第6章

気がつけば雨は止み、風の音と屋根から垂れる雨音が部屋中に響いていた。

隣人が洗濯機を回す音で目が覚めた。


それと同時にまた携帯が震えた。

バナからである。

1時になる少し前、この間もこの時間だったなと思い、通話に出た。

彼女の声は酷く疲れた声で、初めて聞くような声だった。

「やっほー、起きてた?」

明らかに疲れきっている声に驚きながら、起きていたよ、と返した。嘘をついた。

「いやー、疲れたよ。学校行ってサークル出てから彼氏と会って、もうヘトヘト。リフレッシュにはならなかったなあ」

フーッとタバコを蒸す音が聞こえた。きっと帰り道なのだろう。

「お疲れ様、ハードスケジュールだったんだね」

「うん、ハードスケジュールだった、疲れたー」

どこか鼻声で、鼻をすする音が電話越しに伝わってきた。

「うん…疲れた…朝からだったから」

「それでこの時間か、しんどいね」

「こんな話するべきかわかんないんだけどさ」

と彼女は前置きをし、続けた。

「今日彼氏と別れちゃって」

驚きだった。

なるほど、その鼻声と鼻をすする音は泣いていたからか、と瞬時に理解した。

それも、相当泣いているような声だったからだ。

「なんで、あんなに仲良さそうだったじゃんか」

「"メダカ"のこと知られちゃって、そこから相当ギスギスしてたの」

「サークル活動に文句言ってたの?」

「それもあるの、大体全部私が悪いんだけどさ、会える時間が少ないとかずっと文句言ってて」

「そっか、辛かったね」

また、鼻をすする音が聞こえた。

「私が悪いんだけどさ、それでもやっぱりちょっと辛いよね」

笑って誤魔化そうとしながら、声は震えていた。

「そりゃそうだよ、長かったもんね」

「大学出たら結婚の話もあったの、それくらい好きだった」

彼女の声は震え、また今にも泣き出しそうな声だった。

なんと声をかけていいのかわからない。

うんうん、と相槌をうつしかなかった。

無力だ。

バイトに顔を出せないくらい、彼女は忙しかったのだ、彼氏と会う時間を設けることも困難だったのだろう。

「別れたのも辛かったけど、私サークルももう嫌になってきちゃって」

「時間たくさんかけてるっぽいしね。疲れるしね」

いつも気丈に振る舞う彼女からは想像もつかないほどの弱音だった。

「サークルの友達が…」

「うん」

「先輩に酔わされて」

昼間の大男の話が頭をよぎった。

素直に嫌な予感がした。

凄惨な話があった。とてもではないが、大学生としては、学生生活が続けられなくなるかのような話だった。

嫌な予感は的中した。

こんな時にだけ冴え渡る勘に嫌気がさした。

「私も何回か先輩に誘われて、全部断ったら、そしたらどんどんサークルの中で立場なくなっちゃって」

「うん」

拳を握りしめた。やはりそういうサークルなのだ、ついぞ眠気に襲われていた私の目はパキパキと冴えていく。

「私もそんなことになってたらどうしただろうって怖くなっちゃって、本当に辞めようかなって」

どんどんとか細くなっていく彼女の声は、本当に怯えていた。

「その子、今後もしかしたら体に異変が起きて、どうなるかわからないらしくって、そんな風になるの、怖すぎて、私どうしたらいいかわからなくて」

既に私の怒りのボルテージは絶頂にまで達していた。感情が声に乗りすぎないように、冷静に話を進めた。

「就活に繋がるサークルとはいえ、あまりにやりすぎだよ。そんなサークルは許されない、辞めるべきだよ」

「就活に繋がるって…なんで知ってるの?」

「今日知る機会があったんだ、本当に偶然なんだけどね」

「そっか、私が教える前に知っちゃったんだね」

「本当に偶然だったんだ、全く関係ないと思っていたところから"メダカ"の話を知ったのよ」

「じゃあ、なにしてたかとかもわかっちゃった?」

「100%とは言わないけれど、概ねは聞いたよ」

「そっか…どこまで聞いたかわかんないけど、先輩にはあんま知られたくなかったな…軽蔑するでしょ、私のこと」

「そんなことない、むしろ、今日までよく頑張ったよ。俺は尊敬する。バナがどんなことしたかまではわからないけれど、だとしても過酷な道のりだったはずだ、そんな状況になるまで頑張った君のことを誰が軽蔑するんだ」

静寂の中で、微かに泣き声が混じっていた。明らかな泣き声が。

「どんなことをしたか、させられたか、わからない。ただ辛かったであろうことはこの電話でよくわかった。辛い時に電話してくれてありがとう。家までちゃんと帰れそう?」

ヒックヒックと呼吸の乱れが混じりながらも「うん」と返答があった。

「明日空いてる?」

「…空ける…」

「そっちまで行くからさ、会って話をしよう」

「うん」

彼女の涙は止まらなかった。

電話越しでもわかるくらいに。肩を振るわせながら、泣いているであろうことがわかった。

私は、沸々とした、しかし静かに腹わたが煮え繰り返るのを感じた。これほどまでの不快な怒りは感じたことがない。

彼女の幸せを妨げ、また、ここまで悲しませた"メダカ"に激しい怒りを覚えた。横たわっていた体を起こし、膝を抱え、彼女の泣き声をただ聞いていた。

「落ち着くまで泣こう。一旦全部吐き出そう」

彼女は返事もできなかった。

嗚咽混じりの泣き声は、夜の風に流されることはなかった。



「ごめん、もう切るね」

辛さが限界を越えて、居た堪れない気持ちになったのだろう。

私は止めることなく、わかった、と受け止めた。

「明日も会えたら、でいいからね。」

「ううん、会う」

「わかった、13時ごろそっちに着くようにするね」

と、約束を交わし、通話は途切れた。

私は通話が切れたと同時に、張り詰めていた気持ちの糸がプツンと音を立てて切れたのを感じた。

まずは涙が出た。泣いた。泣くにないた。当事者でもない自分が、ワケもわからずに泣いた。

この憐憫の涙は、すぐさま怒りのエネルギーへと転換された。

枕を持ち、ただただベッドのフレームに叩きつけていた。

物に当たる、悪い癖だ。

それでも怒りは発散されなかった。

彼女を脅かすサークルであるとわかった以上、私はどれだけ健全であろうが、不健全な側面を持つ"メダカ"は何がどうあっても排斥しなければならないと決意した。

明日、バナと会った後必ず"タガメ"に連絡しなければならないと深く決意した。

テロ組織の一員になるのだ、と覚悟を決めた。

深く深呼吸をし、水をコップ一杯飲み切り、睡眠時の頓服薬を複数錠飲み、気絶するように眠りについた。

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