ちちぷいホテルの食事事情

「……なるほど、理解しました。ご教示ありがとうございます」


 僕は、このホテルのビュッフェルールを事前に把握しておこうと、少し早めに食堂へ来ていた。


 ……いや、これは食堂と呼んでいいのだろうか?


 巨大なホールに囲まれた食事エリアはずば抜けて広大で、屋台もあるが、れっきとした料理店がずらりと並んでいる。

 移動用の乗り物まで、レンタルで使用できるようだ。

 人々はレストランからテイクアウトした食事を持ち寄って、食事を楽しんでいる。

 もちろん、レストラン内で食べることも可能だ。


 もはや、ビュッフェという次元を超えている。


 ……この規模の寛容さ。常識では測れない。だが、考えるのはやめよう。


 なぜなら、ここはちちぷい世界。この世界の常識は、誰にも想像つかないだろう。


 案の定、僕のように異世界から訪れた者たちは、まずドン引きしていた……


 さて──


 我が国から同行している5名様を、どう満足させるか。


 それぞれ好みも異なるが、珍しい料理にも積極的に挑戦するようだし、あのエリアを中心にすれば問題ないだろう。


 地図と構成のマッピング、完了。僕自身も少しお腹が空いてきたが──彼女たちを待たずに食べるのは気が引ける。


 ……ん? ふと目に留まった一角。席に座る一人の幼子の姿と、付き添いの男性だろうか。


 青髪のボブカットに、青い瞳の少女──だが、その小さな体とは裏腹に、驚くべき量の食事を平らげている。


 まるで、まほろが縮んだような食べっぷりだ。ふむ、実に見事な食欲。


「アニキ! すぅううっごく美味しいね♪ もっともっと食べたい!」


 ……ほう。まだ食べられるのか。

 うんうん、食べられるうちにしっかり食べるのは良いことだ。


 若干、人ならざる気配も感じるが、悪さをする気配はない。……ならば、そっとしておこう。


 『アニキ』と呼ばれた、隣に座る男性も、にこやかに少女の様子を見守っているようだった。


* * * *


 僕たちが滞在するフロアに直結する、「エレベーター」と呼ばれる移動機構に乗り、ロビーへと到着する。


 ……移動のストレスが無い。これは便利だ。文明の利器というべきか。


 ん? どうやら5人とも、お風呂から上がっていたようだ。時刻は……18時25分か。


 浴衣姿で、フロアに設けられた休憩スペースにて、談笑していたらしい。


「あ、にぃに♪ 皆、お風呂あがったよ~♪」


 あおいが僕に気づき、無邪気に手を振ってくれる。

 その横では、髪を綺麗に乾かし整えたつぐが、ふんわりと微笑みながら話しかけてきた。


「すぅ~っごく良かったよ♪ アンタもあとで入っとく?」


 皆、湯上りで頬がほんのり紅い。機嫌は上々のようだ。


 ……ん? 月美とミントから、微かに漂うワインの香り。どうやら、ワイン風呂があるのか? 懐かしいな。


「いや、これから食事に行くだろう? なら、先にビュッフェの仕組みを説明しておきたい。僕の入浴はその後でいい」


 部屋には内風呂もあるし、それで十分だろう──ところで……


 ……しかし、正直、目のやり場に困る。


 5人全員が、湯上りの浴衣姿で、胸元や足元など、遠慮なく顕わにしているから……


 すっかり心を砕いてしまっていることもあるのだが……湯の熱の余韻か……


 特別なこの5人だけには、心の動揺を隠せない。


 いかん! 執務モードを強化しようとするも──


「……ムッツリさん? すこぉ~し、鼓動、早くなってませんか?」


 ──幻刃には、それが通用しない。


 彼女は容赦なく、僕の反応を見逃さない。

 しかも、この問いかけに気づいた他の4人も、じわじわと顔つきを変えてくる。


「ぁ~~~! ラーヴィ、私たちのこと、そんな目で見てたんだぁ? ふ~ん♪」


 ミントよ……その満更でもない顔をやめてくれ。

 椿つばも月美も、そして葵までも、どこか艶のある眼差しに変わってきている!


「……にぃに、かわい♡」


「ラーヴィ様……! っと……いけませんわ……」


「……皆? さっきのこと、もう忘れたの……?」


 月美の鋭いツッコミが響く。だが、徐々に目つきに怪しさが灯る……


 ──捕食者たちの目線へ……

 ──そして、捕食されるのは、僕という存在。


 ……誰か、助けてくれ。


 いつからこんな関係になったのだろうか?


 元の世界での、あの夜──大戦の決戦前夜、6人で交わした契り。

 それが、今のこの……形となって現れている。


 ……嗚呼。お城に帰りたい。修行がしたい。

 己を保つために──


 ……切実に、今、そう思っている。


* * * *


「といったルールがあるらしいけれど、基本的にはマナーを守れれば大丈夫とのこと……いいかな?」


 食事街にもどり、ひと通りの説明を終えると、彼女たちは「はーい♪」と明るく返事をした。


「どこから回ろっか♪ 初めて食べるものばっかりで楽しみ~!」


 葵は嬉しそうに、手にしたタブレット端末を操作しながら、みんなと相談を始める。


「……ああ、早くごはんが食べたいです……おなかペコペコで……このままじゃ彼を食べてしまいそう……」


 ……紫色に輝く目をうつろに開いた幻刃……慌て始める4人。椿咲とミントがキョロキョロと、お店に目線を移す。


「……早急に、まほの胃袋を満たさないといけませんわね?」


「ラーヴィの貞操が危ないわね?」


 ミント? ……何を心配してるんだよ?

 だが、幻刃のお腹の限界は想定内だ。


「とりあえず、幻刃の分はすでに準備してある」


 そう言って、あらかじめ注文しておいた料理――人の頭ほどもあるジャンボ稲荷寿司――をテーブルに置いた。

 柔らかく煮込まれた巨大な油揚げの中には、たっぷりの酢飯が詰め込まれ、その中には近海で獲れた新鮮な魚介類がびっしりと並んでいる。


「さっすが、アンタ準備いいわねぇ~♪」


 月美がほめてくれる。執事業務としては、至極当然だ。


 幻刃は席につくと、両手を合わせて、


「お先に失礼します。いただきます!」


 そう言って、ためらうことなく豪快にかぶりついた……いや、箸つかおうよ?


 アンタ、一応清楚系巫女だろ? まぁ、本性は知ってるからいいけどな。


 残る4人は「遠慮なく♪」と笑いながら、それぞれの食事を調達しに席を離れていった。


「んっふ~♡ お、美味しい♡ これ、甘辛いお出汁で煮込まれた油揚げでしょうか? 酢飯の風味も絶妙でお米が生きてる! 歯ごたえも抜群♡ 口の中で米が踊ってる! ……職人さんの魂を感じます♡ 具は……魚介ですね! 新鮮そのもので、身がキュっと引き締まって! んん! これ! 切り身を昆布で締めてる? 歯ごたえ旨味が絶妙です♡ お口の中が宝石箱になっちゃうぅ!」


 全盲ながら、幻刃は口の中の感覚をフル稼働させ、情熱的に感想を述べる。

 その声は、ギリギリ聞き取れるのが難しいくらいの早口で、しかも口いっぱいにほおばりながら。器用すぎる!


 だが、実にいい食べっぷりだ。思わず、さっきの少女のことを少し思い出す。

 幻刃はもうジャンボ稲荷寿司を食べ終えた。僅か1分37秒。

 ――これだけで満足できるわけがない。

 すかさず、汚れた手を拭くためのおしぼりを手渡し、次の料理をテーブルに差し出した。


「続いては――『ちちぷい島近海で獲れたマグロの頭の煮付け』だそうだ……これ、すごいぞ?」


 目の前に置かれたのは、濃厚な茶色いソースがたっぷり絡んだ、マグロの頭そのまま一つを使った豪快な一品。

 生姜の香りが立ちのぼり、醤油、酒、みりん――そして上質な砂糖で、じっくりと長時間煮込まれている。

 見た目の迫力もさることながら、その香りだけで、炊いた白米が欲しくなる。


 噂によれば、このマグロは、ある少女がたった一人で釣り上げたものだという。

 その魚の重さ――なんと572キロ。

 頭の大きさからしても、とんでもない化け物サイズだ。どんな怪力少女だ、その子……


 ……聞いたところ、明日も浜辺で釣りをするらしい。会えるかもしれないな。


 今度はちゃんと箸を使ってる。偉い。そして一口目を食べた瞬間……


 ピタリと動きが止まる……その後、うっとりと表情が蕩ける……旨いんだな。


「!! ショウガが強すぎず、でも香りでちゃんと食欲をそそってきます! 極上の酒! 醤油! みりん! あ、お砂糖まで極上の……! もしかして伝説の和三盆! しかも、ほんのり香ばしくて……焦がし加減が絶妙ぅぅ♡ 身がとろりと口の中で溶けて……噛まずに旨味が口に広がる! あっ! お米が、消える! ラーヴィ、おかわりお願いしますっ!」


 完璧な食レポじゃないか? これ。全て正解だ。


 僕はもう慣れてしまったが、幻刃のまわりには、自然とギャラリーができていた。

 細身の少女が、自分の胴体よりも大きなマグロの頭にかぶりつき、しかも高速かつ丁寧に、嬉々として平らげていく光景――

 中には、少し引き気味に見つめる者もいたが、それ以上に目を奪われているようだった。


「アニキ! あのお姉ちゃんも、すっごい食べてるよ♪」


 ん? さっきの子か。……いやいや、君もなかなかすごかったぞ?


「やよい、今度は何が食べたい?」


「え~っとね、アニキは何が食べたい?」


 そんな他愛のないやりとりを交わしながら、少女と男性は、食事街の奥へと歩いていった。


 一方その頃――

 見事にマグロの頭の骨だけを残し、幻刃は海鮮汁をすすっていた。

 そして、上品にナプキンで口元を拭うと、静かに手を合わせた。


「……この世のすべての糧に、感謝を込めて。ごちそうさまでした。……ふふっ、ようやく子腹は落ち着きました♪ さて、次は何をいただきましょうか♪」


「そうだな。そろそろ皆も戻ってくるだろう。次は一緒に食べようか」


 僕は幻刃がきれいに平らげた器を手際よく片付け、仲間たちの帰りを待った。


 ――初日からいろいろあったが、どうやらこの場所では、のんびりとくつろぐことができそうだ。

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