第19話 託された宝物
小さな白い虎が一生懸命に鳴いていた。
まだ目の開いていない、生まれたばかりであろう子虎だった。
僕は予想だにしていなかったその光景に、思わずその場で硬直してしまった。
子どもがいたのか。
僕らは間違って、子どものいる虎の巣穴に入り込んでしまったのか。
子虎の大きな鳴き声が酷く耳に痛い。
どうして……
僕は疑問の眼差しを動かなくなった白虎に向けた。
「なんで、本気で攻撃してこなかったんだよ」
あまりの動揺に日本語がでてしまう。
この白虎の持つ力はどう考えても、僕とユエが力を合わせたところで、到底敵う相手などではなかった。
白虎はずっと手加減していたように思う。
まるで僕らのことを品定めするかのように、あの目で。
「目……」
僕は戦闘中の白虎の目を思い出した。
「初めからずっと瞳孔が大きく開かれていた」
僕はまさかと思い、白虎の体を調べ始めた。
毛をまさぐり、その体の状態を初めて知る。
立派な獣毛のせいで分からなかったが、その体は酷くやせ細っていた。
「おまえ、もしかして」
僕の頭に馬鹿げた仮説が浮かび上がる。
思えばおかしなことだらけだった。
ヴィリムくんはこの巣穴からこの白虎の唸り声を聞いて、怯えて帰ってきたという。
つまりはユエが落ちてすぐに、この白虎はその存在に気付いていたはずなのだ。
数十分も無事でいられる筈がない。
この白虎が見逃さないかぎり。
そして戦いの最中の瞳孔もそうだ。
僕はてっきり暗い環境に適応するための光量調整かと思っていたが、戦闘中に瞳孔の大きさが広がることはあれど、その逆はなかった。
そしてこちらの様子をじっと窺うあの様子。
そのあり得ない予想が正しいのだと僕の勘が言っていた。
「お前は僕に、この子を託そうと考えていたのか?」
ふざけた妄想だ。
魔物が人間に自分の赤ちゃんを託そうなどと考えるなんて。
しかし、白虎に残された時間が少なかったとしたら、親ならば、一縷の望みを遺して自分の赤ん坊を人に託そうとするのも……あり得るのかもしれない。
そう考えれば、白虎が僕の様子をずっと観察していたのも納得がいく。
白虎は、彼女は彼女なりに僕の人間性を見定めていたのだろう。
僕は冷たくなった白虎の体から手を離して、鳴きやまない白虎の近くにそっと近づいた。
親の体から温もりが抜けていくのを感じ取ったのか、一際一生懸命に子虎が泣き始めた。
胸が、締め付けられる思いだった。
子虎に手の届く距離まできた。
僕の存在に気付いたのか、一瞬鳴き止むと子虎が怯えたように身を竦ませた。
そしてまた、親を呼ぶように鳴きながら、冷たくなった白虎の体の下へと潜り込んでしまう。
「ダいじょうぶ。怖くないから」
どの口が言っているのか。
親を殺した張本人だ。
この子にとって僕は親の仇そのものだ。
「ほら、おいデ」
それでも僕は出来るだけ優しく子虎へと言葉を掛ける。
自己嫌悪に陥りながらも、僕は良い人の仮面を被って、子虎を招く。
怖がらせないために、ゆっくりと指を伸ばした。
目の見えていないこの子のために、指を鼻に近付けて自分の匂いを嗅がせるために。
最初、怯えたまま親の腹から出てこなかった子虎が、ようやく僕の指に釣られてその姿を現した。
まだ毛も生え揃っていない、生まれたばかりの本当に小さな赤ちゃんだった。
僕はようやく警戒心を弱めてくれたその子を、傷つけてしまわないようにゆっくりと、大切に抱き上げる。
母親とは打って変わり、その小さな体は本当に温かかった。
母親から離されて不安に思ったのか、子虎が横たわる親の方を向いて、また鳴き始める。
僕はどうしていいか分からないまま、必死にその子をあやした。
この子の親を殺した張本人である僕が、だ。
耳に痛いほど鳴き続ける子虎。
僕はどうしたらいいか分からず、その小さな体を僕の体でぎゅっと包み込んだ。
白虎の臭いに反応して鳴いていると思ったから。
いや、本当は罪悪感から逃げたかっただけなのかもしれない。
自分が殺した親虎の前で、必死に鳴き続けるこの子の姿に耐えられなかっただけだ。
僕は自分の小さな体で子虎を包むも、僕の小さな体では覆い切れず、この子の鼻を隠し切れない。
だから僕は親虎に背中を向けて、この子をあやし続けた。
どのくらいたっただろう。
もう、耳を塞ぎたくなるような鳴き声はなくなった。
ようやく僕に対しある程度の安心感を覚えてくれるようになったのか、腕の中で静かにしてくれるようになった。
しきりに僕の臭いを嗅いでいた子虎が、鳴き疲れたのか、僕の腕の中で寝息を立て始めた。
「リオン!」
洞窟に母の声が響いた。
ユエが呼んできてくれたのだ。
「リオンっ。良かった無事ねリオ────リオンッ!?」
僕を見た母が安心したようにホッと胸を撫で下ろした直後、心配した様子で僕の元まで急いで駆けてくる。
「大丈夫よ……大丈夫だから。もう怖くいないから。だからリオン─────もう泣かなくていいの」
母が優しく僕を抱きしめてくれた。
でも、違う。
「僕が、この子のお母さんを殺しちゃっタ。この子を一人にしちゃっタんダ」
「リオン……」
酷い、酷い罪悪感の中、小さな命を腕に抱いて、母の胸で僕は泣いてしまった。
しょうがなかったことだとは理解している。
この子の親は、この白虎はもう、それほど長い命ではなかったことも。
それでも僕は、この子が一人になってしまった事実に、それをしたのが僕であるという現実に、僕は耐えることができなかった。
大人なのにみっともないと、僕は自分に恥じる余裕もなく、子どものように母に泣きついた。
「優しい子ね。リオンは。とっても」
頭を撫でる暖かい手と母の柔らかな声を遠くに感じるようにして、僕は意識を手放した。
◆
次に目を覚ましたのは、またも自宅のベッドの上だった。
父との訓練でも気絶することは少なくなったというのに、またここ最近は気絶する頻度が高くなっているような気がする。
僕は重たい頭を持ち上げて、ベッドから起き上がる。
「リオン!」
「わぷっ」
僕は突然自分の視界を覆った固い謎の物体に抱き着かれた。
鼻が物理的に潰れる。
「うえ、いふぁい」
僕は声でユエだと判断して、彼女の背中にギブアップだとタップで伝えた。
「ごめんなさいっリオン。私のせいでっ」
珍しく泣きそうな程にテンパっているユエは僕を離すつもりはないようで、彼女の拘禁力はますます強くなっていく。
「うえ、らいよううらから……」
タップする手を強くする。
しかし……
「ぐる……じ……」
「リオン?リオンっ」
僕は再び眠りに就いた。
「ごめんなさい」
落ち着いたユエがしょんぼりと僕に謝ってきた。
別に怒ってないからいいけど、グッジョブサインよりも前にギブアップのサインを伝えるべきだったか。
僕はユエに抑え込んだ相手が自分の体のどこかを数度手で軽く叩いてきたらそれはギブアップのサインだからすぐに開放するようにと教えてあげた。
首を傾げていたが、きちんと伝わっているとそう信じたい。
そうしてユエは僕が気を失ってからのことを教えてくれた。
僕をこの家に運び込んだ後、あの山は一時的に大人たちの手によって封鎖されたらしい。
脳の皺が筋肉のカットで出来たようなこの村の住人からしたらあまりに合理的な判断で、僕は思わず自分がまた別の常識的な世界に転生したのかと、一瞬希望を抱いてしまった。
残念ながら普通にそんなことはなく、この脳筋民族でもヤバいと言わせるお相手さんだったのだと、ユエの口ぶりから分かった。
……あの白虎に、子どもを託せるような人間でないと判断されていたら、とそう考えて改めて血の気が引いてしまった。
良かった。日頃の行いがよくて。
そして僕は自分が託された小さないのちを思い出してベッドから飛び上がった。
「リオン。まだ安静にしていないと─────」
「あ゙の子は!あの白虎の赤ちゃんは!」
「……あの子は……残念だけど」
「ッ……お母さん!」
僕は部屋から飛び出して母を呼んだ。
この村の人間たちでも警戒するほどの魔物だ。
もしかしたら村の誰かの判断であの子は─────
「あらぁ、元気に飲んでるわぁ」
「かわいいー。あ、もう口から零してー。ミルクは逃げないですよー」
「うふふ、本当にかわいいわぁ」
ズサァーーー。
ママ友会のマダムたちに甲斐甲斐しくお世話されてました。
「リオンよりずっと可愛がられてるから心配いらない」
「それを先に言っテよ」
僕は床からしばらく起き上がれなかった。
でも本当に良かった。
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