第4話 代償の孤独


 よく考えたら、俺この世界に友達のひとりもいないのだ。


 アニシア・ヘプタホーンはこの国の次期国王であり、敬われ丁重に扱われる対象ではあるのだろうけれど、対等な友人なんて誰もいない悲しい身分であることに今更気付いた。

 だって休みの日に、することがない。行く場所も遊ぶ相手もいない。からかえる妹もいない。これって酷く退屈な人生ではなかろうか。


 たしか弟はいたはずだ。それもメインキャラだった気がするのだが、その辺のシナリオはいつか実際にプレイする楽しみが減るからあまり触れない方がいいと妹に止められて見ていない。

 妹よ、せめて王子にも友達の一人くらい作ってやっても良かったんじゃないだろうか。お陰でお兄ちゃんは今、盛大に孤独を満喫していますよ。


 嘆いていても仕方ないので、朝食をとって、執事に今日の予定を確認する。

 特に公務は入っていないから自由に過ごしていいと言われたって、することが思いつかないのだ。この世界って娯楽に乏しいし。それは俺の完成がこの世界に適していないだけで、余暇の過ごし方なんて本当は色々とあるのだろうけれど。


 待て、今日って所謂平日にあたるんじゃないか。アニシアも十八歳の学生なはずなのに、学校に行っているところを見たことがない。他人事みたいに言うが俺のことを言っているのではなく、妹のゲーム制作を覗いていた時の印象の話だ。

 もしかして登校拒否……という言葉が過って、俺は静かに、教科書と思われる書物を鞄に詰め始めた。そのようなことは我々が致します、と顔面蒼白の執事が飛んでくる。


 もしかしなくてもこのキャラ、結構、ろくでなしなんじゃないか。





04






 俺にとっても初登校だが、驚くことにアニシアにとっても入学式以来の登校らしい。

 あれだけ暇を持て余していて学校にすら行かないとは、どんな怠慢だ。己の立場に甘んじて努力のひとつもしようとはしないとは、クズとしか言いようがない。俺だって前世は怠けた高校生だったが、今は一国の王子だぞ。さすがに自覚に欠けている。


 これまでの十八年くらいも、俺としてやらせて欲しかった。悔やんでも仕方がないが、せめて今日から心を入れ替えた感じで過ごさせてもらおう。


 とはいえ、別に十八年をぐうたらと無駄に生きてきたというわけではない。

 幼い頃から家庭教師をつけて、学校で習う程度の学習内容はもう履修が済んでいるのだ。王になる者に相応しい教養の類も、それなりに厳しく教え込まれているし、護身のため程度の武術だって叩き込んである。でも、そういうことじゃないだろ。

 国の一番偉い立場になろうって男が、民の暮らしを知ることのできる機会を無駄にするのは、怠慢だ、と言っているのだ。


 学校に通っているうちくらいだろう。ある程度対等に、色んな立場の人間と自由に交流が出来るのは。そのための学校生活と言ったっていいくらいなのに、アニシアはそんなこと考えもしなかった。

 妹のつくったキャラクターだから、あまり悪く言いたくはないが、王子ってものにそういうイメージ持ってたのかな。あいつ、あれで結構、権力に対して反骨精神みたいな正義感を持っていたのかもしれない。


 でも、だからといって、妹の思い描いた王子像のままに生きていくわけにはいかない。

 世界観がどうとか言っていた気もするが、それはそれだろう。この国を良くするも悪くするも出来る立場に生まれてしまったのだから、のうのうと暮らしてばかりいられない。


 学校の門をくぐったときから、終始、好奇の視線に晒されている。そりゃあそうだよな。在学しているはずが一度も登校してこなかった王子様とやらが、急になんの気まぐれか学校に足を運んだのだ。

 印象サイアクでも致し方ない。それをこれから払拭していくという、長い戦いがはじまろうとしているのだから。



 でも流石に、席に座った途端に長い溜息も漏れる。


 自業自得なのだろうけれど、このアウェー感は、まだ転校生のほうがマシなレベルではないだろうか。元々俺はそれほどコミュ力が高いわけでも、人望があるわけでも真面目なわけでもないのに。


 こっそりと漏らしたつもりの溜息を、恐らく聞かれたのか、鋭い視線がひとつ刺さるように向けられていることに気付いた。

 セイジ・ペイルライダ──メインキャラの一人だ。気の毒にも政治からそのままとられた名前は、この世界観の中でも日本人っぽすぎてやや浮いているし、そもそも本人の性格的に若干遠巻きにされているような印象を受ける。

 でもキャラデザ的にも黒髪黒目って馴染み深いし、名前も呼びやすいし、俺は嫌いじゃない。いかにも堅物ですってオーラ出してるけど、将来的にこの国の政治を任される家系の長男に生まれて、重圧に負けないように生きようとしたら、そうなるのも頷ける。むしろ、変な反抗期に逃げたりしないで努力しているっていうところが、立派だと思うのだ。


「あのさ」


 俺が声を掛けたことに、セイジは驚いて、睨むようだった視線を一瞬だけ狼狽えるように泳がせる。


「……はい、アニシア王子。私をお呼びでしょうか」


 わざわざ席を立って近くに跪くセイジに俺は、俺の感性のままで、おいおい勘弁してくれと思ってしまったけれど、この屈辱であろう姿勢をとることがこの世界では普通であり、義務に等しいことなのだろう。

 俺のこと、多分好きじゃないだろうにな。かわいそうだと思う。

 だってアニシアは、いや、現王も、政治にはほとんど関心がないのだ。自分達は国の象徴であるからと政治は彼等に放り投げて、ただ優雅に椅子に座っている。そんなわけないけど、そう見えても仕方ない振る舞いをしている。実際は国王も、彼なりに国を思い、未来を憂いて、民の幸福のために最大限の努力をしているのだけれど。

 お互いに理解し合っていないのだ。共に国を支える立場であるのに。それこそが俺には、怠慢に思えてならないのだ。アニシアの最大の怠慢であると。


「授業のノート貸してくれないか。恥ずかしながら昨日までの授業でどこをやったかすら、把握していないもので」


 不躾なお願いにセイジは眉を顰める。そうだよな。そりゃあそうだよ。テスト前になってノート借りに来る奴とか、ムカつくに決まってる。分かっているけど他に頼める相手なんて思いつかないし、学生としてはセイジと対等な立場であるはずなので、俺は恥を忍んで頭を下げる。

 やめてください、と怒りを孕んだような声で制止されて、我に返った。


 そういえば、王族って簡単に頭なんか下げちゃダメか。


「授業なんかよりも……ご自身の立場を、もっと学ばれてください」


 御尤もな小言と共に差し出されたノートを有難く受け取って、授業開始のチャイムで俺も椅子に座る。セイジも納得のいかない顔をしまいながら、自分の席に戻っていった。あれ、このノート借りちゃったらセイジどう授業受けるんだろう。悪いことしたかな、と様子を窺っていたが、教師にあてられても涼しい顔で答えていたので、まあ大丈夫か。俺は自分のことに集中するべきだろう。

 ちょうど、法や政治に関する講義だ。ノートにはびっしりと、授業の内容だけじゃなく予習や復習の跡も書き込まれている。

 すげえ、ためになるな、これ。授業よりもよっぽど興味深い。目に見える努力って、きっとこんな形をしているのだ。


 今日、来てよかったなと思った。

 俺に足りないのは、授業を真面目に受けることでも、学園で民の様子を観察することでもない。


 だって授業の内容はとっくに家庭教師に教えてもらっているし、俺は「平民」の暮らしに、普通の王子ではありえないほど詳しいのだ。十八年間、妹と共に庶民の暮らしをしてきているから。

 でもアニシアは、十八年間サボってきたのだ。見ること、理解することを。自分と違う立場の人間がなにを憂い、なにを学び、なにを恐れ、どうこの国を変えていこうとしているか。知ろうとしないのって残酷なことだ。知ろうとしてもらえないのって、寂しいことだ。アニシアはそれを知らなくても、俺は、よく知っている。





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