅちゃんを挟んで撮ったツーショット、カフェで笑い合う横顔。
どれも、どれも、大事にしたくなるような瞬間だった。
(“可愛い”って、言ってくれたよね)
(“白銀さんのそういうとこ、素敵だと思います”って)
ずっと怖かった。
“自分らしさ”を見せることが。
“可愛い”って言うことが、そしてそれを笑われるのが。
でも、小鳥遊くんは、まっすぐ受け止めてくれた。
だから私も、まっすぐ笑えたんだと思う。
ベッドの上で、スマホをぎゅっと胸に抱える。
(このまま、終わりたくないな……)
この関係が曖昧なまま、消えていくなんて嫌だ。
でも、じゃあ“好き”って言えるかと聞かれたら……ううん、言いたい。たぶん。
──まだちょっと、怖いけど。
その気持ちが、もう“答え”に近いことには、薄々気づいている。
気づかないふりをしているだけだ。
******
夜。電気を消して、ベッドに潜っても、なんだか眠れなかった。
スマホの画面を開く。小鳥遊くんの名前を見つめる。
何か、送りたい。でも、何を送ればいいか分からなくて、指が止まる。
だけど、その瞬間に通知が鳴った。
《今日もお疲れさまでした!むぅむぅちゃん、いい夢見てね笑》
《……え?私は?笑》
……ふふ。
自然と笑って、私は返信を打つ。
《ありがとう。小鳥遊くんも、いい夢を》
送信。
少しの間だけ、スマホを胸に当てて、目を閉じた。
(……この関係が、ずっと続きますように)
願いを込めて、私はそっと瞼を閉じた。
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