第20章

────私、橘稚菜は簡単に言うと──疎外感を感じていた。

学友たちと馴染めない、周囲に合わせられるが、本当の自分ではいられない。

講義や、学食ではいつも誰かと一緒だけど、喫煙所では1人だった。

心もまた、1人だった。

馴染んでいる雰囲気を作るのは得意だ。うまくやっていくには、馴染んでいるように周囲に感じさせる、容易い。

人には言えない、少し暗い過去がある。

この本音を語り合える人がいれば、少しは違うのかもしれない。

だからこそ、先輩がいてくれて、私の支えになっている──依存してしまっている。

私には慈愛に満ち、大きな愛情で迎え入れてくれる家族と、先輩がいる。

しかしその先輩が、人としての道を脱線してしまいかけている。

話を聞いただけでわかった、あの先輩が巻き込まれてしまった集団は、暴力で"メダカ"に介入してくる組織のことだった。

彼が少し遠くへ歩みを進めてしまった。

あの晩の私の声かけで、彼はこちらへ戻ってきてくれるだろうか。

私が"メダカ"に入らなければ、よかったんだと、今は思う。

実際はどうだったんだろう、倫理観の欠ける"メダカ"での活動は、実際就活には上手く活きてくる。

私が間違っていたのか、それとも、あんなサークルを黙認している社会が間違っていたのだろうか。

いずれも、どちらにせよ、腹が立った。

自分自身が大きく、じわじわと蝕まれていく感覚が、ずっと抜けずにいる。

先輩は正義感が強いが故に、私への仕打ちの報復を試みたのだ。

私のために怒ってくれたのは嬉しかった、けれど、その怒りが正しいエネルギーとして転換されているのか、それはわからなかった。

その怒りが本物の暴力へと姿を変えた時に、私は、私はもう、どのように反応すれば良いかわからなかった。

彼が、正しいのか?

虚しさだけがどんどんと私を追い詰めてゆく。

先輩も、毎日こんな風に…優しすぎるが故になってしまった病に、巣食われているのだろうか。

そう思うと、彼のことを思うと、やはり救われてほしい、報われてほしい。

どうしていつも、優しい人ばかり苦しいめにあうのだろう。

どうして…一生懸命に生きている優しい人が、いつもいつも踏みつけにされるのか。

そう思うと、ふと涙が流れた。

彼のことを思うと───私自身のことを思うと、少し涙が流れてしまった。

社会は簡単に迎合してくれない。

一度レールから脱線してしまった人への救済が、ない。

このまま彼と繋がっていていいのだろうか。

私がこの社会からゴミのように棄てられないために、誰かに、ただ繋がっていたい。

そう思うと、私は携帯をとり、だから、彼に電話をかけた。



昨晩、私は一つ線を踏み越えた。

これで立派な、共犯者だ。

右腕が、全身が、筋肉痛のようになっていた。

体は強張り、緊張していたのだろう。

しかしその後にやってきた快感は、やはりとても心地の良いものだった。

怖い、と感じていた銃への抵抗が、薄れていた。

人は殺していない。

手段としての"めだか"を排斥しているのだ。

悪烈非道なD社に、制裁としての報復を、与えているのだ。

どう考えたって、正義だ。

私は正義の側にいる。

一線を越えた後は楽だった。

その時、安堵が私の全身を駆け巡った。

心地よさから笑みが浮かんだ。

腹が捩れるほどに笑った。

今でも思い出し笑いができる。

私は昨晩から一睡もしていない。

睡眠薬は飲んだ、しかし、眠ることができなかった。

激しい高揚感、アドレナリンが全身に分泌されていく感覚。

眠れるはずがなかった。


携帯が震えた。

バナからだった。

検閲をもう気にせずにかけられるほどに彼女は回復したのだ、よかった。あとは私に任せて、時が過ぎるのを待てばいい。

簡単だ、単純だ。

そう思い、通話に出た。

「やっほー、起きてた?」

「うん、寝てない、眠れなかった、起きてた」

眠ってないが故の高いテンションで話してしまった。

「眠れなかった?どうして?薬は飲んだの?」

「飲んだ、けど眠れなかった、ちょっと興奮しちゃってね、寝る前に観てた映画がすごく面白くて、感想をパソコンで入力してたら、朝になってた、あはは」

明るい口調で、嘘をついた。

もう特に"タガメ"について何か触れることもないだろう。

こちらから余計なことを言わなければ、彼女に不安を与えずに済む。優しい嘘だ、と思った。

「ホント…本当に?」

「ああ、本当さ、今からそのレビューを読もうか?」



────明らかに、テンションが昂っている。何かあったに違いない。わかりやすい、見え透いた嘘だ、そう私は思った。

もう、取り返しがつかないところまで来てしまっているのかもしれない。

「嘘、だね。やっぱり"アレ"関連?」

「違うよ、足を洗ったって。あんなとこ、いれたもんじゃないよ」

嘘だ。彼の中で決定的な出来事があったに違いない。

「こんなこと言いたくないんだけどさ」

言わなきゃ、先輩が取り返しのつくように、道を均さなきゃ。戻って、こさせなきゃ。

「なんか変わった気がする。優しさをどこかに忘れてきたでしょ」

「どこにさ、と、いうか俺には優しさなんてないよ。あったとしても、必要じゃなかったんだ、ちっとも、最初から」

確信に至った。何かをしたのだ。

急がなければ、これ以上過ちを犯す前に。

「それは、違うよ…あの時の先輩は優しさの塊みたいな人だった」

「そうかな、俺は、俺はそんな瞬間はなかったと思う。何か出来ればな、と思って手を握った。それだけだよ」

「それを、優しさって言うんだよ。急に押しかけても怒らないで、ただただ私の暗い話を聞いて、私のために泣いてくれて、それのどこが優しさじゃないの?」

「そうなのかな、自分ではわからないや」

口調も、いつもと違う。どこか棘がある。

「また、対抗勢力のところ行ったの?」

「行ったんじゃない、来たんだ、ウチまで。それで連れて行かれて、またそれを見ていた。それだけさ」

やはり、まだあの団体から抜け出せずにいるのだ。

私は、ガッカリした。

あんな優しかった先輩が、自分を見失って、途方に暮れているのが残念で仕方なかった。

「見ながら思ったよ、綺麗事はこの社会を変えない。変えるのなら、とっくに変わってたっておかしくないんだ。それでも、正しさって、行動で示すものでしょ」

「間違った行動で?」

皮肉めいて言った、間違っていると、認識させなければ、と思った。

「間違ってる…ってどこから?それって俺が決めたこと?」

淡々と、高揚しているような声で彼は言った。寝ていないのだ、これくらいのテンションになってしまうだろう、飲み込まれたり、カッとなってしまってはいけない。

「もう、止められない?」

少し踏み込んだ一言を言ってしまった。

怖い、頼むから、間に合ってほしい、そう願い、目を閉じた。

「止まるも何も、俺は動いてないよ。正しさの中にいる。これが答えだと思う。だから、バナには安心してほしい。あとは俺に任せて、バナは、時間が過ぎるのを待てばいい。また飲みに行こうね」

彼は淡々と、重たい事実を自白した。

ああ、まずい。飲み、飲みだ、そこで直接会って、止めなければならない。

「次、いつ空いてる?」

「最短で明日かな、今日はバイトだけど、明日は休みよ」

「明日、私もちょうど予定ない。13時から、『いつも』の店行こう、ハッピーアワー、満喫しちゃおう」

「おおー、わかった、了解了解」

「じゃあ、また明日」

「おう、また明日」


そう告げると、先輩は通話を切った。

踏み込んではいけない所まで足を運んでいる、間違いない。

引き返せるところにいてほしい、私はそう強く願い、携帯を置き、水を飲んだ。


────バナが終始何を話しているのかわからなかった。

確かに嘘はついたが、心を癒す嘘だ、それもありだろう。

優しさなら、嘘も優しさだ。彼女の心を傷つけるより、真実を誤魔化して伝える方がよほど誠実だ。

嘘も方便、それが彼女の心を守るのなら、私は何度でも嘘をつく。

彼女の知らないところで、私は彼女を踏み躙ったD社に制裁を与えるのだ、優しさがどうとか、なんのことだったんだろう。

なんにせよ、一つ楽しみが増えた。

明日はバナに会えるのだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る