間戸(まど)

洒落にならないほど恐怖する話

第一章「見えない壁」

四月の終わり、俺は東京での一人暮らしを始めた。大学進学が決まって、実家のある長野から上京してきたんだ。最初の一人暮らしだから、正直なところ、家なんてどこでもよかった。とにかく安くて、駅から遠くなくて、風呂とトイレが分かれてれば御の字だった。


だからこの物件に決めたときも、特に深くは考えてなかった。築年数は古いけど、内装はリフォーム済み、家賃は相場より1万近く安かった。不動産屋も、やたら「すぐに決める人が多くて~」って急かしてきたけど、それもまあ営業トークだろうと流した。


部屋は、いわゆる1K。玄関を入ってすぐの細い廊下の先に、六畳ほどの居室と、奥にユニットバス。右手に小さなキッチンがついていて、左手にクローゼット。間取りだけなら、特に変わったところはなかった。――そのときは。


引っ越し当日は、大学の新歓で知り合ったばかりの友人・下田が手伝ってくれた。軽トラをレンタルして、荷物を一緒に運び込んだ。家具もほとんどなかったし、作業自体はすぐに終わった。


そのとき、俺はスマホで室内を軽く撮影していた。親に送る用と、自分の記録用にってことで。「やっと俺の城だ!」なんて冗談言いながら、下田と二人でピースした写真もある。


……けど。


その日の夜、布団を敷いて横になっていたとき。なんとなく、玄関の方が気になった。


入ってすぐの壁――あの廊下の突き当たりの壁が、やけに近い気がした。思えば、搬入のときも変だった。ドアを開けたら、ほんの1メートルほどで壁が立ちはだかっている。廊下、というにはあまりに短すぎる。


「最初からこんなもんだっけ……?」


翌朝、改めて確かめてみると、確かにおかしい。ドアを開けてすぐ、目の前に白い壁。その壁が、玄関側からはまるで“廊下の奥”のように見えるのに、部屋の中から見ると、その壁の裏側に“何もない”。


というか、あの壁の向こうがどこにも存在しないのだ。


ドアから入ってきたときに真正面にあるはずの壁。なのに、部屋側から見ると、壁の裏側に続くスペースも、ドアも、影すらない。


気になって、引っ越し当日の写真をスマホで確認した。そして、ゾッとした。


一枚目、ドアを開けて部屋を映した写真。俺と下田が立っていて、荷物がまだ床に並んでる。そこに――あの壁が、ない。


いや、正確には、「玄関ドアからまっすぐ部屋の奥まで」が一本の通路のように映っている。突き当たりの白い壁なんて存在しない。


「……は?」


何度見返してもそうだ。俺が昨夜見た、今朝も見た“あの白い壁”が、どこにも写ってない。下田のスマホにも同じ構図の写真があって、やっぱり壁は写っていない。


昼過ぎ、下田にLINEでそのことを話すと、すぐに「まじか」とだけ返信が来て、続いて、


「……お前の部屋、なんか変な音してなかった?」


という返事がきた。


「変な音?」


「搬入のとき、変な“間”があったっていうか……玄関からすぐ、足音が響くような空間あった気がしたんだよ」


言われてみれば、確かに。段ボールを置いたとき、やけに音が反響してた瞬間があった。


だが今、その「空間」は存在しない。


玄関から入って一歩、そこにはただ、何の変哲もない“壁”があるだけ。なのに写真には写っておらず、搬入時には“奥まで見えていた”。


……その壁、最初からなかったんじゃないか?あるいは――今、勝手に“そこに生えた”んじゃないか?


冗談にしては、笑えなかった。


下田が「今から行こうか?」と送ってきたが、俺は「いや、大丈夫」とだけ返した。


なんだか、それを「確認」しに来られるのが怖かった。


壁のことは、もう考えないようにしよう。気のせいだ。写真だって、写り方の問題だ。


そう言い聞かせて、その晩は早めに布団に入った。


でも、夜中。俺はふと目が覚めた。


玄関の方から――「コン、コン」と、ノックするような音が聞こえた気がした。


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