アキレウス、機転を利かせる

 気が付けば、マリアは男の集団に囲まれていた。


「何? どういうこと?」


 理解が追い付かない彼女に、一人の男が近づいて来る。他の男を圧倒する巨体、口とあごを覆う豊かな白髭、剥き出しの二の腕、そして頭を飾る角付きの鉄兜が特徴的な人物だった。


 この人、まさか!


 彼を目にした瞬間、マリアの心を憎しみが支配する。そして、自分の方から相手に駆け寄っていき、


「ママのかたき!」


 男の胸ぐらを掴み上げると、そのまま力任せに持ち上げようとする。普段のマリアなら出せるはずのない力が、その時の彼女の両腕にはみなぎっていた。自分よりも遥かに大きい体躯たいくの、それも鍛え上げられた男の首を、マリアは苦も無く持ち上げ、窒息させようとしていたのである。


 何が! 何が『慈悲クレメンティア』だ!

 私は、ママを殺した男に復讐したいのよ!


 返して! ねえ返してよ!

 私の愛するママを、捨て子だった私を拾って愛してくれた、ママを返して!


「や、やめ……」


 首を締めあげられている男の言葉も、マリアの手に込める力を弱めることはできない。


 やめるもんか! 


 なおも相手を苦しめ続けるマリア。もしも、誰かが強引に彼女を夢の世界から引き剥がしてやらなかったら、おそらく彼女は大きな過ちを犯していたであろう。


 コッケーーーーー!!


「お、おい、何をしておる!? マリア、その手を離しなさい!」


 だが、幸運にもマリアは罪を犯すことなく、現実世界に戻されるのだった。



「だ、大丈夫ですか……。マリアさん……」


 マリアが夢から醒めると、目の前には呼吸を乱しているパリスの姿があった。彼は首を触り、先ほどまでそこに痛みを感じていたような素振りをしている。


「あ、あ……」


 全身から滝のように汗をかいていたマリアは、夢と照らし合わせた結果、目覚める前に自分がしたことを悟る。


「ご、ごめんなさい!!」


 パリスを母の仇と勘違いし、彼の首を絞めていた。


 その事実がマリアに罪悪感を抱かせる。


「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」


 何度も謝った。許されないと、嫌われるだろうと分かっていても、マリアはともかく頭を下げて許しを乞い続けた。


「パリス殿。どうか、娘の非礼をお許しくだされ! これには、相応の訳がありまして」


 それに父のマリウスも加わる。娘の見た夢について見当がついていた彼は、パリスにマリアが犯した行動の訳を話してきかせようとした。


「おい、パリス! 何があった!? 大きな呻き声を出して――」


 さらに、マリウス邸の近くを通りかかったアキレウスまでもがマリアの私室に入ってきた。パリスが危機的状況に陥っていると思ったらしい。だがしかし、いざ現場に足を踏み入れてみれば、マリアとマリウスがパリスに謝り倒し、パリスは二人にどう応じてよいか分からないでいるという光景がアキレウスを困惑させた。


 いったい何が? と、ともかく、みんなを落ち着かせねえと!


 そこでアキレウスは三人にこう持ち掛けた。


「なあ、みんな。腹すいてねえか? なにはともあれ、まずは朝食! さあ、今日は僕が君達のために上手い朝食を作ってやるから、マリアちゃんとそのお父さん、早く食卓に行って待っててくだせえな!」

 

 アキレウスの場違いな発言が、パリスを大いに慌てさせる。


「お、おい、何を勝手に話を進め――」


「さ、マリアちゃん。何があったかは知らないけど、今は朝食を食べて元気つけようぜ。お父さんもぜひぜひ。あ、あと、すいません。厨房ちゅうぼうをお借りします。使ったら綺麗にして返しますので」


 パリスを無視して、アキレウスはそそくさとマリアの私室を抜け出し、そのまま階段を降りて一階の厨房へと向かう。


「おい、待てってば」


 パリスだけがアキレウスの後を追う。すると、アキレウスはそれを見越していたのだろう。彼に振り返ると一瞬笑みを浮かべた後に真剣な表情をする。


「パリス。本当に何があった?」


 アキレウスの質問に、パリスは「マリアさんに、昨日の劇に無理矢理参加させてしまったことのお詫びを言いに来たら、ちょっとな」と答えてから、


「ひとまず、今はお前が提案したことを実行に移そう。朝食を作るんだろ?」


「え? ああ、それなんだけどさ」

 

 はぐらかされたような気がしたアキレウスではあったが、自分から提案した以上、パリスにそれ以上の追及をすることは控えることにした。


「あ、あのさ。パリス」


「ん? どうした? アキレウス」


「僕が料理下手なの、知ってるだろ? だから――」


「俺に食事を作ってほしいのだろ? だろうと思ってた。お前は軍用食料すらまともに調理できないからな」


「そうそう。だから、お願い! この通り!」


 そう言うと、アキレウスは奴隷が主人にするように頭を地面に擦り付けて、許しを乞うポーズをとった。パリスはそんな友人に呆れた顔をしつつも、


「分かった。ただ、その代わりに、マリアさんと彼女のお父様に付き添ってくれないか。特にマリアさんの動向については一層の注意を払ってほしい」


「え? なんでマリアちゃんの方をよく見とかないといけないのさ?」


「いや、その、彼女が少し心配なんだよ。それに」


「それに?」


「俺には話せないことでも、お前になら気兼ねなく話せるかな、と思って」


 アキレウスはあごに手を当てて、しばし考える素振りをしてみせたが、やがて、


「よく分かんねえけど、まあ了解だ!」


と答え、「マリアちゃーん。今いくからねー!」とおどけた口調で二階の私室にいるマリアに声をかけ、階段を上がっていった。


 ありがとう。アキレウス。俺の代わりに、落ち込んでいるマリアさんを励ましてくれ。頼むぞ。


 そして階段を上がって二階に向かうアキレウスに、パリスは感謝するのだった。

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