第5話 渡り廊下

体育館での騒がしさが嘘のように、しぃんと静まり返っている校内。

恐らくほとんどの生存者は体育館、もしくは少し距離はあるが公民館や病院など、避難所とされる場所に向かったのだろう。


「どうだー?誰かいるか?」


「…いや、気配はしないかな」


廊下の曲がり角で、凍孤の問いに羽黒が角からそっと顔を覗かせ辺りを見回しながら応える。


「本当に皆、避難所に逃げたのかもね。何の気配も音もしないよ」


すく、と立ち上がって羽黒は後続の妻と子、それから夏野に告げる。

とりあえず今日はどの教室で一晩明かそうか、と羽黒が口を開こうとして、ふと窓の向こうを見て、警戒するように目を細めた。

つられて凍狐も、良樹も、夏野もその先を追いかける。


四人が校内から見たものは、体育館で見掛けた若い夫婦が赤ん坊を抱えてこちらに向かってきていた姿だった。

母親は放すまいと赤ん坊をしっかり抱きしめ、父親は四人に向けて手をふらふらと振っている。

その夫婦の後には少なくない数のゾンビが腕を伸ばして追ってきているではないか。


「父さんどうする?助けるか?」


良樹が矢筒から一本抜いて弓に番えながら指示を待つ。

しかし羽黒は首を横に振った。


「いや、あれは変異種だ」


変異種?

夏野が羽黒を訝しげに見て、再び窓の外へ視線を戻す。


「あぁぁ……お願いしますぅ…助けてぇ…助けてぇぇ…」


ゾンビに追われ、こちらに向かって叫び手を振るその姿に夏野は飛び出しそうになったが、その襟首を凍狐が引っ掴んだ。


「とっ、凍狐さん…!?なんで!?助けなきゃ!」


「お馬鹿。よく見ろ」


ん、と顎で指された先に顔を戻せばそこにいるのは助けを求める若い夫婦と、その腕に抱かれた赤ん坊、のはずだった。


あれ…と夏野は目を見開く。


違う。

あれは、違う。


よく見れば父親の脇腹から腸が溢れ落ちており、肋骨まで覗いている。

妻の方は喉を大きく食い破られたのか、上手く頭を固定できずにがくがくと前後に揺れている。

腕に抱いている赤ん坊は首から上がもぎ取られており、愛らしいはずの顔はどこにも見当たらず、人形のように四肢をだらんとさせていた。


「っひ…!!」


思わず凍狐の背に隠れた夏野だったが、他の三人は【変異種】に慣れているようで、あのタイプは仲間を呼ぶから面倒だ、などと話している。


「良樹」


「ん」


羽黒が窓を少し開けて、良樹が弓を構える。

狙うは助けてと喚く変異種になった父親のゾンビ。


ギリギリと弦を引き絞り、一瞬。


パシュ、という音と共に父親のゾンビの額を矢は穿った。


酔っ払いの千鳥足のようにふらりふらりとしたかと思えば、ドサリと地面に倒れたまま動かなくなった。

続けて同じパシュという音が聴こえたかと思えば次は母親の額に矢が突き立った。

母親の身体はそれでも赤ん坊を放すまいと抱いたまま倒れる。


「うん、流石だね」


「うれしくないよ、こんな事で上達したってさ」


ぱちぱちと拍手する羽黒にどこか不満げな表情で良樹は弓を下ろし、少しだけ開けた窓をぴたりと閉めた。


「ほら野郎共、あれどうするよ。このまんまじゃこっちに来るぞ」


夏野の手を引きながら凍狐が窓の外を見やる。

先の変異種についてきたゾンビの群れは、もうあと数歩で窓ガラスに指が届く距離まで迫ってきている。


「もう仕方ないね、ゾンビたちが飽きて他所に行くまで校内で籠城かな」


やれやれ、と羽黒は眼鏡を外して目頭を揉んでいる。

その姿はあまりにも余裕に満ちていて、夏野はなんだか不安になった。


なぜこの人達はこんな状況で、何事もないかのように振る舞っているんだろう。

怖くないのだろうか。


「とりま窓の鍵全部閉めとくかぁ、夏野ちゃん手伝って」


「あ、はい…」


凍狐と夏野はすたすたと渡り廊下の端まで歩いて、窓に鍵を閉めて回っている。


「一階は流石に危ないから、二階に行こう。良樹、お勧めの教室はあるかな?」


「お勧めって観光地じゃないんだよここは。…ったく。二階だったらそうだな、保健室は?あそこなら最低限何かしらあるだろ」


最悪奴らが入ってきてもベッドの下に隠れてやり過ごせられるし。と付け足す


「まず今夜乗り越えたら、明日明るい内に武器と食料と医療用ケースを探そう」


最低限それがあればどうにかなるからね、と羽黒。


「一階の窓の鍵全部確認してきたよ。

まぁ一晩くらいならガラス耐えてくれそうだけど」


凍孤が薙刀を持ってない方の腕をぐるりと回して骨をこきりと鳴らす。


夏野がちらと窓を見れば4、5人のゾンビが血に汚れた歯をカチカチと噛み鳴らしながら白濁した目でじぃっと夏野を見ていた。

ガリ、と窓ガラスを爪で引っ掻く音が耳障りで、夏野は耳を塞いだ。

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