第4話 政府の正体

 この自分のことを、

「飽きっぽいのではないか?」

 と感じたこの男は、名前を、

「村雨海斗」

 という。

 年齢は42歳で、年齢的に、この格好いい名前のおかげで、若い頃は結構モテたと自分でも思っていた。

 ちょうど、トレンディドラマが流行っていた時期で、

「海をテーマにしたドラマ」

 というのも流行っていたことで、

「海斗」

 という名前も流行りだったのだ。

 だから、当時は名前だけでモテたということで、それだけ、

「モテるという基準も、浅いところにあった」

 といってもいいかも知れない。

 だから、学生時代は、それなりに遊びもしたし、

「二股、三股」

 というのも、普通にやっていた。

 学生時代というのは、

「浮気くらいは普通」

 と思っていた。

 しかし、それが、就職するにあたって、途中から、

「浮気って、いけないよな」

 と感じるようになった。

 自分では、それを、

「大人になってきたから」

 と思うようになったが、それは、

「大人になる」

 というのが、真摯淑女になるということであり、それがそのまま、

「自由が制限される」

 という感覚に繋がっているのであった。

 だから、逆に、

「大人になる」

 というのは、

「悪いことではなくいいことだ」

 と考えることから、

「何かを犠牲にしている」

 と考えるようになると、

「そのプラスマイナスがゼロになる」

 ということから、

「犠牲になる分を、回収もするだろう」

 と考えることから、

「大人になる」

 ということが、自由の束縛になると考えたが、その伏線回収に何があるのかということを、いずれは分かると思う大学時代だった。

 ただ、社会人になると、

「理不尽なことばかり」

 ということで、先輩などには、

「急に出てこなくなり、そのまま辞めていった人がいる」

 ということが、

「毎年のようにあった」

 という話を聞かされると、

「自分の学生時代からの考えが、本当に正しいのか?」

 として、不安になることもないのであった。

 学生時代に不倫をしたのは、

「飽きっぽいから」

 ということではなく、

「若いうちに、たくさんのオンナと遊びたい」

 という意識があったからだ。

「どうせ、オンナだって、たくさんの男としたいに違いない」

 という勝手な思いであるが、少なくとも、村雨の近くにいた女性は、皆そんな感じだったように思う。

 そういう意味で、

「本当の恋愛」

 というのをしたという気持ちはなかった。

 もちろん、

「本当に好きになったら、結婚したい」

 という思いがあるのは間違いないが、学生時代には、そんなことは考えたこともなかった。

 いや、

「まったくなかった」

 というのは言い過ぎであろうが、

「今はその時ではない」

 と感じたのだ。

 それは、

「まったく焦りを感じなかった」

 ということからで、大学時代に、彼女が一人もできなければ、焦りを感じたに違いない。

 そうなると、

「最初に付き合うことになる女性が、自分の結婚相手だ」

 と思ったかも知れない。

 それは焦りではないと自分に言い聞かせはしても、結局は焦りだったということになるのだろう。

 大学時代に、結婚を考えなかったのは、

「結婚というものが、人生の墓場だ」

 と言われていること、さらに、

「今の時代は、結婚しても、すぐに離婚するカップルが多い」

 ということで、

「結婚とは何なのか?」

 と考えるからであった。

「それでは、どっちの方が自分としては、意識が強いのか?」

 ということを考えると、

「前者の方かも知れない」

 と感じる。

「そもそも、人生の墓場というのが何なのか?」

 ということを思えば、

「浮気もできず、一人の女に縛られる」

 ということを、結婚してから初めて感じ、

「それを感じてしまっても、すでに後の祭り。離婚しないと自由にはなれない」

 と考えるからだ。

 確かに、

「離婚などいつでもできる」

 という時代になってはいるが、

「子供ができていれば、どうなるのだ?」

 と考えてしまったりすると、

「子供ができる前に、離婚するなら、してしまった方がいい」

 と考えるようになると。

「じゃあ、最初から子供など作らなければいい」

 ということになる。

 そもそも、昔のような、

「家長制度」

 というものから、

「家を守る」

 ということが古いしきたりと言われるようになると、

「何も、無理して子供を持つ必要などない」

 ともいえる。

 確かに、世の中は、

「少子高齢化」

 ということで、自分たちが老後になった時に、養ってくれる子供がいなかったりすれば、

「年金制度も崩壊している」

 という時代において。実に困ることになるのだろうが、それ以上に、

「今の生活がままならない」

 ということで、

「とても、将来などを考える余裕などあるわけはない」

 そんな将来の社会のことは、

「政府が考える」

 ということになる。

 もっとも、今の政府に何ができるというのか、せいぜい、増税をしたりするのが関の山というもので、やつらの頭の中には、

「私腹を肥やす」

 ということが、最優先にあるだけに、とても、

「国家の行く末」

 というものを考えられるわけもない。

 これは、下手をすれば、

「誰がやっても、結局は同じことだ」

 ということかも知れない。

 これまでの政治家が蓄積してきた、

「負のスパイラル」

 というものを、急に方向を転換させ、大きなリスクを考えてでも、誰が、

「自分の責任の元で」

 ということの、冒険をするというのだ。

 皆、口では、

「国民のため、未来の子供のため」

 とはいうが、結局は何もできない。

「せめて、今の時代においての被害を、最小限に食い止める」

 という程度のことであろう。

 今の時代であれば、被害を最小編であっても、食い止めることができれば、

「偉大な首相」

 と言われるだろう。

 しかし、今は、

「私腹を肥やす」

 という自分のことだけしか考えないという、

「ソーリ」

 ばかりではないか。

 そんな時代において、

「ソーリが、ずっと海外活動だけしかしていないような状況を見せられる」

 ということになると、国民は、

「自分のことは自分で守るしかない」

 ということになり、

「法律に違反さえしなければ、何をやってでも、自分を守る」

 と考えるだろう。

 そうなると、それぞれ、人の考え方というのは様々なので、向かう道は、

「無法地帯」

 でしかない。

 そのうちに、法律が有名無実のようになり、

「自分を守るためには、倫理やモラルなどは関係ない」

 ということになるであろう。

 だから、

「離婚というのが、倫理やモラルに反する」

 ということであるのであれば、我慢することはなく、離婚することで、自分を守るという考えもあっていいということになるだろう。

 だから、最近では、

「離婚するくらいなら、最初から結婚しなければいい」

 ということになる。

「そもそも、結婚とは何なのか?」

「家長制度のために、子供を作って、末代まで家を栄えさせえる」

 ということであれば、すでに、もうそんな時代は終わっている。

「子供を作って、高齢者を養ってもらう?」

 ということだと、今であればいえるだろうが、

「子供を育てる」

 という環境に、今の時代は適していないと言われる。

 なぜなら、以前の、

「バブルの崩壊の前」

 のように、

「母親は専業主婦」

 ということではないので、

「子供を預かってもらう」

 という場所が必要になってくる。

 祖父母というのが最初に思い浮かぶのだが、そもそも、相手は高齢者であり、その高齢者を養うために子供を作るというわけで、今の時代は、

「年金制度の崩壊」

 ということで、祖父母の年代というのは、

「まだまだ働く世代」

 ということで、

「祖母も、働いている」

 というのも当たり前なので、祖父母に子供の面倒を見てもらうのは無理なことだ。

「祖父母だって、必死に生きている」

 ということである。

 となると、あとは、

「保育園」

 しかないわけで、保育園の数も増えるわけではなく、慢性的に、

「待機児童」

 というものができていることから、

「子供を預ける」

 ということが難しくなってくる。

 そこにもってきて、

「人手不足」

 という問題が大きくなっていて、そうなると、

「子供を産んで、背菌をもって育てる」

 というのは、しょせん、

「絵に描いた餅」

 ということでしかないのだ。

 国家や政府というのは、実に勝手なことをいうもので、

「責任を取る」

 といって、国民を煽っておいて、

「明らかに政府の責任だ」

 ということですら、政府は責任を取ろうとはしない。

 それだけいい加減な組織が政府というもので、それが顕著だったのは、少し前に世界的に大きな問題となった。

「世界的なパンデミック」

 という問題だった。

 全世界で流行した伝染病のために、世界は大混乱に陥り、

「第二次世界大戦以来の世界的な大問題」

 ということであった。

 確かに。この問題は、世界大戦後80年近く経った中で、

「局地的な戦争は頻発しているが、

「世界を大混乱に陥れる社会問題」

 というのは、実際には起きていない。

 これが、

「伝染病」

 というのは、今の

「ハイパーテロ」

 などが叫ばれる時代には、

「まったく考えられなかったわけではない」

 ということだった。

 ただ、

「正体不明のウイルス」

 ということで、最初の一年は、

「いかに、蔓延を避けるか?」

 という問題から、

「徹底的な人流の抑制」

 ということから、世界では、

「都市封鎖」

 という、かつての日本であれば、

「戒厳令」

 のようなものが行われた。

 しかし、今の日本では、

「有事は存在しない」

 ということから、国民の権利や自由を束縛するということは、

「憲法違反だ」

 ということになり、

「憲法を改正しないとできない」

 ということであったので、

「せめて特別法を作って」

 ということでできたのが、

「緊急事態宣言」

 というものだった。

 他の国では、

「命令」

 だったのだが、日本では、

「要請」

 でしかない。

 そして、命令の場合は、そこには、必ず、

「保障が伴う」

 ということであった。

 つまり、国家が命令することで奪った自由を、代価として国が支払うものであるが、日本の場合は、

「要請」

 という曖昧なものだったので、

「要請に応じてくれた人に対して、それなりの金銭を与える」

 ということなのだが、とてもではないが、そんな補償金で賄えるものではない。

 それこそ、パンデミックが長引けば、

「倒産は免れない」

 ということで、実際に倒産の憂き目にあったという人はたくさんいたことだろう。

 そして。いよいよ、

「伝染病自体に対しての対応」

 ということで、海外で開発されたワクチンが完成したので、その接種問題ということであった。

 国とすれば、

「ワクチンができたから、それを輸入するので、速やかに摂取してほしい」

 ということをいうのだが、さすがに、

「得体の知れないワクチン」

 を誰が自分から摂取するものかということである。

 本来であれば、開発してから、動物実験、そして、人間に対しての、臨床試験などとたくさんの過程を乗り越えて、初めて使用できるようになるはずなのに、本来であれば、何年もかかって、治験を行う必要があるというのに、

「いきなりの接種要請」

 ということで、

「これでは、接種者が人体実験されているようなものではないか?」

 と誰もが思ったことだろう。

 日本政府とすれば、開発した海外の企業や、開発国から、圧力を掛けられ、

「ワクチンを買わないといけない」

 ということから、国民に対して。

「もし、何か問題があった時は、国が責任を取る」

 と言い切って、ワクチン接種をさせたのだが、実際には。死亡した人が出てきたのに、政府の言い分として、

「因果関係が見られない」

 ということで、取ると言った責任から逃れたのだ。

 そのことが、政府として、

「国民に対しての裏切り行為になる」

 ということを分かってのことなのか、これでは、

「誰が政府のいうことなど聞くものか」

 ということで、結局は、

「自分の命は、自分で守らなければいけない」

 ということになるのだ。

 そもそも、最初は、

「未知のウイルス」

 ということで、その治療代であったり、ワクチンの接種代などは、

「国家が費用を持つ」

 ということで、

「ただだった」

 ということになる。

 しかし、考えてみれば、

「国家の費用」

 といっても、これは、

「元々国民が払っている税金」

 なのである。

「自分たちが稼いできて、それを税金として取られ、その税金は、

「国民のために使われる」

 ということが当たり前のはずであり、しかも、その税金は、

「何かあった時のために使う」

 ということで、今がその、

「何かあった時」

 ということで、

「治療費やワクチン代がタダになる」

 というのは当たり前のことなのだ。

 それが、政府の勝手な判断で、

「パンデミックが収まってきた」

 ということで、伝染病のランクが下がった時があった。

 そのことで、

「治療費やワクチンが国民負担」

 ということになったということが直接的なことであり、さらに、それまで患者のかずなのは、政府が全体を把握し、それを、最初こそ毎日発表していたものが、同じ毎日でも、少し遅れての発表となり、さらには、

「数日に一度」

 という程度になるというお粗末さを繰り返していたが、ランクを下げることで、

「発表の義務」

 というものがなくなってきたので、政府は一切発表しなくなった。

 それにより引き起こされたのが、世間に蔓延した。

「もう、伝染病による危機は去った」

 ということで、それこそ、政府がいうような、

「ただの風邪」

 とでもいう風潮になってきたのが、一番怖いことだということを分かっていないのであった。

 実は、ランクが下がってから、もう1年以上も経つというのに、相変わらずの蔓延のようである。

「集計も発表もされないのだから、実際に蔓延しているところでしか、何もウワサになっていない」

 といえる。

 そして、政府のことだから、マスゴミなどに対して。

「あまり騒いで、国民を刺激しないように」

 という通達を出しているのかも知れない。

 確かに、

「余計な混乱」

 というのは無駄といってもいい労力を産むことになるのだろうが、政府とすれば、自分たちの責任逃れということが歴然としているので、

「実にあざとい」

 といってもいいだろう。

「政府が国民に責任を取らない世界」

 それが今の日本であり、政府の正体なのだ。

 日本政府が、

「最悪な政府だ」

 ということで、政府にばかり責任を押し付けるというのはいけないことなのかも知れないが、実際に今の社会を作った責任の一端は政府にもあるのだ。そのことは、皆の中に共有すべきことではないのだろうか?


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