わたしの最初のしあわせ /『BLUEPRINT』番外編

喜月 あかり

第1話 ちいさな正直者

「お嬢様、参りますよ。当主様がお待ちです」


「うん」


世話役の五条に連れられ、わたしは里道家本家の邸宅を訪れた。

今日は当主様との初めての面談の日。荘厳な門をくぐると、広々とした日本家屋が静かに佇んでいた。


九州一の異能力一家、その当主の娘。

それが、わたし――里道なつめだった。



邸宅に足を踏み入れて、もう三十分ほどが経っただろうか。

五条にこの部屋で待機するよう言われ、おとなしくしていたものの、どうにも落ち着かない。ちょっとだけ、お散歩したい。


結局その衝動に負け、そろそろと部屋を抜け出してしまう。

気がつけば、どこにいるのかもわからなくなっていた。


庭に面した廊下を、一人きりで歩く。


そのとき、不意に背後から男の声がした。


「こんにちは。……迷子かな? 大丈夫かい?」


驚いて振り返る。目に飛び込んできたのは、和装の、痩せた青年だった。

彼の腕には包帯が巻かれており、どこか寂しげな雰囲気を纏っていた。


(知らない人……。まさか、あの人……?)


不安を感じているわたしに気づいたのか、彼は柔らかく微笑んで言った。


「ごめんね、いきなり声をかけちゃって。怖がらせたかな」


そう言って、彼はゆっくりと腰をかがめる。

その瞬間、彼の柔らかそうな髪がふわりと揺れた。


「……えーっと、僕の名前は征士郎。君の名前を聞いても……」


“征士郎”。


その名前を耳にした瞬間、警鐘が鳴り響く。

この家で最も関わってはいけない人物。そう教えられてきた名前だった。


思考よりも先に身体が動く。

非力なこぶしをぎゅっと握りしめ、わたしは全力で走り出した。



青年は、遠ざかっていく小さな背中を静かに見送った。


「……安心させたかっただけなんだけどな」


ふう、と短く息をつく。


「でも、あの子が正しいんだろうね。……うん」


目をやれば、庭のもみじが陽を受けて鮮やかに色づいている。

青年の胸の中の悲しみは、誰にも気づかれぬまま、そっと消えていった。


これが、里道なつめと里道征士郎の、最初の出会いであった。

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