第4章
それから程なくして、バナは古本屋でのシフトを減らした。
彼女と会う機会は劇的に減り、タバコを吸うことも、酒を飲むこともなくなっていった。
サークルの方に行っているのだろうと簡単に推察することができたので特に連絡をとることもなかった。
数ヶ月が経ち、半袖の時期から長袖のシャツを着る季節になった。
古本屋で時折"メダカ"について問い合わせがあったが、ない旨を伝え、次第に私も"メダカ"について何も疑問に思わなくなっていった。
或る日、私は借りていた本を返しに図書館へと足を運んでいた。
長袖ではまだ暑く、半袖では少し涼しい、そんな日であった。
本の返却を終えて少し図書館の中をぶらついた際に「メダカの飼育方法」についての本があったため、立ち読みをした。
メダカは案外丈夫で、簡単に飼育できる。
そんな内容だった。
ただやはり川が汚れたり、コンクリートの用水路などでは生きていけないそうだった。
大きな図書館であるため、時間を忘れてホコリまみれの館内を歩き巡った。
一時間ほどして退館しようと出口まで行ったところに社会人サークルの貼り出しがあることに気がつき、足を止めた。
そこにはシニアのバンドメンバー募集であったり、茶道、花道などの張り紙があった。
こういったモノに入るにはまだ幼すぎるかな、と立ち去ろうとした時、募集の紙の下にもう一枚紙があるのを見つけた。
それをめくると、"タガメ"というサークルの募集であった。
毎週金曜12時、大卒、公民館、とだけあり、一番下にQRコードがプリントされている、募集の紙としてはあまりに情報量が少なく、シンプルすぎるチラシだった。
"メダカ"の天敵は水生昆虫であると読んだばかりの私は「"メダカ"の逆だ」と思い、ふとQRコードを読み取り、ページを開いたまま図書館を後にした。
彼女と会わない日々が続き、いよいよ半袖のシャツだけでは周囲から浮くようになった頃に、友人とシメでこの街の一番美味いラーメンを食べていた時である。
通されたカウンター席の横に「メダカ 飼いませんか」と書いてある水槽があった。
容器さえ持ちこめばもらったメダカの飼育ができるらしい。
これは本当にメダカを提供するだけのサービスのようだ。
ラーメンを啜り終え、丼をカウンターに置き、退店しようとした時である。
店員が私に丼をカウンターに置いた礼をした後にふと店員が言った。
「メダカ、興味ありますか?」
「いや、最近よくメダカを見かけるもんで、つい気になって」
「それはいいことですね、是非容器を持ってまた来てください」
「はあ」
「それか駅前のビルの6階にメダカ屋があるのでそちらでもご提供しているので、ぜひ!」
あのエスカレーターを使った時に見た"めだか"のテナントのことだと瞬時に理解した。
「あそこは誰でも入れるんですか?」
「もちろん、お客様は学生さんのようですし、歓迎されると思いますよ」
小柄な私を見て学生と勘違いしている様子だが、特に訂正する理由もあるまい。
「時間がある時に行ってみます、ごちそうさまでした」
「はい、いい食べっぷりで!励みになります!またお越しくださいませ!」
威勢のいい挨拶を背中で聞きながら退店した。
友人と別れ、部屋に戻り、シャワーを浴びた私は"タガメ"の募集フォームのページを開き、次の金曜日に体験の申し込みをし、睡眠薬を飲み、うつらうつらとしながらタバコを吸い、床に着いた。
次の朝(と、言っても10時だが)、アルバイトの時間までに昨晩教えてもらった"めだか"の店に行ってみようと思い、身支度をした。
すっかり日差しも落ち着いた昼下がりに、私は教えてもらったビルまで歩みを進めた。
ほんの10分でそのビルまで到着し、入り口を探した。
だが、なかなか入り口が見つからない。
見つけた入り口はビルの裏側にあり、簡単には見つけられない所にあった。
エレベーターで6階まで上がり、扉が開けばもうテナントの中だった。
しん、と静かな店内は水槽の中にあるポンプが発するぽこぽこという音だけが聞こえていた。
ぽこぽこという音の中に明らかに大きな音でぼこぼこと音が聞こえた。
無数にある水槽の中からその音の主を見つけることは不可能だった。
店の主も出て来ず、ただのメダカショップであることを確認して帰ろうとしたタイミングだった。
チンというエレベーターの到着する音が聞こえた。
店主だろうか、また私とは別の客か、何も悪いことはしていないのに私はひょいと水槽の陰に隠れた。
すると若い女性集団の声が聞こえ、その後すぐに声はしなくなった。
どこへ消えたのか。エレベーターは6階で止まったままで、ぽこぽこという静寂だけが残った。
見渡す限り、ドアやその類のものはない。
ではなぜ、声の主たちは消えたのか、幻聴にしてはエレベーターという物的証拠もある、しかし消えたとしか言いようがない。
私は背中の産毛がぞわっと逆立つのを感じ、急いでテナントから出た。
今日のシフトにもバナはいなかった。
私は制服に着替え、出勤までの間をタバコで埋めた。
今日は木曜日、忙しくなることはないだろう、と悠然としていると、社員が喫煙所のドアを開けて入ってきた。
挨拶を交わし、何気のない話をし、出勤の時間になったため喫煙所を後にした。
夕礼で客からのクレームがあった旨を聞き、気をつけるように、と各スタッフに伝えた後だった。
「最近お客様からお問い合わせの多い"メダカ"の件ですが…」
"メダカ"だ
「魚の話ではないことがハッキリしましたので、"メダカ"についてお問合せがあった場合はまず「魚」なのかを確認してからお話を進めてください。そうではない場合はこちらではお取り扱いのない商品です。と必ずお伝えください」
私以外にも"メダカ"について問い合わせを受けたスタッフがいるのだ、先程の"めだか"でのことを思い出し、社会現象になりつつあるものなのだと認識した。
その古本屋の周りには有名私大がいくつもある、おそらくその学生たちが"メダカ"の話を聞き、自分も…と思い"メダカ"について知りたがっているのだろう。
サークルに対してそこまで熱意を持ちヒントを得ようとしているのはなぜなのだろうか。
アルバイトを終え、いつもの喫煙所でぷかぷかとタバコを蒸し、煙で充満した部屋の中で私はバナについて考えていた。
茶目っけがあり、どこかミステリアスなところがある彼女のことだ、どこに行ってもきっと彼女は世渡りもうまくいっていることだろう。
簡単に連絡をとれれば、と思うが彼女は連絡を滅多に返さない。
会いたい気持ちに溺れ、何度も「飲みに行こうよ」と文字に起こしては消していく。
帰路につき、いつもの曲を聴き、部屋に戻った。
"めだか"の店に行き、不思議な現象を後に、普段通りのアルバイトを終え、凡な一日を過ごした私は疲労困憊だったのでシャワーを浴び、夕食をとらないまま眠りにつこうとした。
それが23時ごろの出来事である。
明日は昼から"タガメ"の見学がある。
睡眠薬がじわじわと効いてきて体も思うように動かなくなった時間に、ふと電話が鳴った。
深夜1時である。バナからだ。
「やっほー、起きてた?」
「寝る手前だったよ、どうしたの、久しぶりじゃん」
「お、悪いことしたね、じゃあ切ろうか」
久々に聞く彼女の声は酒焼けした声で、聞き慣れていて心地の良いものだった。
「いやいや、せっかく起こしたんだから最後まで話そうよ」
「んー、家まであと15分くらいだから家着くまで話そー」
「全然いいよ。今日は飲んでたの?」
「そうー、サークル飲みでねー、疲れちゃった」
「最近忙しいんだ?」
「うんー、忙しい。久しぶりにお酒飲んだよ」
「結局のところ、"メダカ"は何をするサークルなのよ」
今なら聞き出せると思い、薬の効いた脳で搾り出すように問いかけてみた。
「えー、飲んでないでしょ」
「酔っ払ってるようなもんだよ、寝る前の薬飲んだからさ」
「うーん、なしだね」
どうしても口を割らない。
「でも結構地方行ったりとか、私の地元戻ったりとか、とにかく移動が多いんだよねー、だからなかなかバイトの方顔出せないや」
「活動的だね、営業マンみたい」
「それなー」
と言い彼女はケタケタと笑う。
「でも行ったことないとこ行けたりしてすごい楽しい…楽しいんだけどね〜」
「なにか不満があるの?」
「まあ、ちょっとね」
彼女らしい返答である、何か含みを持たせて発言する。お得意技で躱されてしまった。
「息抜きがてら週1日だけでも出勤したら?」
「そうすると休みがなくなっちゃうのよ、さすがに大学生に遊べる1日がないのはしんどいよー」
大人びた中にある少女性が時折垣間見えるところが、やはりまだ大学生である。
「あー、家着いちゃったや」
確実にタバコを吸っている息の吐き方をした。
「ごめんね起こしちゃって」
「全然」
「声聞けてよかったー、また飲みに行こうね」
「"メダカ"抜きの飲みなら大賛成だよ」
「それだとおもしろくないじゃーん!」
ケタケタと笑いながら彼女との通話は終わった。
1時半である。
声が聞けてよかった、私もそう思いながら眠りについた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます