第五節 わたしの初レース
大会当日。
市民プールの会場には、色とりどりのチームTシャツと歓声が入り混じり、独特の高揚感が漂っていた。
さちは、掲示板のスタートリストに自分の名前を見つけた瞬間、胸の奥がキュッと締めつけられるような感覚を覚えた。
「白川さち――女子25メートル自由形・ビギナークラス 第3組 第4レーン」
(本当に……出るんだ、私)
緊張で手のひらがじっとりと汗ばむ。けれど、その不安を打ち消すような声が響いた。
「さちーっ!」
観覧席を見上げると、ハルとユキが手作りのうちわを掲げ、笑顔で手を振っていた。
ふたりともおそろいの応援Tシャツを着ている。
「大丈夫! やってきたこと、全部出してくるだけ!」
「楽しんで泳いでね、さち!」
さちは笑顔でうなずいた。
「……うん。行ってきます!」
更衣室で競泳水着に着替えると、鏡の中に立っていたのは、見慣れたようでいてどこか違う“今の自分”だった。
引き締まった腕、頼もしさのにじむ肩、そして腹部にはうっすらとしたライン。
「鍛えるのはちょっと……」と思っていた頃とは、すっかりちがっていた。
(ここまで来た。自分で選んで、ここまで来られた)
深く息を吸い、ゆっくり吐いて、プールサイドへと向かう。
場内アナウンスが響いた。
「女子25メートル自由形・第3組、選手はスタート台へ」
スタート台に立つと、鼓動の音が自分の耳にも聞こえるほど大きくなる。
向こうの壁が、いつもより遠く感じられた。
「位置について――」
ピッ!
飛び込んだ瞬間、すべての音が消えた。
水の中はひんやりとして、静かで、それだけが感覚を研ぎ澄ませてくれる。
(1、2、3、息継ぎ)
バタ足は力強く、腕も大きく回す。途中、少しバランスを崩しかけたが、止まることはなかった。
(もうすぐ、壁――!)
壁が迫る。最後のひとかき、そして――タッチ!
「……っ!」
水面から顔を上げたさちに、タイムボードが目に飛び込んでくる。
22秒58
(……速い。練習の中でも、一番速い!)
「やったー!!」
観客席から、ハルとユキの大きな声が響いた。
プールから上がったさちは、涙をこらえながら笑っていた。
「私、泳ぎきった。タイムも更新した……!」
「かっこよかったよ、さち!」
「ほんとに、すっごくきれいなフォームだった!」
三人は思わず抱き合った。
⸻
その日の夕方。
さちはリビングで、母・真由美に報告をしていた。
「大会、どうだった?」
「泳ぎきれた! タイムも更新できた!」
「……ほんとうに、がんばったんだね。すごいよ、さち」
真由美の言葉に、さちは「ありがとう」と小さくつぶやいた。
その夜、さちは「絆のトレーニングノート」の新しいページを開く。
“初めての大会で22秒58。泳ぎきれた。次は20秒切りたい”
ページの隅に、小さな星マークを描き入れる。
(ここからまた、始まる)
https://47700.mitemin.net/i1001685/
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