第6話 退屈な英雄伝

 今年で三歳になった。

 相変わらず父のスパルタは度を越している。

 帰ってくる度に落とされる段差の高さは増していくばかり。

 今ではちょっとした崖から転がり落ちる毎日だ。

 そのおかげか、受け身の取り方だけは異常に上手くなった。

 痣どころか、切り傷一つ許していない。

 前世なら超一流のスタントマンとして子役デビューすることができるだろう。

 映画会社が受ける世間からのバッシングは想像を絶するものになるだろうが。

 

 そんな虐待染みた教育にも飽きが来ていた頃、父が僕に新たな虐待教育を持ち込んだ。

 それはこの村の中を走り回る事。

 なんとも子供らしい教育かと思ったが、その距離とペースが異常だった。

 子供の足と心肺機能の限界ギリギリ──どころかそれを一歩踏み越えた強度を強いられるのだ。

 それだけでもキツイというのに、今度は悪路という環境が襲い掛かってくる。

 当然村の中を自由に駆け回るなんてことは許されず、父の決めたコースを走らされる。

 そのコースの地面が意地悪で、でこぼこが酷いのだ。

 大人なら無視できるような小さな凹凸も、子供の小さな足ではそれも難しい。

 踏み込み方は間違えれば、すぐに足を挫いてしまいそうなほどな悪路に苦戦を強いられた。

 案の定、初日に足首を挫いてしまって、その日はコースの半ばで断念。

 強制的な休養となった。

 走らなくていいと、喜ぶのもつかの間。

 足首は僅か一日半で治ってしまった。

 恐るべし幼児の回復力。

 何度も足首を挫きながら、何度も息絶え絶えに倒れても、父の虐待教育が緩まることはなかった。

 そんな地獄の日々も二か月が過ぎると、余裕が生まれるようになった。

 足首を挫くこともなくなったし、心肺機能も向上した。

 体の使い方が上手くなったのが大きいのだろう。

 足首を挫かなくなったのはそれが大きな要因だと思う。


 いつものランニングの途中、母親といるユエと目があった。

 相変わらず僕の方をちらりと見ては、すぐに目を逸らしてしまう。

 嫌われたかな?

 そう考えるとランニング中の体が重くなる。

 ユエとはあの日初めて話してから、時々親同士の世間話の際に顔を合わせている。

 だからと言って、特段仲良くなるなんてことはなかった。

 ユエが僕から逃げるように、いつも母親の後ろにしがみ付いて隠れてしまうからだ。

 本当に嫌われたのだろうかと、いつも必死に理由を考えるも、思い当たる節は見つけられない。

 髪……かな……?

 伸び始めた自分の髪を摘まんで考える。

 この村の住人の髪色は基本的に白~銀髪の間。

 特に若い女性は綺麗に輝かんばかりの銀髪が多い。

 僕の母さんもユエもその例から漏れない。

 しかし、僕の髪色はこの村で唯一の例外。

 前世の自分を彷彿とさせるような黒髪だった。

 そんな周囲とは違う髪色をした僕を怖がっているのかもしれないと考えると、少し寂しい気持ちになる。

 しかし、相手はまだ分別のつかない小さな子供だ。

 奇異に思われていたとしてもそれを非難するのは違うだろう。

 実際、大人たちはそんな僕を他の子と変わらない扱いをしてくれる。

 崖から突き落とすのを手伝ってくれたり、思いっきり投げ飛ばしてくれたり。

 最近ではコースの途中でへばる僕を後ろから背中を強く押して無理やり走らせてくれたりと、何かと手を焼いてくれている。

 僕はそんな彼らに将来、同世代の子どもたちを纏め上げてクーデターを起こしてあげようかと企んでいる。

 恩返しだ。覚えてやがれ。

 話はそれたが、今の僕は同世代の子どもたちから珍しいものを見るような目で見られることはあれど、それは仕方のないことだと言う事。

 ユエとは仲良くなりたい気持ちもあるが、今の僕はこの新しい環境にいち早く適応することが最優先の目的で、彼女と友達になる事じゃない。

 下手をすれば、このスパルタ族並みに厳しい環境に取り殺されかねないのだから、子供らしいことを願う暇は今の僕にはない。


 今日のメニューを終えた僕は、玄関に着くやいなやその場に倒れ込んだ。

 母は慣れた手つきで僕を抱き上げる。

 あぁ、母の腕の中がふわふわで心地よい。


 「お疲れ様、リオン」


 繰り返し聞く言葉は覚えた。

 母はいつもこうして僕を暖かく迎えてくれる。

 そんな優しい母の言葉を理解できるようになったことが嬉しくて、僕は母に強く抱き着いた。

 柔らかい。

 これが母の温もりというもの。


 「タらいま。母さん」


 日本語訛りの僕のくぐもった声に母がクスリと笑みを零して、僕をベッドに運ぶ。

 お昼寝の時間だ。

 体が大きくなってきたとはいえ、まだ長い睡眠時間が必要とされる時期だ。

 特にこれだけ体を酷使しているのだから、前世の子ども以上に睡眠が必要になる。

 あの伝説的二刀流選手も一日十時間寝るというんだから、子供の僕がそれ以上寝るのも当然……の……こ……zzZ


 ◆


 目が覚めたのは夕方が近くなった時間だった。

 香ばしい香りが鼻を擽った。

 母が食事の用意をしてくれている。

 いつもこの香りに釣られて目が覚める。

 子供の食事に対する本能は動物並みだ。

 僕はすっかり疲れの取れた体を起こしてベッドから飛び降りた。

 子供の体はとても回復が早くて驚く。

 気絶するように意識を手放したというのに泥のような睡眠からこうも爽快に起きれるとは。

 世のお母さま方が子育てに疲弊するのも納得というものだ。

 ころりと受け身を取って立ち上がり、母の元までいく。

 食事自体はいつもと変わらない。

 それでも空腹は最高のスパイスという格言の通り、お腹を空かせた僕にとっては毎日がごちそうだった。

 いつものように母と二人での食事を終え、自分のベッドに自らの足で戻る。

 ベッドの位置は高いが、懸垂の要領で登れば簡単だ。

 子どもの筋力を嘗めてはいけない。

 ベッドに潜って、枕元に置いてある本を手に取った。

 母が最近まで読み聞かせてくれていた絵本だ。

 タイトルは『神代の七英雄』。

 遥かむかし、まだ神々がこの世界を統治していた時代の遠いおとぎ話だ。

 内容はよくあるようなもので、前世のサブカル知識がある僕からしたら興味を惹かれるような内容ではない。

 内容は要約するとざっとこんな感じ


──────

────


 今から数万年前。

 それはいくつもの文明が勃興しては滅んでいくのを繰り返すこととなる、始まりの時代。

 今では『神代文明』と呼ばれる、神々がおわす時代に、世界を滅ぼさんとする【魔人】に立ち向かうべく、立ち上がった七人の英雄の終末叙事詩。

 世界の裂け目から突如として現れた、強大な力を持った【魔人】に、人々は大きな混乱に見舞われた。

 神々の庇護下にあった人類に、争いの概念がなかった時代。

 抗うだけの手段を持たない人類は当然、主である神々に助けを乞うた。

 神々はそれに応えるように、人類へと恩寵を与えた。

 恩寵を得た人類は、ようやく魔人の軍勢に対抗する手段を手に入れ、初めての戦争に乗り出した。

 しかし、戦いを知らなかった人類に、百戦錬磨の【魔人】の軍勢を押し返すだけの経験はなく、人類種は次第に窮地へと追いやれてしまう。

 そこで立ち上がったのが、神々から一際強い恩寵を預りし【七英雄】であった。


────

──────


 と、まぁ、こんな感じのはじまりで、後は【七英雄】たちの活躍が大雑把に描かれており、あっという間に軍勢は押し返されていき、魔人を封印して、はい、終わり。

 そんな感じのお決まり展開だ。

 もうちょっと捻ってくれると面白いのだが、起承転転転転──結な昨今の物語に慣れた僕からしたら刺激がいまいち物足りない。

 生まれたばかりの子供達ならこれでも新鮮なのだろうが、日本に生まれてオタク文化に染められた僕から言わせると、「こんなベタなの今時ウケないよ。せめて気持ちよく倒すくらいやらないとスカッとしなくない?」と、通ぶった痛セリフをドヤ顔で感想欄に書いたに違いない。

 それはちょっと意地悪すぎるか。

 僕は画面を前に悪口を書き込む自分を想像して反省した。

 でも、まぁこれでこの魔人が実はいい奴で、【七英雄】が悪い奴でしたくらいでないと設定に面白みがないのは確かだ。


 封印ね。

 ただの子どもの寝物語だと思うが、倒しきってくれていればスッキリする話なんだけどな。



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