〈6th innings〉スケとカクのハザマに



【warming up】


 E農野球部の二遊間コンビ・コーサクとアオダモ、そしてE商の野球同好部のレンの、たった三人しかいなかった連合チームであったが、ここ最近で立て続けに、エースで四番のE農・エーヨン、高校生気象予報士でたこキャッチの名手・E水のフータ、バドミントンの世界的アスリートのE商・ミントと、大駒三枚を獲得することができた。しかし、それでもまだ、あと三人も足りない。

「このままでは、オブジェが三個になってしまう…」

 このまま誰も獲得できない場合、「打てない守れない走れない、ユニフォームを着たオブジェ」として、野球腐女子サキノリ率いるE水・野球研究部の、運動経験ゼロの幽霊部員三人に入ってもらうしかなく、レンは悩み続けている。例によってキョーコに相談すると、これまでのスカウト活動の顛末を聴取された。

「練習前に、三校を日替わりで順番に回って、帰宅部の人に声を掛けていたんだけど…」

「はぁ~あ、まーだそんなことしてたのね…もっと早く聞いときゃよかったわ。よーし、そこへ直れ~、レン!」

 大げさに溜息をついて一喝すると、いつも通りおとなしく正座したレンの鼻先に、キョーコがサーベルを突き付けた。

「野球グラウンドのないE商やE水に進学する時点で、そもそも野球に興味ないに決まってるでしょうが! ウチらのE商は元女子校だし、E水は高専並みの専門校だから、体育会系の部活はほとんどない。なにしろ、あのサキノリの野球研究部が存在してるほどの、ゴリッゴリの文化系なのよ?」

「いや、ボクみたいに野球が大好きなんだけど、家が商売やってるからE商に入った人もいるかもしれないし…」

「そんな奴がいるなら、とっくに自分から野球同好部に来てるわよ! あんたのソロ活動は、前から校内で結構有名だったし、永世生徒会長のあたしが参加してからは、注目度も爆上がりなんだから」

 キョーコは吠え続ける。

「フータやミントだって、結局サキノリやあたしの口利きがなかったら入ってないんだから、あんたの実績は、いまだにゼロよ? しっかりしなさい! 狙うはE農よ!」

「じゃあ、E農のまだ入部を迷ってる新入生を…」

 レンが提案すると、キョーコは

「こ~の、たわけ者が~!」

 と、今度はサーベルをレンの喉仏のどぼとけに突き付ける。その迫力に、レンは思わず、正座したままのけぞった。

「もう五月よ!? 運動部に入る奴で、そこまで迷ってる奴なんかいないわよ。それよりレン、あんたさては、E農の生徒会規約を見ていないわね? それでも連合チームのスカウト部長なの!? さあ、この痛みは、みんなの怒りよ! 思い知れ~!」

 キョーコは、正座で痺れたレンの足の裏に狙いを定め、サーベルの剣先でツンツンとつつきまくった。レンは涙目で悶絶する。

「くすぐったっ…いっ…たたたた~!」

 T県下の体育会系強豪校であるE農では、ウインタースポーツも盛んである。そのため運動神経に秀でた夏冬二刀流のアスリート向けの特例として、本来の部に在籍しながら、最大六ヶ月まで別の部でも活動できる、「レンタル部員」制度を整えていた。この制度を使えば、例えばスピードスケートの選手が、夏季は自転車競技をすることができる。レンタル先の競技の県連にも出場登録できるため、地区の公式大会にも出場可能だ。規約には、所属部員がレンタル移籍を希望する場合、その意志を最大限尊重して、積極的に承認・協力すべき旨が明記されている。

 一通り怒って気が済んだキョーコは、参謀としてレンに策を授ける。

「レンタル制度があるとは言え、有力な選手は貸し出してもらえないだろうから、狙いは高校デビューの一年生部員、つまり入部するまで競技未経験の連中よ。真面目だけど不器用で、部内でちょっと見放されがちな子がいいわね。今は埋もれてるだけの、磨けば光る原石の可能性だってあるわ」

 他校の生徒会規約の確認なんて、考えもしなかった。

「スカウトには、必ずベジ子に同行してもらいなさい。あのタップリな母性が、部でいじけてる新入生のメンタルに、必ず刺さるはずだから」

「うん、わかった! ありがとう、キョーコさん!」

 レンはなんとか正座から立ち上がると、痺れた脚でよろめきながら、よちよちと走り出した。




【6回表】スケとカクのハザマに


 レンがキョーコから叱責された数日後、連合チームに、ついに九人の選手が揃った。

 練習前にレンが、E農のレンタル部員ふたりを、皆に紹介する。

「バスケ部と相撲部から、有望な一年生を貸し出してもらえることになりました!」

 ふたりは、拍手で迎えられた。

 バスケ部の篭原かごはら はじめは、身長ジャスト二メートルの超長身。

 相撲部の角田かくた三造さんぞうは、体重百二十キロの超重量級。

 ふたりとも、それぞれの競技において理想的な体躯の持ち主だ。本来なら有望なレギュラー候補として、レンタルに出されたりはしないはずである。しかし、彼らはふたりとも所属している部で戦力外の烙印を押され、「何なら帰って来なくていいよ」と、ほぼ片道切符で送り出されて来た、お荷物扱いの部員たちだった。


「バスケ部からの助っ人だから、まさに"バ助っ人"だね! あっはっは。あ、ビスケット、食べる?」

 ベジ子は、割烹着のポケットから個包装のお菓子を取り出して篭原に勧め、彼を戸惑わせる。

(このダジャレを言うために、わざわざお菓子を仕込んでおいたのかな?)

 ベジ子のダジャレは平常運転で、空腹凌ぎのお菓子をポケットにしのばせているのも、いつものことである。部員たちはそれを「ベジ子の不思議なポケット」と呼んで、何かと余禄にあずかっていた。まるで異次元とつながっているかのように、そのポケットからは次々と無限にお菓子が出てくる。ベジ子の体型も相まって、その様はまるで、タイムマシンで未来からやってきたネコ型ロボットだ。

「バスケ部と相撲部からの助っ人、か…」

 キョーコは首を傾げて呟きながら、籠原と角田を交互に見つめていたが、やがてポンッと両手を打ち合わせて、叫んだ。

「そう言えば、相撲界のことを角界って言うわよね? 角田って名前からして、すでに相撲向きよね。連合チームのサポートに来てくれたあんたたちは、まさしく、助さん格さん…よしっ、決めた! バスケのあんたはスケちゃん、相撲のあんたは、カクちゃんよ!」

 キョーコの電光石火の思いつきで、紹介から五分も経たずにニックネームが決まった。レンはそんな光景を見ながら、ふたりをスカウトした時の様子を思い返していた。


                  *


 レンはベジ子の案内で、E農のめぼしい運動部を巡り歩いていた。

「ベジ子さん、持っているその包みは何ですか?」

「もっちろん、おにぎりよ。有望な人材がいたら、これで釣るの。だけどやっぱり、きびだんごの方がよかったかな? あっはっは」

「日本昔ばなしですか…それで釣れるなら、苦労はないんですけどね」


 相撲部に辿り着くと、稽古場でたったひとり、不器用そうに股割りに取り組む、大きな男がいた。股割りとは、両脚を前に伸ばして腰を下ろし、地べたに腿裏ももうらを付けたまま、百八十度の開脚をする柔軟体操の一種なのだが、不慣れのせいか、その開脚がうまく出来ていない。

 誰に対しても超フレンドリーなベジ子が、レンよりも先に声を掛ける。

「ねぇ、あんた、一年生? なんでひとりなの?」

「はい、一年っす。他のみんなは、隣町の高校に合同練習に出かけたっす。オレは、相撲始めたばっかで股割りもできてないので、置いて行かれたっす」

「あらまぁ、あんた、ひとりで置いて行かれたなんて、かわいそうに…。そんな悲しそうな顔してないで、このおにぎりでも食べな。ね? さあ、食べな?」

 慈悲深いベジ子は、捨てられた仔犬のような表情のカクちゃんを見て、すでに涙ぐんでいる。大げさな反応のようだが、ひとり稽古場でしょぼくれているカクちゃんには、大男にもかかわらず、どこか母性本能をくすぐる愛嬌があった。カクちゃんは、ベジ子が差し出すおにぎりをうれしそうに受け取ると、

「うっす、それでは、いただきます! …う、うまいっす! 相撲部のまかないよりも、断然うまいっす! お米のレベルが段違い…ところで、先輩たちは野球部…と、賄いを手伝いに来た選手のお母さんっすか? 今日は、何のご用事で?」

「あっはっは。"選手のお母さん"はよかったね。あたしはマネージャーだけど、まあ、賄い係みたいなもんだよ」

「マ、マネージャーさんだったんすか! 割烹着姿なものだから、てっきり…」

「あっはっは。お母さんに間違われたんなら、ちょうどこれ幸いってもんよ。あんた、ウチの子になりな!」

「へっ? ウ、ウチの子って、何すか?」

「こんなとこでくすぶってるなら、ひと夏のレンタルでいいから、野球をおやりよ。お米の味がわかるあんたに、毎日おいしいおにぎりを作ってあげるからさ、ね?」

「うっす、マジっすか? やります、やります! こんなうまい握り飯が食べられるなら、絶対に頑張り抜きます、うっす!」

 レンは、野球をやるメリットを持ち出して説得するつもりだったのだが、それ以前に、本当におにぎりだけで、相撲取りがひとり釣れてしまった。まるで、昔ばなしの「桃太郎」ばりのイージー展開である。それにしても「選手のお母さん」と間違えられても気を悪くせず、豪快に笑って受け流す女子高生は、世界広しといえどベジ子くらいのものだろう。ある意味、真の聖母マドンナである。

 体重百二十キロのカクちゃんは、きたてのお餅のように白くて柔らかい、字義通りのもち肌の持ち主である。クリクリお目々の可愛らしい顔立ちもあいまって、全体に「ギガサイズのキューピッド」といったところ。気性もやさしく穏やかで、まさしく「気は優しくて力持ち」を体現しているような新一年生。身長百七十センチと、さほど高さがないので重心が低く、相撲取りとしては理想的な体型の持ち主だ。

 翌日、もう一度相撲部に出向いて、正式にレンタルを申し込むと、二つ返事で快諾された。カクちゃんがあっさり貸し出された理由は、近隣に相撲が強い中学校があり、昨年「中学相撲大会・団体戦日本一」を達成した五名が今年、全員揃って入部したため。その一方で、高校で相撲デビューした新入部員はカクちゃんだけであり、体格こそ相撲取り向けではあるものの、体力や技量が圧倒的に見劣りしてしまい、現時点でまったく期待されていなかったのだった。


                  *


 一方のスケちゃんは、さすがにおにぎりでの一本釣りはできなかったが、彼もやはりコートで浮いているように見え、練習中に壁際でひとり佇んでいたところを、ベジ子に声を掛けられたのがきっかけだった。

「ねぇ、あんた、一年生? そんなにショボくれて、何か悩みでもあるの?」

「え…? はい、一年生です。僕、背が高いからぜひって誘われて、入学してからバスケを始めたんですけど、ボールを奪うのが苦手で。先輩たちからは、その性格じゃバスケには向いてないって言われてます。争いごとが苦手なせいでしょうか…バスケを見るのは好きなんですが、見るのと実際にやるのでは、大違いなんですね」

 バスケの基本はボールの奪い合いだから、それが苦手なようでは、確かに通用しないかもしれない。しかし、身長がすごく高いので、ゴールに張り付いてロングパスを一発もらえれば、有能なポイントゲッターになれそうなものだが。

「ほら、このおにぎりでも食べて、元気だしな」

「いえ、一応練習中ですし、それにあまり食欲もないんです」

 ベジ子のおにぎりで釣れないなら、ようやくボクの出番かと、ここでようやくレンが乗り出す。

「バスケで行き詰まってるなら、レンタル制度でいっとき野球をやってみてはどうかな? 同じ球技でも、野球は攻撃と守備が交互だし、バスケやサッカーみたいなボールの奪い合いがないから、よほどのクロスプレーでもなければ、肉体的なコンタクトもないし」

 ベジ子も、レンの言葉を受けて、説得を続ける。

「とにかく、そんなにショボくれてるあんたを見てられないよ。こんなとこでくすぶってないで、さ、ウチの子になりな!」

「…そうですね、このままじゃバスケ部をクビになりそうだし…。別の競技に取り組んで、気分を変えるのもいいかもですね」

「球技自体が初めてなら、野球の守備練習も意外と効果的かもよ。野球で球さばきがうまくなって、球技の楽しさに触れたら、バスケ愛も戻ってくるかもしれないよ」

 スケちゃんは長身で、しかも左利きと、空いているファーストにぴったりである。

「ファーストなら、みんなの送球を受けるから、ゴール下でパスを待つ感覚にも近いしね」

 いやいや、けして近くはないと思うが、それはこの際、脇に置いておく。

 スケちゃんが貸し出された理由も、カクちゃんと似たりよったりだった。二メートルの長身は、バスケ部で期待されるのに十分なはずだが、性格的に温和で闘争心に欠けるため、ボールの奪い合い向きでないとの烙印を押されていた。加えてこちらの部にも、他に有望な一年生が数名入部していたので、相撲部のカクちゃんと同じく、高校デビューのスケちゃんは、戦力として考慮対象にすらされなかったのだ。

 スケちゃんは二メートルの長身だが、いわゆる八頭身で小顔、全体に色白である。バスケ選手らしいショートカットにしているが、茶色みの強い髪の毛は、天然のクセで柔らかく波打っている。育ちが良さそうな目鼻立ちをしていて、いかにもハードコンタクトが苦手そうだ。童顔で黒目がちな瞳もあいまって、スマートな狩猟犬のような体型にもかかわらず、どことなく小型の愛玩犬のようないじらしさが漂っている。


                  *


 それぞれ元の部で居場所を見つけかね、迷子のようだったふたりは、ともに「ひと夏、野球部で体力を付けておいで」と、事実上の片道切符で送り出され、こうして野球部へと流れ着いたのだった。

「高校で初めてその競技を始めた」「不器用で引っ込み思案、部から見放されがち」「スカウトには必ずおっかさん、もといベジ子が同行」という、キョーコが掲げたスカウトの諸条件がピタリとツボにハマり、またしても彼女の目論見通りに事が運んだのである。

 そして、結果的にこのふたりの「迷子」は、まさしく「磨けば光る原石」、大当たりのグリーンボーイだった。連合チームでの付け焼き刃的な野球特訓の日々によって、ふたりは大化けを果たした。

 カクちゃんは、毎日のベジ子特製の美味おにぎりでさらに大きく育ち、体力も胆力も飛躍的に向上。スケちゃんは、コンタクト主体ではなく、主に作戦と個人の技量で相手チームと競い合う野球を通じて、球技の楽しさを知っていく。そもそもこのふたりは元から、アスリートとして大成するだけの肉体と素質は生まれつき持っていて、開花のきっかけが問題であっただけなのだ。

 この急造の一塁手と三塁手が、甲子園出場を伺うチームの一角を担う選手にまで急成長を遂げた陰では、以下のような特訓が行われていた。


                  *


 ファーストのスケちゃんにまず課せられたのは、ハーフバウンドをキャッチする特訓だった。内野ゴロのたびに各野手からの送球を受けるのが、一塁手の主要任務。図抜けた長身のため、胸以上の高さの球は問題ないとして、内野深くからの送球がワンバウンドになった際のキャッチに慣れる必要があるのだ。そこで、練習パートナーが五メートル先から手前でワンバウンドするボールを左右に投げ、その処理をひたすら繰り返すトレーニングをする。

「悪送球が来ても、一塁ベースを踏みながらキャッチできるように、ファーストミットは他の野手のグラブより長くなっているんだ」

 レンがミットを見せてファーストの役割を説明しながら、ワンバウンドをすくい上げるように捕球するお手本プレイを見せる。レンは、何をやらせても器用にこなす。

 そして、スケちゃんの初のワンバウンド捕球の練習パートナーは、たまたま渉外業務の手が空いていたキョーコになった。バスケのボールの奪い合いさえ苦手な、怯えた仔鹿のような一年生に相対する、獰猛どうもうなホワイトタイガー。ともに、野球の硬球を握るのは、この日が初めてというコンビである。レンは、ブランクのあるエーヨンの投球練習が最優先のため、スケちゃんの練習には付き合えないのだ。しかし、

「えーいっ!」

 大きく振りかぶったキョーコが、構えるスケちゃん目がけてボールを投げようとすると、

「キョーコさん、ストーップ!!」

 レンの絶叫が、グラウンドに響き渡った。ボールを握った腕を上げ、片足に体重を乗せていたキョーコが、不意を突かれてよろめく。嫌な予感でもあったのか、エーヨンの相手をしながらも、レンはこちらに注意を払っていたようだ。

「ちょっと何よ、レン!? 転びかけたじゃないの!」

「何、じゃないですよ! スケちゃんを殺す気ですか!?」

 スケちゃんとキョーコの間に立ち塞がりながら、レンは激しい口調で抗議する。

「取り損ねて顔にぶつかったらどうするんですか? 救急車どころか、ヘタしたら霊柩車ですよ。初心者なんですから、キャッチャーマスクを付けさせてください! 最初にあれほど言いましたよね!?」

「ダメよ。そんなの、時間の無駄だわ! マスクありとなしじゃ、感覚がまったく違うじゃないの」

「野球の勝ち負けよりも、人命優先です。議論するようなことじゃありません!!」

 ふだん、キョーコの言いなりのレンが頑としてねつけ、一歩も引かない。初めて見るレンの剣幕に、キョーコは内心驚きを隠せない。そして、レンがここまで言い募るのは、自分が思っているより遥かにヤバいことだからでは、と思い直し始める。

「いいですか、最初の説明通り、五メートルの距離厳守で必ずワンバウンド、そして慣れてくるまでは、絶対、必ず、キャッチャーマスクを着用です!」

「わかったわよ、うるさいわね。じゃあ、善処するわよ」

「…レンさんっ‼」

 半泣きのスケちゃんが、35センチ下にあるレンの体にすがりつく。

「ありがとうございますぅ~!!」

 こうして練習が始まったが、最初のうちはやはり、顔や顎に何発かボールをくらった。

「大丈夫、痛くない痛くない! マスクしてるんだから!」

 痛くないわけがない。それに、明らかに顔面を狙って来ているような気がする。だけど、キョーコが恐くて抗議できない。

「早くキャッチャーマスクを外せるようになろうねー、スケちゃん!」

 すごくいい笑顔でスケちゃんに言い放ったキョーコは、以降、ワンバウンドキャッチの練習パートナーという、ドSにはたまらない役どころに、どハマりした。プロデュース業務も後回しにしてもスケちゃんに相手することを優先して、彼が上達するにつれ、右に左に難しいバウンドを繰り出して揺さぶり、翻弄しまくる。

 そして、女王様による短期促成コースは、これだけではない。地獄の守備練習のお次は、「一塁手は体を伸ばしきってナンボ」という、サキノリの言葉を真に受けたキョーコによる股割り練習地獄が、新たな口を開けて待っていた。裂けるような痛みに涙するスケちゃんの背中に、キョーコが容赦なく飛び乗ってくる。そして手にしたサーベルで「ほれほれ、頑張れ!」と、尻を叩かれまくるのだ。

 このダブル地獄から一刻も早く脱出するためには、上達する以外に道はない。そう悟ったスケちゃんは、文字通り命懸け、懸命の努力によって急成長を遂げ、やがてキャッチャーマスクも不要になり、それに伴いひ弱だったメンタルも、別人のように強く、たくましくなっていったのだった。

 後年、スケちゃんは連合チーム加入当時の思い出を振り返って、こう語っている。

「硬球の顔面キャッチや残酷股割りに比べれば、バスケのボールの奪い合いなんて、幼稚園児の玉遊びですよ」

 このようなスケちゃんの急成長の陰には、楽しいSMプレイのひと時を失い、不満に口を尖らせながら地面を蹴る、ある女王様の姿があったと伝えられている。


                 *


 サードのカクちゃんに課せられた特訓は、ノラセンによる「E農名物・どろんこノック」。その名の通り、受けた選手が泥まみれになるような、飛びつかなければ取れない打球ばかりのノックなのだが、カクちゃんは打球を正面で受けようとするばかりで、一向に飛びつこうとしない。

「こら~! 打球に飛びつけ~!」

「すんません。相撲取りの習性で、身体に土が付くことには、やっぱり抵抗があるっす」

 カクちゃんは、ダイビングキャッチを「転がされる」と捉えているらしい。ノッカーへの球の供給役をしているサキノリが、すかさずノラセンに何事か吹き込む。

「おーい、カクちゃん! ここは稽古場で、ボールは兄弟子。つまりノックは、ぶつかり稽古だ。だから、転がされて当然! 気合入れていけ!」

「なるほど、了解っす…でも、稽古ならいいですけど、実際の試合で土が付くのは、縁起が悪いっす…」

 カクちゃんは、運動だけでなく思考法まで、とことん不器用だ。サキノリが、ノラセンにまた何事かを吹き込む。昔、高級料亭の不祥事会見で、コメントする息子を横から操る「ささやき女将おかみ」と呼ばれた人がいたが、サキノリはさながら「ささやきヲタク」である。再度知恵を付けられたノラセンが、カクちゃんに叫ぶ。

「ユニフォームが汚れるだけだから、問題なしだ! 素肌に土が付かない限り、おまえは負けてな~い!」

「そっかー! ユニフォームを着てたら、いくら転がっても負けにならないんだ! いや~、野球っていいっすね!」

 こうやっていちいち立ち止まって考え考えやってきたから、相撲部でのカクちゃんは、成長が遅かったのだ。ノラセンの際どい打球を飛ばすノックと、サキノリが授けた理論武装によって、カクちゃんの素質が、相撲より先に野球方面でグングンと開花していった。巨体にもかかわらず、ボールへの反応が速く、ダイビング後に体勢を立て直すのも素早い。大福のようなもち肌の下には、餡コならぬ強靭なバネが潜んでいるようだった。


                  *


 ベンチには、そんなふたりの特訓を見守る、九人目のメンバーがいた。

「あんたもビスケット食べる? おいしいよ、あっはっは」

「あ、いただきます!」

 ベジ子が不思議なポケットから取り出したビスケットを躊躇なく受け取るのは、野球研究部の幽霊部員として、三日前から連合チームに参加しているE水の二年生、「ハザマ」こと羽佐間はざま あたる。選手の形をした”オブジェ"として、センターやバッターボックスに立っているだけでいいから、という条件で参加してもらったのだ。だから特に何かをしなくてもいいのだが、これが、本当に何もしない。

 それでも妙にチームになじんでいるし、合同練習には欠かさず顔を出す律儀な性格で、みんなと一緒に風呂も入れば、ごはんもおいしく食べる。仲間たちも練習しない彼に特に含むところなく、ごく普通に仲良く接している。何もしなくても、一緒に付き合ってくれるだけでありがたいし、部の一員であることにも変わりはない。それが通常の野球部にはない、このチーム特有の結びつきだった。

 E水の野球研究部を率いるサキノリは、彼の合流前に「彼がいなかったら大会に出られないことを、絶対に忘れないで」と皆に伝えていた。野球研究部を正式な部にするために、ヅラセンが赤点回避の特別指導と引き換えに幽霊部員にした四名には、全員がコミュ障で帰宅部という共通点があった。総帥のサキノリ自身、部室に引きこもってなかなか連合チームに合流しなかったほどだったが、今こうしてベンチでニコニコしているハザマも、中学時代に「心が風邪を引いた」経験があり、しばらく登校できない時期があった。

 サキノリはチームの全員に「…決して励ましたりせず、そこにいるだけでいい、というスタンスで」と、ハザマとの接し方をレクチャーしていた。彼のニコニコ顔の下には「九人目として、とにかくここに居る」という役割を全力で果たそうとする健気けなげな意思がある。みんなにもそれがわかるから、かけがえのないチームメイトとして受け入れているのだ。

 そうして連日ベンチに座ってみんなの練習を見ているうち、ハザマは何かに目覚めた。練習参加という方向には行かなかったが、マネージャーの手伝いを自発的に始めたのだ。こなす仕事は次第に本格的になっていき、マネージャー軍団はマネ子ズ・プラスワンとなった。結果、ハザマは「オブジェ」から「オブジェ兼マネージャー、そして練習免除の不動のレギュラー」へと進化し、特殊な存在としての肩書を、さらにレベルアップさせたのだった。

 九人目としてハザマを入れるよう進言したのは、野球面の参謀であるサキノリだった。チーム編成がほぼ固まって、守備の要であるキャッチャーのレンが、スカウト活動で練習を不在にする余裕はもうないし、戦力になるかもわからない人材を、これ以上探すタイミングでもない。何より、ブランクのあるエーヨンに投げ込みをさせるには、受け手のレンがいないことには、どうにもならない。

 また、ミントを獲得できたことから、外野はフータとともに、飛車角が揃った。この大駒二枚を左右に配置することで、センターはオブジェでもなんとかなりそうな目処が立ったのだ。その他にも、”オブジェ”をセンターに据えることには大きな意味があったのだが、それにはまた、いずれ触れることにする。


                  *


 こうして、ついにナインが揃い、三校による連合チームが正式に結成された。県予選のエントリーに際しては、チーム名を申請する必要がある。トーナメント表などに三校の名称を並べるのは長すぎるからだが、九人での初練習後に益多軒に集まった面々を前に、キョーコがまたも、何やら言い出した。

「なんで野球だけ、日本生まれの競技でもないのに、漢字表記のままなのよ?」

 キョーコの言い分は、こうだ。

「バスケやバレーのことは、籠球部や排球部なんて言わないじゃない。だったら、野球関係の部活がベースボール部って名乗ったって、いいんじゃない? とにかくウチらは"何の疑問も持たずに野球部を名乗ってる、思考停止の奴らとは違うんだ"ということを、名称でアピールしたいの」

 ノラセンが口を挟んだ。

「そうは言っても、ウチはもともと野球部だし…」

 キョーコはすかさず反論する。

「E農はそうでしょうけど、E商は野球同好部だし、E水なんかは野球研究部なんですけど、それを”野球部”で一括りにしろと? そもそも三校バラバラの名称なんだから、この寄せ集まりの三校だけの新しい部の呼び名をつける方が、より結束が深まるってもんじゃないですか?」

 日頃からチームワークの大切さを説いてきたノラセンを、「結束」というキーワードひとつで、あっさり返り討ちにするキョーコであった。

「じゃあ、登録名はどうするの?」

 ベジ子の問いかけに、キョーコは即答する。

「登録名はE農水商連合ベースボール部、略称は”E農水商”、部の呼び名は"連合ベース部"で決まりよ!」

「「「連合ベース部…」」」

 何人かが口に出して、その語感や響きを確認したのち、レンが質問する。

「キョーコさん、その、略称と部の呼び名っていうのは、どういう違いなの?」

「略称のE農水商っていうのは、スコアボードやトーナメント表に使われる名称ね。たとえば、『今日の対戦カードはA工業対E農水商』みたいな。部の呼び名っていうのは、今までだったらE農野球部とか、E水野球研究部って言ってたでしょ。でも、この夏は三校連合でワンチームなんだから、出身母体の部名じゃなくて、統一名で呼ぶべきなのよ」

 恒例の立て板に水である。

「だけど連合チームと言っても、昔ながらの野球部だけじゃなくて、プレイせずに研究だけする部もあれば、同好会から発展した部もある。そんな我らが連れ合って甲子園を目指すのが”連合ベース部”よ。野平先生も、それでいいですよね?」

 すでに何回もキョーコにやり込められているノラセンは、絶対に口ではかなわないと、諦めの境地であっさり白旗をかかげ恭順する。文字通り「恭子にしたがう」と書いて、恭順である。またクビを言い渡されて、今度こそ太賀グループ全店舗で「野平監督クビ記念セール」を実現するとか言い出されてはたまらない。

「みんながいいなら、ワシも同意するよ…」

 レンは密かに思った。

(ノラセンが逆らって全員で正座、なんて事態にならなくてよかった…)

 生活指導の、しかも他校の教員にマウントを取って説教する女子高生。キョーコは、連合チーム参加からたった一ヶ月弱で、監督をも上回る絶対的な権力の座に君臨していた。


                  *


 そして話は、本作第一回の冒頭シーンに戻る。

「あたしたち、これからみんなで、連れ合って~!」

「「「「「甲子園まで!」」」」」

 ようやく九人が揃い、部の呼び名も「連合ベース部」に決定したので、ここで改めて三校のメンバーをおさらいする。


 E水からは、サキノリ率いる野球研究部。

 高校在学中に気象予報士試験に合格したフータ(ライト)。そして、野研部の幽霊部員で”打てない走れない守れない”の三拍子が揃った「オブジェ」ことハザマ(センター)。マネージャーにして、ある時は作戦参謀、またある時は先乗りスコアラー、そしてその実体は野球腐女子であるサキノリ。連合ベース部の部長に就任した水産学講師の、不自然な髪型のヅラセンこと葛城房雄先生。


 E商からは、レンが同好会として立ち上げ、永世生徒会長のキョーコが腕力で部に引き上げた野球同好部。

 九人揃ってめでたくスカウト部長職を返上したレン(キャッチャー)と、秋にバドミントンの世界ユース選手権出場を控えるため、県予選限定参加のミント(レフト)。マネージャーにして恐怖の裏大将・キョーコ。そして、美貌の音楽教師であるソラセンこと海山うみやまそら先生が、連合ベース部の顧問として加わる予定である。


 そして連合ベース部本拠地の、E農野球部。

 エースで四番の大黒柱・エーヨン(ピッチャー)と、鉄壁の二遊間コンビ、コーサク(セカンド)とアオダモ(ショート)。バスケ部と相撲部からレンタル参加のスケちゃん(ファースト)とカクちゃん(サード)。選手五人の最大勢力だ。そして、農村のおっかさんこと、マネージャー兼料理番のベジ子。連合ベース部初代監督に就任した、稲作指導教員・ノラセンこと野平良太先生。


 キャプテンには、連合ベース部の母体であり、唯一のグラウンドがあるE農野球部で、二年生ながらキャプテンを務めるコーサクがそのまま推挙された。なにしろ他ジャンルからも動員したほどの寄せ集めなので、野球歴はコーサクがいちばん長いというのが、選出の決め手になった。もっとも、「だからコーサクがいい」と言い出したのはキョーコである。このチームは結成時の経緯から、選手よりもマネージャー、ことにキョーコの発言力が強く、誰も異議を唱えなかったというのが実際のところ。ヘタに異議を唱えたら、全員正座の刑になりかねない。

 コーサクがこの重責を引き受けたのは、今やキョーコの忠実なしもべであるレンの振る舞いを見続けたことで、縁の下の力持ちに徹すれば、二年生の自分でも、この特殊なチームのキャプテンが務まりそうだとわかってきていたからだ。本当は最初からいたコーサクとアオダモ以外の全員のスカウトに携わり、しかも要のキャッチャーで三年生のレン先輩こそがふさわしいとコーサクは思っていたのだが、キョーコ先輩が推挙しているのだからと、レンは頑なに固辞するだろう。かくなる上は、腹を括って引き受けるしかない。

(せっかく、優しい先輩たちに恵まれてるんだから、この連合ベース部が少しでも長く活躍できるように、頑張ろう!)

 コーサクは自分に活を入れた。現在はすでに五月の半ば、この連合ベース部が活動できる期間は、最大でもあと三ヶ月ほどしかないのである。


                  *


 世界的アスリート、かつ助っ人のミントは、格段にフリーダムな行動が部内で許されている。基礎体力作りについては、むしろミントの知見によるアドバイスでチーム全体が動いていたし、スケちゃんとカクちゃんを鍛えるのが最優先課題だったので、外野は個人のポテンシャル頼みで練習免除だった。

 バドミントン選手の資質は、野球競技への親和性が高いと言われている。たとえば、フォームの類似性。ボールを投げる動作は、ハイクリアやスマッシュを打つモーションと極めて近く、体重移動と肩・肘・腕の振りで力を正確に伝えることや、筋肉の使い方も似ているという。このため、バドミントンの一流選手にピッチャーをやらせたら、相当な活躍が見込まれるそうだ。また、スマッシュの初速は時速四百キロと言われており、シャトルを捉える動体視力がバッターとして、どんなシャトルでも拾い上げる反射神経は守備の面でと、それぞれ大いに役立つに違いない。

 ちなみに、二刀流で大活躍する日本人大リーガーは、母上がバドミントンの国体出場経験者とのことで、おそらく幼少時にはバドミントンに親しんでいたであろうという、興味深いエピソードがある。

 そんなわけで、他のメンバーより余裕のあるミントは、トレーニングの合間には、休息と栄養補給を同時に満たせるあの場所に、連日入り浸っていた。ベジ子がE農で専攻する食品科学科の、調理実習室である。

 いまや連合ベース部として三校合わせて選手九人が揃い、料理の腕を振るう機会も増えたので、最近のベジ子は毎日が楽しくて仕方がない。その上、メンバーの中に、心を通じ合った世界的アスリートがいる。そんな彼を実験台モデルに、自ら考えた栄養管理の成果を日々確認できるのだから、腕が鳴らないはずがない。

 ミントにとっても、種類豊富な日本の野菜のおいしくて効率的な摂り入れ方は非常に参考になったし、大好きなベジ子と、互いの専門分野の知識を披露しあうのも楽しい。アスリートにとって大切な食べ物を、信頼できる人に調理してもらえるのは心強く、ありがたいことだ。

 ふたりは、すでに互いにとって、なくてはならない、かけがえのないパートナーになっている。

「オレ、すっかりベジ子に餌付けされちゃったな~」

「あっはっは。ストマック・クロー、今日も炸裂だね。そんなことよりミント、あんた秋に世界ユースがあるのに、日本でこんなことしてて、本当にいいの?」

「これ…みんなには言ってないんだけど、実はオレ、夏までバドミントンの練習禁止令が出てるんだよ」

「大会前なのに、練習禁止令!?」

「こう見えてもオレ、練習だけは人一倍熱心で…あれ、人の一倍ってことは、人とまったく変わらないってこと?」

「え、じゃあ、人二倍? だけど、人二倍って言うっけ? え? あれ?」

 このふたり、本当に波長が合うようだ。たぶん”何とかの三杯汁”と同じ内部構造によるものだろう。ちなみに「一倍」は、「ある数を二つ合わせる」「倍」という意味なので、「人一倍」で「人よりいっそう」となる。算数的な掛け算ではないのだ。

「ま、いいか。で、この春先もオーバーワークになっちゃって、ついにコーチからストップが掛かってさ。"半年前からこれじゃ、大会が始まる頃にはパンクするぞ"って。それでもう、コイツをオーバーホールさせるには、海外の練習拠点から一時追放するしかないって、日本へ強制送還されたんだよ」

「でも、今でも結構練習してるじゃない。ひとりでだけど」

「そう。どうせ練習しちゃうだろうけど、ひとりでやる分にはそこまでハードにならないだろうから構わないって。でも、強豪チームに紛れ込んで勝手に猛練習されないように、バドミントン協会から全国にお触れを出されちゃってさ。"羽鳥が現れたら即、通報せよ"って」

「あっはっは。お尋ね者だね」

「オレ、バド業界で面が割れてるし。で、夏に海外拠点に戻って三ヶ月で仕上げれば、世界ユースには十分だって」

「だから、夏までは日本にいるってことなんだね」

「野球に誘われてノータイムで応じたのも、バドミントン以外で忙しくなれば、ちょうどいいオーバーホールと気分転換になると思ったからなんだ。実際、連合ベース部は楽しいし、日本に強制送還されたから、こうしてベジ子にも出逢えたわけだし。練習し過ぎた春先のオレに感謝だな」

「じゃあ、あたしは、ミントを国外追放したコーチに感謝だね。あっはっは」

 楽しく会話を交わしながらも、ふたりともなるべく、地区大会が終わる夏以降のことには触れないようにしている。あまり考えたくないのだ。今は、まだ。




【6回裏】ソラセン降臨


 初めてナインが揃ってから、はや一週間。連合ベース部に、ついに大トリを飾る「はじめまして」のキャラクターが合流した。

 E商の野球同好部の顧問に就任した、美貌の音楽教師・海山うみやまそら先生、通称ソラセンが、E農グラウンドに現れたのだ。


 この日は平日だったので授業があり、集合時間は午後四時。その十分前に、E農の放送室でちょっとした騒ぎが起こった。キョーコがいきなり乱入して、アナウンスブースを占拠したのだ。

「ちょっと、マイクを借りるわよ」

「えっ!? 部外者は入っちゃダメですよ!」

 放送部員が止めるのも聞かず、マイクの前にどっかと腰を下ろして、ボリュームをMAXに上げ、突如アナウンサー口調でしゃべり始める。

「一日の学業を終えて、気だるい放課後をお過ごしの皆さまに朗報です。本日、当校野球部と連合ベースボール部を結成したE商の、あの美しすぎる音楽教師・海山そら先生が、初めてご来校されます。暇を持て余している皆さま方、どうぞ野球部グラウンドまでお集まりいただき、県下に轟く噂の美貌を、とくとその目でご覧くださいませ。神々しいそのお姿は、疲れ目かすみ目ドライアイを瞬時に解消し、終生の語りぐさとなることでしょう」

 言いぐさにはいちいち引っかかるが、本業のアナウンサー並みにいい声だ。少なくともグラウンドにいる連合ベース部の面々は、この端正なアナウンスがキョーコの声だとは誰ひとりとして気づいていない。

 放送室を占領下から解放したキョーコは、校門脇の駐車場へと急ぐ。ソラセンはE商から直接、自家用車で乗り付けることになっていた。

 彼女の愛車は、真っ赤なポルシェだ。しかも、半世紀ほど前のスーパーカーブーム時代の骨董品である。街なかのE商から、山のふもとにあるE農まで、まさしく緑の中を走り抜けて来たのだが、颯爽どころか、法定速度を頑なに守り抜き、ノロノロ、ヨタヨタとやって来た。

 それもそのはず、ソラセンは免許取り立てで、車体には若葉マークが貼り付けられている。「馬鹿にしないでよ!」という歌声が聞こえてきそうなクルマだが、スーパーカーに若葉マークでは、確かに道行く人から馬鹿にされそうだ。派手な車がソロソロと駐車場に進入するのを見ながら、キョーコは思う。

(若葉マークもドライバーも、とことんポルシェに似合わない組合せね)

 そして、ポルシェの真紅のドアが開くと、E農の駐車場に女神が降り立った。


 美しい。美しすぎる。光り輝いている。五十メートル先からでもわかるほどの美しさだ。のどかで緑豊かな農林高校の風景からは、浮いて見える。いや、実際に地面から浮いているのではなかろうか。天女か、はたまた妖精の女王か?

 白く滑らかな肌、パッチリとした二重の大きな瞳、細く高い鼻筋、艶やかでエレガントな口元、咲き誇るピンク色のバラのような頬、豊かに波打つダークブラウンの厚髪。上品で華やかな美貌が、初夏の明るい陽光にも劣らない輝きを放っている。女優でも間違いなくヒロインクラスの容色だ。眩しい。

 スリムなボディに上品なライトブルーのスーツジャケットをまとい、胸元にはノーカラーの白のシルクブラウスが覗いている。柔らかな曲線を描く揃いのミドル丈のスカートからスラリとした長い脚が伸び、首から下げた細い金鎖の先に、一粒パールが控えめに揺れている。あまりに端麗で、立ち姿を捉えた美人画にしか見えない。

 車から降り立ったソラセンに、キョーコが声を掛けた。

「そら先生、ようこそ。E農の皆さんがグラウンドでお待ちかねです。ちょっとギャラリーが多いけど、ビックリしないでくださいね」

「ねえ、あれはいったい、何の騒ぎなの?」

 ソラセンが、少々臆した様子で尋ねる。少し離れたこの駐車場からも、グラウンドの周囲に溢れかえった人々が見えている。制服姿の生徒や、部活をほっぽり出してきたユニフォームやジャージ姿の中に、教師も数人混ざる。アナウンスは近隣にも響くので、近所のお年寄りや農家の人々も、何ごとかと駆けつけて来たようだ。

「先生を歓迎する人たちが、首を長くして待っているんですよ」

 遠目でも際立つ美貌のソラセンを発見したギャラリーから、どよめきと歓声が上がった。戸惑うソラセンに、キョーコが吹き込む。

「そら先生、笑顔笑顔! 先生がちょっと微笑むだけで、みんながハッピーになれるんですから!」

 みんなの幸せ…ソラセンはその手の言葉に、実に弱かった。トロイのヘレン級の美人だが、争いごとは苦手で大嫌いな、頭に「超」のつく平和主義者だ。みんなの幸せと言われては、謙虚で控えめな本来の性格に反しても、愛想良く笑顔を振りまかずにいられない。生来の容姿に加えて、この計算のない利他的なふるまいが、ますます多くの人を惹きつけ、ファンにしてしまうのだ。

 笑顔でギャラリーに会釈するソラセンの傍らでは、キョーコが何食わぬ顔で控えつつ、首尾よく運んだソラセン降臨の一幕に、心の中でほくそ笑んでいる。

 まずは、放送室ジャックで人を集める。そこへソラセンという美女爆弾を投下する。他校への初訪問とあっては、お嬢様育ちのソラセンは、まずは無難なネイビーかグレイのスーツを選択するだろう。しかし、キョーコに用事があるのは、清楚な女性教師ではなく、華やかな音楽のミューズだ。そこで以前に見たことがある、ライトブルーのスーツをわざわざリクエストしていた。インパクト抜群の真っ赤なポルシェで登場してくれたのは、望外の大ボーナスだ。

 はかりごとが見事に当たること以上の美味はない。キョーコの何よりの大好物だ。

 それにしてもキョーコはなぜ、こうも的確にソラセンの弱点を突けるのか。

 そして、それ以上の疑問もある。合唱部と、全国二位の吹奏楽部をダブルで率いる有能かつ多忙な音楽教師にとって、野球同好部の責任教師と、連合ベース部顧問への就任は、どう考えてもデメリットでしかない。キョーコはいったいどうやって、ソラセンの首を縦に振らせたのだろうか?

「皆さん、はじめまして! E商業高校の音楽教師、海山そらです。この度、縁あって農林さんと水産さんと連合して、甲子園を目指すことになりました!」

 張りのある美声と一撃必殺の天使の微笑みに、ギャラリーから「うおおおぉっ」と、地鳴りのような歓声が上がった。

「連合ベース部へのご声援を、どうかよろしくお願いいたします」

 挨拶ひとつで、拍手喝采が沸き起こる。

「あれだけの美人は、なかなかいませんよね~!」

「冥土のみやげじゃ」

「野球部がうらやましー!」

 などなど、生徒や教員、近隣の農家やご隠居などの老若男女が、口々に盛り上がる。キョーコのこの一計によって、連合ベース部はE農とその近隣からの支持を、一瞬にして集めたのだった。

 そして、キョーコの狙いはもうひとつ。ソラセン来校のチャンスを利用して多数のギャラリーを集め、場数を踏んでいないチーム全員に「観客がたくさんいる状況に慣れる」経験をさせることだ。キョーコはその後も、ソラセン来校のたびにアナウンスで集客を図り、ギャラリーを増やして彼らのメンタルを鍛えていった。

 なお、ソラセン以外で、ギャラリーの注目を最も集めたのは、日々外野で凧揚げをするフータである。

 フータは、特殊技術を持った特別な助っ人として、ミントと同様にプロ野球のキャンプで言うところのS班待遇、マイペースでの練習と調整が許可されていた。野球自体は久々だから、バッティング練習は参加するので、守備練習の時間がフータのフリータイムとなる。というか、他のメンバーは復帰したてのエーヨンや、スケちゃんカクちゃんの特訓にかかりきりで、外野フライを上げられるノッカーがおらず、必然的に守備練習は自主トレにならざるを得なかったのだ。

 なのでフータは、ここE農のグラウンドでも、凧を揚げるのが日課となった。その日の風の流れをひと通り観察すると、空高く凧を揚げ、頃合いを見計らって手元の糸を切る。そして制御を失い、複雑な舞い方をする凧を、正確に落下地点で待ち受けキャッチする。これがフータにとっての守備練習なのだが、冗談か本気かわからないこの光景はギャラリーを驚かせ、見事なキャッチのたびに喝采が上がった。しかもフータは、スマートな長身の塩顔イケメン。ソラセンが来ない日はあっても、フータの凧揚げが行われない日はないので、いつしかこの自主練目当てのギャラリー(主に妙齢女性)が、一定数集まるようになった。

 E水の責任教師であるヅラセンがたまに練習に顔を出すと、彼は野球自体はよくわからないので、大抵、外野で凧を揚げているフータのところに来る。同じE水のサキノリも空き時間があればこの輪に加わるから、野球のグラウンドに、白衣姿が二名も揃う。しかも、かたや不自然な頭髪、かたやダブダブ白衣だ。面妖さみなぎるアカデミックなこの光景は周囲から浮き上がり、美人音楽教師やイケメン高校生気象予報士とは、まったく別の方向で注目を集めた。


                  *


 ソラセンがE農に初訪問した日の練習後、益多軒ますだけんで歓迎会が開かれた。参加者は、教員とマネ子ズの合計六名。教員とマネージャーが三校の情報を共有する「連絡会議」の初会合も兼ねている。

 ノラセンは、こうして連合チームが成立し、しかも地区優勝も夢ではない戦力が整いつつある、奇跡のような現状がうれしくて仕方がない。この春に卒業した「ヤンチャ世代」の素行を放置して、野球部を廃部寸前まで追い込んだことをずっと後悔し続けていたから、なおさらだ。

 だから、歓迎会としてはトリになるソラセンを、選手も含めた全員で迎えたいと思って張り切っていたのだが、意外な人物が選手の参加にストップを掛けた。

「あっはっは。監督の気持ちはうれしいけど、ナインはダメよ。栄養管理の担当者として、あたしが許さない」

 ベジ子だった。先日開催された、スケちゃん・カクちゃん・ハザマのラストピース三人衆の歓迎会で、「おっかさん」はこう宣言していた。

「選手のみんなは優勝祝賀会まで、益多軒はこれで食べ納めよ。ここでまたお腹いっぱい食べたかったら、優勝目指して頑張りなさいよ。あっはっは」

 ベジ子は、摂るべき栄養素と推奨メニューのレシピをナイン全員に渡し、各自が摂取した三食すべての写真を送らせ、日々アドバイスを行うなど、選手たちの体調面からチームを支えるべく、既に飲食関連をガチモードに切り替えていた。ついでに夏の万が一に備えて、自分のダイエットも一緒に敢行するつもりでいる。

 ノラセンは、このストップにいたくガッカリする反面、大いに安堵してもいた。「閑古鳥が鳴くマスケンの店は俺が支える」という妙な男気から、ノラセンは益多軒の飲食では、常に自腹を切る。ヅラセンがどんなに折半を申し出ても、一銭も受け取らない。しかし、先日の助っ人三人衆の歓迎会で、ノラセンの財政はすでにデフォルト状態に陥っていたのだ。

 ただでさえ食欲旺盛な高校生の集団なのに、ミントとエーヨン、そして驚異の新人・カクちゃんが加わった爆食ブラザーズの破壊力は、予想以上に凄まじかった。店主のマスケンをして「イナゴの群れに襲われたみた~い」と言わしめたほどだ。

 それやこれやで、今回は選手たち抜きで練習後に事務連絡会議を開き、その流れの食事会をソラセン歓迎会とした次第である。キョーコは会議前に業務上の電話が数件あり、少し遅れて合流するので、ひとまず五名でのスタートになる。


 ビールを勧めるノラセンに、ソラセンはコップの口を手のひらで塞ぎ、

「今日はクルマで来ているので、お酒は…」

 そこへヅラセンが、

「サキちゃんと同乗させてもらえるなら、良かったら僕が運転代行しますよ。僕はお酒を飲めないので」

 マスケンが、すかさず茶々を入れる。

「あら~、そんなこと言って、そら先生の家を知るのが目的なんじゃな~い?」

「…それなら大丈夫。この人は女性に興味がないから」

 サキノリが、即座に否定した。サキノリの祖母の弟子であるヅラセンとは、E水で先生と生徒になる遙か前から一門の兄妹弟子同士なので、これまでこの"兄"に、女っ気が一切なかったことを知っている。しかし、サキノリのこの情報に、マスケンは目を輝かせた。

「あら! 女性に興味ないって、もしかして男性には興味アリアリってこと!?」

「…いや、恋愛には興味ないって意味なんだけど…」

 と、サキノリは呆れ顔でマスケンを見たが、そこら辺は腐女子の手前勝手な妄想と大差ない。

 ソラセンは生真面目な性格ではあるが、お酒は決して嫌いではない。むしろ好きな方だ。それに若葉マークの腕前で、あの骨董品のスーパーカーを夜間運転するのは怖いから、ドライバーを代行してもらえるなら、それはありがたいことだ。

「では葛城先生、お言葉に甘えてしまってよろしいですか?」

 マスケンが中華鍋を振って次々と料理を作り、ベジ子も自家製の漬物や調理実習室で作った料理を並べ、お酒も揃った。

「お料理もお漬物も、とてもおいしいわ! お酒が進んじゃうわね」

 ソラセンは、ヅラセンが運転代行を買って出てくれたことに安心して、楽しく飲み始める。

「ガハハッ! そら先生、今日は主賓なんだから、たくさん飲んでくださいよ~」

 ノラセンも、楽しそうにお酌をする。ヅラセンが飲めない体質で、練習後の飲み仲間にし損ねたので、意外な飲み仲間が現れたのが、殊のほかうれしかったのだ。


 やがて、電話仕事を終えたキョーコが、益多軒に引き揚げてきた。そして、お酒を手にしたソラセンを見て、慌てて叫ぶ。

「あ、そら先生にお酒を飲ませちゃダメ!」

 ソラセンは、頬をほんのりピンク色に染め、潤んだ瞳でキョーコに答える。

「あら~、キョーコちゃ~ん、な~にお堅いこと言ってんの~?」

「しまった~、うっかりした! この調子じゃ、もう結構飲んでるわよね? じゃあ、そろそろ始まるわよ」

 一体、何が始まるというのか? 一同が固唾かたずを飲んで見守っていると、キョーコの予言通り、ソラセンは突然すっくと立ち上がった。そして、

「海山そら、歌います!」

 と声を張り上げるや、

「ベートーヴェン作曲、交響曲第9番 ニ短調 作品125、第4楽章」

 ご丁寧に作曲者と曲の正式名称まで前置きしてから、朗々と歌い始めた。ドイツ語である。

「あ、これは『歓喜の歌』だね」

 ヅラセンが、すぐに気がついた。いわゆる「第九」の歌詞パートの部分である。日本では年末によく合唱されるので、初夏に聴くと意外な感じがする。

 あっけに取られる一同を前に、曲の中でいちばんテンションの高い、有名な盛り上がりの箇所に来ると、ソラセンは片方の靴を脱いでその足を椅子に乗せ、右腕を勇ましく上下に振りながら、一段と声を張り上げた。スカートがめくれ上がり、美しい脚がチラつく光景に、前に座っていたノラセンは、顔を真っ赤にして硬直している。

 ソラセンは、歌い上戸だったのだ。あきれ顔のキョーコが言う。

「…この人、普段はパーフェクトお嬢様教師なのに、お酒を飲んで一定量を超えると、こうやって突然第九を歌い出すのよ。とても想像つかないでしょ? あの美人がこんなになるなんて」

 吹奏楽部と合唱部の顧問を兼任する、根っからの音楽教師らしい酒の溺れ方ではある。すっかり気持ちよくなったソラセンは、賛美歌を歌いながら、キョーコとサキノリに両脇を抱えられたまま、愛車の真っ赤なポルシェの後部シートに押し込められ、ヅラセンの運転でE農から引き揚げて行った。

 その姿があまりに面白かったので、以後、代行運転できるヅラセンが同席する益多軒での会合では、ソラセンに思う存分飲んでもらい、その度に繰り広げられるパワフルな独唱会を、出席者一同で楽しむようになった。


                  *


 辣腕らつわんプロデューサー・キョーコの仕掛けは、さらに続く。

 E水とE商は、新しくユニフォームを作らなければならない。やっとナインが揃い、三校の連合チームとして県高野連に夏の大会への参加登録をした際にも、大会初参加となる二校のユニフォームについて、早めの作製を念押しされている。

 連合チームは統一ユニフォームを用意する必要はないのだが、E水とE商はそれぞれの部の特殊な事情により、そもそもユニフォームがない。本来は文化部であるE水の野球研究部は、フータとハザマ、いざという時に招集する幽霊部員「オブジェ二号」用の三着が。また、こちらも体育会とは言いがたいE商の野球同好部は、レンとミントの二着が、最低限必要だ。

「もう時間もないし、ユニフォームはどうするの?」

 練習終了前に引き揚げて来たマネ子ズが、部室代わりの益多軒に集まり相談中。ベジ子の問いに、キョーコが不敵な笑みで応じる。

「確かミントは、世界的なバドミントン用具メーカーのオフィシャル契約選手よね」

「…KOMEX社だよね。だけど、野球関連は作ってないはずよ」

 この点は野球ユニフォームフェチの、サキノリの得意分野だ。

「だとしても、自社の契約選手に"野球はジャンル違いだから、どのメーカーのものでもいいですよ"とは、ならないはずよ。ベジ子、ミントをここに呼んで! あと、レンとフータと、ハザマ…あ、ごめん、ハザマはもういたね。とにかく、E水とE商は全員集合よ」

 メンツが揃うと、KOMEX社の担当者・コメダさんに、ミントから電話を掛けてもらう。

「コメダさん、いつもお世話さまっす。…そうなんですよ~。秋には世界ユースがあるんですけど、なんか野球の大会に出ることになっちゃって~。で、今日はひとつお願いがあるんですが…、あ、野球チームのマネージャーに代わりますね」

 キョーコが、後を引き取る。

「初めまして、E農水商連合ベース部マネージャーの太賀と申します。ウチの羽鳥がいつもお世話になっております。実はですね、貴社とオフィシャル契約を結んでおります羽鳥が出場する野球大会のユニフォームを、アダダス社で製作する話が進んでおりまして…」

 嘘だ。アダダス社云々の話は、進んでいないどころか、もとより影も形もない。

「羽鳥は貴社の契約選手ではありますが、契約書にはバドミントン以外の競技に出る場合の被服規定の記載がなかったものですから」

 それはそうだろう。プロのトップアスリートが、突如として他のジャンルの競技に出場することなど、誰が想定できるというのか。

「アダダス社は貴社の競合相手ではありますけど、ジャンル違いの野球ですので、まあ差し支えないかなと。とは言え、お耳にだけは入れておこうと…。羽鳥のような名の知れたアスリートが別ジャンルに挑戦する、話題性抜群の連合チームのユニフォームを製作できると、アダダス社にはとても喜んでいただいているんです。同じように狙っていたナイケ社を、蹴落とせたと…」

 根も葉もない話に、さらにもう一社巻き込んだ。

「え、"ちょっと待ってください"って…ええ…ええ…えっ? "それ、ウチでやれないか"って、おっしゃるんですかぁ~?」

 それにしても、コメダさんも電話口でさぞかし驚いたことだろう。野球部マネージャーの女子高生が何の用事だ? と思っていたところに、海千山千の芸能マネージャーが出て来たようなものだ。淀みなく商談が進んでいるかに見えるが、実のところ詐欺よりも始末の悪い、合法的なタカリである。

「もちろん実費はこちらで…えぇ~いいんですかぁ~? そんな~悪いですよぉ~」

 口では「悪いですよ」と言いながら、キョーコは全然悪びれてないし、そもそも最初からビタ一文出す気はない。キョーコの周りを囲んだチームメイトたちは、特殊詐欺に加担させられているような気分で、心臓をバクバクさせっぱなしだった。

 結局この話は、たった一本の電話で、難なくまとまってしまった。いやはや、契約中のミントが所属するE商のユニフォームはまだしも、まったく無関係のE水のユニフォームまで製作させるとは。しかもタダで。

 実はこの背景には、KOMEX社ではすでに野球分野への新規参入が密かに進行中で、話題性のある連合チームへの試作品提供が、パブリシティとして渡りに舟だった、という大ラッキーがあった。しかし、キョーコの詐欺的な話術が、大いに物を言ったことも、また事実である。


 ところが、この話には、さらに後日談がある。

 ユニフォーム発注から数日後、練習後の益多軒では、キョーコがまたもKOMEX社に電話を掛けていた。

「どうも~、コメダさん。あたしあたしっ、E商のキョーコです。実は、もうひとつお願いがあるんですけど…」

 この上、まだ何か仕掛けようというのか。それにしても、滑らかで馴れ馴れしく押しの強い口調は、手練てだれの詐欺師のものとしか思えない。

「え、"それホントに許可されるんですか"ですって? 大丈夫、大船に乗った気でいてください。絶対に認めさせますから」

 今度はまた、どんな手を使って、何をするつもりなのだろうか?



次回〈7th innings〉ビーチ・マネ子ズ

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