昔の人たち【習作・実験作】

rona736

靴の物語

第1話 靴の物語(1)

 酒を飲んでいた。いい気持ちで飲んでいた。地面に横たわっている。お金が必要だったのだ、事業を起こすにはどうしてもお金がいる、先立つものは資本金だった。しかし簡単に金は手に入るものではない。郷里にかえって都合しようとしたが、誰も金を貸してくれなかった。


 横になっていた。以前の侍も今は全くゴロツキと化していた。泥と土の匂いがして、顔には濡れた感触が張り付いてた。


 横になってみる世界、それは、かつて見たことのない、不思議な世界だった。

 体が温かい。春だ、春が来ているのに、私は何をしているのだ。私は、込み上げてくるものを食い止めていたが、腹にはわずかなつまみと、安い酒以外には、何も入っていなかった。今は、胃液だけだろう、込み上げてくるものなんて。


 だが、いい気持ちだった。横になっている。しかしその気持ちは暗く沈んでいた。


 向こうに何かが止まった。1台の馬車のようだった。馬のいななきが聞こえる。その馬車から誰かがこちらへ向かってくる。カツ、カツ、カツと、靴の足音がする。泥酔した私の所へその男が向かってきた。靴音が消えた。そして何やら男はしているようだった。


 なんだ?、私は思った。そして私は顔を上げた。その顔に衝撃が感じられた。1発、2発、3発。次々にその顔にめり込むような痛みが走った。口の中が切れたらしい、血の味がした、顔には泥の感触があり、泥水が顎を滴り落ちた。


 なんだ、何が起こっている?


 私にはわからなかった。


「きゃー、誰か、誰か」


 女がどこかへ走っていく、しかし、関わるまいというのだろう、誰も寄ってこようとはしなかった。


 それは靴だった。男が靴を脱いで、私の顔を殴っていたのだ。痛さを感じた。私は立ち上がった。怒りが私の心の中を閉めていた。


 私は顔を上げた。


「中野、中野じゃないか」


 それは中野だった。


「何をする、中野」


 同じ侍仲間で、子供の頃を一緒に過ごした、それは中野だった。今は、どこかの役所で、高官についていると聞いていた。


「この、根性なしが」


 痛かった。靴の痛みも痛かったが、心の傷を抉られるような、見下される痛みが、私を圧迫した。


「そのようなところに、寝そべって、安酒に耽って、恥ずかしくないのか!!」


 中野は、大喝した。


「恥ずかしくないのか!!」


 中野の声は震え、泣いているようにも思えた。


「犬畜生にも劣る」


 中野は私に背を向けた。


「悔しかったら、働きたまえ、私はもう、君の昔の友でも、知り合いでもない」


 馬車の戸が締まり、どこかへ去っていく音がした。私の胸から、溢れるものがあった。熱く、熱く、溢れるものがあった。それは胃液ではなかった。

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