第2話

第二幕:逃亡

喫茶店の窓際で、佳奈は静かに、しかし激しい感情の渦に囚われていた。指先でカップの縁をなぞりながら、焦燥と、それをごまかすような期待が入り混じった吐息を漏らす。

(美咲なら、わかってくれるはず。きっと、理解してくれる。あの子は、彼氏がいても、勉強ができても、どこか孤独だった。私と拓也の関係に気づいても、何も言わなかったのは、きっと私たちに気を遣ってくれていたんだ…)

都合の良い解釈が、佳奈の心を支配する。美咲の優しさに付け込み、自らの欲望を正当化しようとする醜い自分がいた。

その時、喫茶店のテレビから、無機質なアナウンサーの声が響いた。

「ニュース速報です。本日16時頃、〇〇大学試験会場近くで、女子高生が交通事故に遭いました。現在、病院に搬送されていますが、意識不明の重体とのことです。」

制服、年齢、そして場所──佳奈の思考は一瞬で停止した。美咲しかいない。スマホを握りしめ、何度も電話をかけるが、繋がることはない。背筋が凍りつき、全身から血の気が引いていく。

「うそ…死んだの…?私が…殺した…?」

口から漏れたのは、震えるような囁き。その言葉と同時に、佳奈の心には、美咲が消えたことで拓也と結ばれる可能性への、得体の知れない安堵が湧き上がった。それは、暗く澱んだ、しかし抗いがたい甘い感情だった。しかし、その悍ましい感情は、次の瞬間、粉々に打ち砕かれる。

「美咲が交通事故ではない、私が交通事故に遭ったのだ」──突如として脳裏を駆け巡ったのは、美咲が倒れる瞬間の映像ではなく、自分が事故に遭うという強烈な錯覚だった。罪悪感が具現化したかのように、体が勝手に動き出す。衝動的に喫茶店を飛び出し、最寄りの駅へと駆け込んだ。どこへ行くとも決めずに飛び乗った電車は、彼女を遠く離れた親戚の家へと運んだ。

逃げ込んだ部屋で、佳奈はテレビの前に釘付けになった。「身元不明の高校生」。ニュースは、美咲の名前を報じなかった。誰も、美咲の名前を出せない。身代わり受験の罪を隠すため、美咲の存在そのものが葬り去られたかのようだった。

(これは、罰?私が美咲を身代わりにした罰なの?美咲がいなくなったら、替え玉受験が確実にバレる。どうしたらいいの…)

罪悪感と、それに勝る利己心が、静かに、そして確実に、佳奈の身体を内側から締め付けていった。逃げ出したはずの場所で、彼女は、より深い闇へと堕ちていく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る