6-4.それで……なにがあったの?

「いやぁ……ひどい目にあった……」


 クシュンとくしゃみをしながら、グラットはワタシが用意したタオルで濡れた身体を拭く。


 ただの水だが氷水並みに冷たかったらしい。本格的な夏はまだ先なので、風邪をひかないか心配だ。


 ギル様は魔法で服を乾かせるはずなのに、「ツーン」とそっぽを向いたままで何もしない。


 ワタシの精霊魔法では無理だ。火の精霊とは相性が悪く、服を乾かすほどの力はない。

 グラットも「熱風で火傷しても困るから、このままでいい」と笑っている。

 放浪の狩人は、つくづく打たれ強い。


「急いでいたから、汚れたままで店に飛び込んだのがまずかったな。ごめん、ナナ」

「いいのよ。こっちこそ……ギルが、ごめんなさい」


 ギル様は、いまだにご機嫌斜め。

 ご近所さんやシャリー、フッサーさんには愛想がいいのに、どうしてグラットにだけこんな態度なのか。

 接客もできるニンゲンだと思っていたのに……少しがっかりだ。


 ふんっと鼻を鳴らし、ギル様はグラットを睨む。


「それで……何用か? ナナ様に拝謁するというのに、そのような小汚い恰好で駆け込むとは。よほどの緊急事態と見受けるが、事情は?」


 そんな言い方をしなくても……と思ったが、今は何を言っても無駄そうだ。


「そ、そうなんだ! ナナ! 大変な――」

「ナナ様とお呼びしろと言っているだろうが!」


 シュンッ、と空気を切る音の直後――。


 バシュッ!


 ギル様の手刀が閃き、グラットの脳天に直撃した。グラットが崩れ落ちる。

 あれは……痛そうだ。


「うぎゃあっ!? ちょ、話を――!」

「問答無用! 無礼者には教育的指導だ」


 頭を抱えてのたうつグラットの横で、ギル様は腕を組み、満足そうに立っている。


「やめなさい! ギル!」


 ワタシの一喝に、ギル様は全身をビクリと震わせ、石像のように硬直した。


「な、ナナ様!」

「グラットは今までどおりでいいの! 『様』づけなんて不要! それに、いちいち話の腰を折らないで! グラットはビジネスパートナーなの! 邪魔するなら、でて行きなさいッ!」

「も、も、申し訳ございません!」


 回復魔法をかけながら、ワタシはギル様を叱る。

 油断していた。

 扱いに慣れてきたつもりだったのに、見通しが甘かった。ワタシの判断ミスだ。筆頭守護騎士様の取り扱いは、やはり難しい。

 剣幕に圧倒されたのか、ギル様は首をすくめてしょんぼりとうなだれている。

 怒られた大型犬が、目に涙をためてお座りしていた。


 ……ちょっと厳しかったかな、と反省しつつも「最初が肝心」と自分に言い聞かせる。


「それで……なにがあったの?」


 ギル様とのやりとりで忘れそうになっていたが、グラットがここまで慌てているということは、よほどの事態だろう。


「まさか、熱斑病ねっぱんびょうの患者が増えてるとか? 熱斑薬ねっぱんやくの効きが悪いとか?」


 まだ痛そうにしているグラットに、質問を重ねる。


 ワタシが銀鈴蘭の聖女に認定された日、グラットは熱斑薬を仕入れるため『雪雫の薬鋪』を訪れていた。


 熱斑病は、薬を飲めば完治する病気。

 ただし対処を誤れば高熱が何週間も続き、栄養状態の悪い子どもは命を落とすこともある。侮れないが、早期に治療すれば助かるものだ。


 辺境の村で熱斑病らしき症状の子どもがいるとは聞いていたが、薬が間に合わず他の村にも広がったのだろうか。


「熱斑病は間に合った。症状が出ていた子どもたちは回復したし、近隣の村にも届けたから、大丈夫だろう」


 ずぶ濡れのグラットの言葉に、ほっと息をつく。

 よかった……ワタシの薬が子どもたちを救えたんだ。

 熱斑病はこの辺りでは広く知られ、対処法も浸透している。


 それに、父様が定期的に辺境の村を巡り、治療や相談を続けてくれていたおかげもある。

 この地を去った後も、父様は『エルフのセンセイ』として親しまれ、養女のワタシも『センセイのお嬢ちゃん』として知られていた。弟子が開業した『雪雫の薬鋪』の薬師になったことも、村人たちに伝わっていた。


 グラットが届けた薬がすんなり受け入れられたのは、父様と先代、先々代の築いた信頼のおかげだ。


 ヒトはそれを「親の七光り」と言うけれど、ワタシは七光りだろうが虎の威だろうが、借りられる光も威も借りてみせる。

 みんなが安心して薬を飲んでくれるなら、それでいい。


 今回も、ワタシの調合した薬を信じ、正しく服用してくれたおかげで被害は広がらずに済んだ。

 薬を運んでくれたグラットに、心から感謝を伝える。


「だけど……」

「だけど?」


 ギル様の放つ殺気に怯えつつ、グラットは言いにくそうに口を開く。


「大人にも、熱斑病と似た症状が現れはじめたんだ」

「え? 大人にまで? 本当に熱斑病なの?」


 ワタシは病人たちの症状を詳しく尋ねる。

 付き合いの長いグラットは、病状の報告も的確だ。


 最初は軽い倦怠感と食欲不振。

 やがて微熱とともに頬や首、胸に紅色の小さな発疹が現れ、数日後には高熱とともに全身に広がる。


 特に背中や腹部の発疹がひどく、激しい頭痛や関節痛を訴える人もいるという。


 確かに、子どもから大人へ感染した熱斑病のようにも思える。


 グラットは止めたが、大人たちはダメ元で熱斑薬を服用したらしい。子ども用に調整された薬なので効くはずもなく、「熱が少し下がったかも?」という程度だった。


「大変! なんてこと!」


 ワタシの耳がピクッと跳ねる。

 ギル様の、すごく心配そうな視線を感じた。


「それ、熱斑病じゃない! 急いで現地に行かなきゃ! ギル、今すぐ閉店の準備と張り紙を! グラット、案内をお願い!」

「ナナ様?」

「ナナ?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る