第3話 フォグランプ
父:吾郎
「……これ、俺が初めて買った車だな」
いつの間にかテレビの近くにいた父・吾郎が、テレビ画面に映し出された一枚の写真にぽつりとつぶやいた。
そこには、自宅前に停まる初代ホンダ・シビックRS(SB1型)の姿。そして、車体の前でしゃがみ込み、何やら調整している若き日の吾郎。
バンパーには黄色いフォグランプが顔をのぞかせていた。
「お前、覚えてるか? ……覚えているわけないよな。まだ小さかったしな」
「仕事もまだまだで金はなかったけど、どうしてもこのフォグが欲しくて、小遣いコツコツ貯めてな……つけたはいいが、光軸がどうにも合わなくてよ」
口調はぼそぼそとしているが、どこか楽しげだ。
普段は多くを語らない父の語りが、少しずつ熱を帯びていく。
「そんで、夜になると走りに行くんだ。照らす角度試しながら、あっちの川沿いとか山道とか……最初は調整のつもりだったんだが、走るのが楽しくなっちまって、気づくと家に帰るのが遅くなっててな」
ふっと苦笑する。
「ひとみがな、『光軸が合っても、アンタの生活はズレてんだよ!』って、怒鳴ってさ」
「……そりゃまあ、ごもっとも」
悟としては、そう返すしかない。
今なら笑って話せるけれど、あのときは言い返すこともできず、ただ黙って出かけていたという。
それでも、父親の、この“自分だけの時間”は、今も乗り継いだ別の車で続いている。
その時間は遥かに少なくなっているけれど、やはり父親の写真は車とともにあるものが多い。
「このRSはな……派手な馬力はないけど、エンジンのレスポンスやハンドルの応答も良かった。人や荷物もそこそこ積めるし、北海道への長距離ドライブ旅行もへっちゃらだった。俺にとっちゃ、これが“ちょうど良い車”だったんだ」
「フォグランプを付けたら愛着が増しちまってな。オイル交換したり、ちょっとした装備だったら自分で交換したりしてよ。それをまた夜な夜なやるもんで、しょっちゅう母ちゃんには怒られてたよ」
思い出が尽きないのか、数珠つなぎのように父はとうとうと語り続ける。
今も車庫には、当時から使っている工具箱がある。
ただしもう手を汚すような整備はしていないため、地面に染み込んだ油の染みも乾いてしまっている。
それでも、車庫に立つと、父の心の中には当時のRSや整備していた自分の風景が蘇っているのではないか。
画面に映る車と父親は、当時のフィルムカメラの限界なのか暗いしピントもややぼけているように見える。
でもそこには、夢中になって車を走らせていた若い父の姿が、たしかに焼きついていた。
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