第28話 家庭の事情

「ヴィリム!!」


 怒りが込められた声が、訓練場に響き渡った。

 この村の成人男性の声量は凄まじい。

 反射的に肩が跳ね上がった。

 僕はびっくりしてその声の方を見ると、そこには朝方見かけたばかりのヴィリムくんのお父さんが鬼の形相で立っていた。

 僕は何事かと思ってヴィリムくんを見ると、そこには顔を青くした彼がいた。


 黙ったままヴィリムくんを睨み続けるヴィリム父。

 「来い」と、言外に語るその姿にヴィリムくんは立ち上がると、怯えたように自分の父の元へと歩き始めた。

 その足取りは非常に重たい。


 ヴィリムのお父さんは自分の元まで来た息子に向かって拳を振り上げた。

 ヴィリムくんが口から血を吐きながら吹き飛ばされた。


「は?」


 僕は自分の目を疑った。

 ヴィリムくんが殴られたことに、じゃない。

 彼を殴りつける瞬間のあの人の目が信じられなかったのだ。

 その目は苛立ちとどこか滲む憎悪が感じられる。

 決して自分の息子に向けるような目ではなかった。


 お父さんは立ち上がれないまま呻くように地面に転がるヴィリムくんの襟元を鷲掴むと、そのまま引き摺って歩き出す。

 そして一瞬、僕と目があった。

 その目はこちらを強く睨んでいた。


 僕も父に殴り飛ばされることは多々あれど、それは訓練下での出来事ばかり。

 それ以外であれほど強く、立ち上がれないほど強かに殴るというのは、僕の目から見ても少し異質に映った。


「あの子の家のお父さんはすごく厳しいって有名」


「ユエ……」


 ユエがいつの間にか僕の隣に立っていた。


「お母さんがいないから大変なんだってママが言ってた」


 そんな事情があったなんて。

 ユエから教えられたヴィリムくんの家庭の事情。

 だけど、それでも僕にはそれだけではないような気がしてならなかった。

 あの目は、そんなものではない。


「リオン。少し怖い顔してる」


「え、ご、ごめん」


 ユエのその言葉に僕は自分の顔を手でぐにゃぐにゃと解して口角を上げた。


「これでどう?」


「今度はアホっぽい」


 酷いな。


 ユエの辛辣な言葉に傷心している中、一人の少年が僕たちの元へとやってきた。


「すごいな、リオン。ヴィリムに勝つなんて」


「ポランくん!」


 僕にそう話掛けてきたのはポランくんだった。

 訓練が終わって少し経つが、彼は端で一人黙々と素振りを繰り返していた。

 他の子たちは揃って地面に寝そべって疲れ果てている中、ポランくんとヴィリムくんは元気に動けているのだから二人は本当に別格だ。


「偶然ダよ。僕は気絶して訓練受けられなかっタから体力は余ってタし」


 エクルットさんとの戦いでの精神的な疲労は大きかったが、体力的な面で言えば僕はフル充電に近かった。

 どちらが有利不利を語るつもりはないが、結果を見れば僕の方が有利だったのかもしれない。


「いや。最後のあれはすごかった。エクルットさんが見せてくれた奴に近い感じだったけど、真似したのか?」


 離れていたにも関わらず、ポランくんには見えていたようだ。

 一体どんな視力してるんだろうか。

 その観察眼も流石としか言いようがない。


「無我夢中ダっタから、僕もあまり分かってないんダ。ダからそれも含めて偶然ってこと」


「積み重ねに偶然はないって思うけどな」


 なんて含蓄めいたことを言う九歳児だろうか。

 僕たち世代の有望株は、体格や強さだけでなく、思慮深さにも将来性があるらしい。

 流石は将来のリーダーだ。


「俺ともやるか?」


「勘弁してくダさい」


 いたずらっ子のような笑みを僕に向けたポランくんに、僕は頭を下げて遠慮願った。

 少し残念そうにしているが、その体力は一体どこからきているのだろうか。

 歳不相応なそのバイタリティーに僕は驚きつつも、ポランくんにひとつ聞くことにした。

 それはヴィリムくんのこと。

 周りに慕われている彼なら、ヴィリムくんのことも詳しく知っているかもしれない。


「ヴィリムくんのお父さんっていつもあんな感じなの?」


 僕の質問に、ポランくんは中々口を開いてくれなかった。

 気まずいことを聞いてしまったか。

 僕は自分の質問を取り下げようとした時、ようやくポランくんはその口を開いてくれた。


「あいつの所の親父は少しおかしいんだよ」


「おかしいって?」


 そう思うのは僕だけではなかったようで少し安心する。

 しかし、その問題点もポランくんの態度からして、あまりいい内容ではなさそうだ。


「とにかく厳しいんだよ。厳しすぎる。ヴィリムはずっと、休む間もなく家で剣振ったり、魔術の勉強をさせられてる。多分今も自分の庭で素振りさせられてるだろうな」


 この村で生まれ育った生粋のスパルタンなポランくんでも異常だというヴィリムくんに課せられた練習量。

 僕はヴィリムくんの目の下に目立つ隈を思い出して、ポランくんの言葉が腑に落ちた。

 確かにそれは異常だ。

 いくら子どもに苛烈な試練を与えることを正義とするこの村の習慣であっても、時間的加減というものがある。

 成長期の子どもを過度な訓練時間で縛り付ければ、それはその子どもの成長過程に毒を垂らすことになる。

 それは強い戦士へと育て上げることを理念に掲げるこの村の考え方に反する行いともいえた。


「昭和かよ」


「ん?しょう……なんだって?」


「なんでもないよ。ありがとうポランくん」


 ヴィリムくんの様子は明らかにおかしかった。

 目の下の隈。

 あの怯えよう。

 そしてポランくんの話を聞いた今、あの戦いで見せられた成長速度が将来性の食いつぶしによるものであると、そう考えさせられてしまった。


 嫌な気分になる。

 いつの世だって、子どもが苦しみ泣く姿は我慢に耐えがたい。

 だからと言って僕にはなにもできない。

 それが少し、悔しかった。


「じゃ、俺は帰るな。腹も減ったし」


 ぐぅぅ、と元気よくお腹を鳴らしたポランくんがニカっと笑って踵を返す。


「そろそろユエに睨まれてるのもおっかないしな」


 彼は最後にそう言い残して自分の家の方向へと走り去っていった。


「ユエ?」


 ポランくんの言葉が気になった僕は隣に立つユエを見る。

 そこには僕をジト目で見る彼女の姿があった。


 なんか怒ってる?


「ユエ……?」


「ポランと話してる時の方が楽しそう」


「え……いや、そんなことは……」


 ないと言いたいが、やっぱり同性と異性とでは話しやすさが違う。

 ユエと話すのが楽しくないということは決してないが、気風の良いポランくんと話す楽しさというのは別種の良さがある、と僕は思う。


 それをどう言葉にしようかと、僕は悩む。 

 どっちも貶めるようなことは言いたくないし、伝え方をミスればユエを不機嫌にさせかねない。


「ユエと居る方が、僕は落ち着くよ」


 だから本音で話をすり替える。

 交流の長いユエと一緒に居る方が居心地が良いのは本当だ。


「ふーん。わかった。そういうことにしておく」


 見透かされてそうだった。

 ユエが僕に背中を見せて一人で帰り始めたのを見て、怒らせてしまったかと焦り言葉を探す。

 しかし、僕はその足取りを見て首を傾げた。


「ま、いっか」


 ユエが怒っているようには見えなかった。

 彼女の少し嬉しそうな軽い足取りを見て、僕はそう思った。


 さて、エクルットさんの所にでも行ってみるか。

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