甲子園まで連れ合って!

いざわしんきち

〈1st innings〉農村のおっかさんと三人だけの野球部


【warming up】


 時は五月の半ば。新緑が目に眩しい、ある日のこと。


「あっはっは。とうとう九人揃ったのね。…あれ、目から汗が」

 あねさん被りに、ふっくらボディの割烹着かっぼうぎ女子。大柄で、中型冷蔵庫のような体型。笑い上戸で涙もろく、見た目はほとんど「農村のおっかさん」。割烹着の裾で涙を拭う、これが不動の珍獣一号である。


「…ユニフォームがたくさん…尊い。ハァハァ」

 グリグリメガネにダブダブ白衣で、大柄な一号とは対照的。小柄な貧弱ボディをクネらせながら、ユニフォーム姿に萌える野球腐女子。興奮に頬を上気させて、見るからに挙動不審な、これが珍獣二号。


「でもまだ、ようやくスタート地点に立っただけ。お楽しみは、これからよ!」

 しんがりに控えしは、白虎びゃっこ柄の縞模様のスカーフターバンに、蛍光灯の光を弾くミラーレンズのヤンキーメガネ。制服のブラウスの上に黒ジャージを肩掛けして、樹脂製のサーベルを振りかざす。物騒で不穏な、これが珍獣三号だ。


 三人三様、ひとりとしてまともな格好ではないが、こんな見た目でも三人は女子高生で、野球チームのマネージャーである。しかも三人とも、違う学校の生徒だ。集まった選手たちの前に並んだ三人は、彼らの顔を見渡しながら、三人それぞれに感慨深げである。

 テーブル席で話を聞いている九人の選手たちも、この女子マネ三人が所属するいずれかの学校から来ているが、三校とも普通高校ではない。T県立のE農林高校・E水産高校・E商業高校の三校の生徒たちである。

 しかも、集まっているのは部室ではなく、なぜかラーメン屋。どうやら彼らは、この店を部室代わりに使っているらしい。

 選手の九人も女子マネと同様に、実にバラエティに富んでいる。がっしりした大男がひとり、小兵が三人、身長高めのイケメンふたりと、中肉中背の一般人、そして体重120キロの巨漢と、身長2メートルのノッポ。


「三校から寄り集まった、てんでバラバラのあたしたちが、これからガッチリ連れ合って行くのよ!」

 不穏なミラサンターバンの珍獣三号が、サーベルを振りかざして気勢を上げる。

「いったいどこまで連れ合うのか、あんたたち、もちろんわかってるわよね?」

 ヤンキーメガネの珍獣三号が掲げるサーベルの切っ先が、いちばん近くに座っていた小兵のひとりの鼻先に突き付けられた。その迫力に彼が思わず立ち上がると、つられて他の選手たちもガタガタと椅子を引き、全員が立ち上がる。

「ちょうどいいわ。どこまで連れ合うつもりか、全員の口から聞かせてもらうわよ」

 珍獣三号は大きく息を吸って、ひときわ声を張り上げる。

「あたしたち、これからみんなで、連れ合って~!」

「「「「「甲子園まで!」」」」」

 選手たちの声は、見事に揃った。

「はい、よく言えました。もし言えなかったら、全員正座で説教だったところよ。じゃあそういうことで、みんなこれからよろしくね!」

 農林・水産・商業。普通高校ではない三校から寄り集まって結成された高校野球の連合チーム。その顔ぶれは、マネージャーが三人、選手が九人、先生が三人。そして部室はラーメン屋。

 甲子園を目指す彼女らと彼らの、熱くて短い夏が今、始まる―。




【1回表】農村のおっかさんと三人だけの野球部


 季節は、春。冒頭のシーンから一か月半ほど遡った、四月初めのことである。

 ここT県立E農林高校、通称「E農」の野球部グラウンドでは、整列した部員たちによって、新一年生を勧誘するための動画撮影が行われていた。学校の放送部が取材する校内用のもので、映像は新入生が閲覧できるよう、学校のホームページにアップされるようだ。

 それにしても、野球部なのに、人数が少なすぎる。たったの三人しかいない。その全員が身長が170センチに満たない小兵だから、彼ら自身が新入部員に見えてくる。左胸に自身の名前が入った、白地の練習用ユニフォーム姿の部員がふたりと、黒ジャージ姿の部員がひとり。黒ジャージのロゴは「SHOGYO」…ショウギョウ…商業。そう、彼だけはE農生ではなく、隣町のE商業高校、通称「E商」の生徒なのだ。


 そして、ベンチからもうひとり出てきて、選手三人の横に並んだ。野畑のばた菜実なみ。E農食品科学科に在籍する新三年生、野菜農家の娘で、愛称はベジ子。料理が得意で、合宿では賄い担当として腕をふるう。

 女子マネージャーなのだが、いつも割烹着かっぽうぎを着ていて、手拭てぬぐいをあねさん被りにし、袖やひざ下からは、学校指定の緑のジャージが見えている。ややぽっちゃりな見た目は、さながら「農村のおっかさん」といった風情。身長が165センチとやや高いので、割烹着姿のフォルムは、まるで中型冷蔵庫だ。

 決して不美人ではない顔立ちだが、まん丸顔なのがやたらと目立ち、余計に福々しさを醸し出している。愛想がよく、ひとたび外を歩けば人からよく道を尋ねられ、ビラを渡され、アンケート調査員に声を掛けられと、その心理的ハードルの低い親しみやすい見た目で、お年寄りから子どもまで、幅広い層から支持を集めるタイプだ。


 やがて、ひとりの男性部員が、ビデオカメラに向かってしゃべり始めた。

「こんにちは。E農林高校野球部キャプテン、新二年生の土田です。昨年三年生が十人卒業して、今は新二年生がたったふたりです。隣町のE商業からの助っ人を含めても、まだ三人しかいないけど、新入生のキミたちにたくさん入ってもらって、夏の県予選大会に出場するのが目標です。どうぞよろしくお願いします!」

「「「みんな、待ってるよ~!」」」

「女子マネージャーも募集中で~す」

 土田キャプテンをはじめ、三人が三人とも、素直で明るい、とてもいい子そうな感じである。

 そのうちE農生のふたりは、クラシックな高校球児然とした坊主頭で、ともに小柄だから、お揃いのイガグリ君といったところだ。ユニフォーム姿なので、なおのこと無個性さが際立つ。マンガやアニメなら完全にモブキャラといったところ。しかし、ふたりとも新二年生とのことで、このチームに新三年生がいないのは、いったいなぜなのだろうか。

 残るひとりの黒ジャージの男は、坊主頭ではない。耳あたりまでの長さのサラッとした髪を、六四くらいでナチュラルに分けている。いかにもイマドキの「好感度高めの男子」といった佇まいで、これはこれで逆に特徴がなく、彼もやはりモブっぽい。しかし、屈託のないフレンドリーな笑顔は、なかなかに魅力的だ。

 この男はE商業高校の新三年生、「ひとり野球同好会」の郷間ごうま れん、通称・レンである。この男は間もなく、ある人物と出逢い、その人物を仲間に引き入れる重要なキーマンとなる。そして、その人物の加入はのちのち、この時点では想像さえできなかった、ひと夏の熱狂的ムーブメントへとつながっていくのだった。

 とにかく三選手とも、体育会らしい威圧感はまったくなく、アスリートには程遠いイメージである。この人数なら女子マネの追加募集は不要と思うが、このほんわかした雰囲気で、野球をやってみようという部員が、果たして集まるのだろうか。

 それにしても、「人数を揃えて地区予選出場が目標」、しかも、複数高校が寄せ集まってエントリーする連合チーム前提というところが、いかにも現代的だ。少子化が急速に進む中で、最低でも九人が必要な団体競技は大変である。


 撮影隊の放送部が撤収した後になって、監督がやってきた。

「あれ、撮影もう済んじゃったの?」

「すみません。撮影隊が予定より早く来てしまって、取材先が多いからすぐに撮りたいって言われまして」

 これは嘘だ。監督にだけ、予定より十五分遅い時間を伝えていたのだ。監督の名前は、野平のひら良太りょうた。担当教科は農作業指導で、野を改良する、つまり野良作業の先生、人呼んでノラセンである。髭面で、あだ名のセカンドネームは獄門鬼。

 校内でのスタイルは、本来は生徒用の、緑のジャージ上下がデフォルト。身長170センチ・体重100キロの特殊な小太り体型なのにぴったりサイズなのは、ノラセン自身がE農入学時に特注した、自前のジャージだからだ。既製品ではこの特殊体型に合う物は無いので、このジャージは今や、貴重な一張羅なのである。

 ノラセンは、決して悪い人間ではないのだが、だからと言って「いい人」とも言い難い。デリカシーの持ち合わせがなく、笑い声も必要以上に大きい。その上、生活指導担当の教員でもある。新入生を怖がらせては勧誘に逆効果なので、せめてビデオ出演だけはご遠慮願おうとなった次第。

 そんなノラセンが、レンに語り掛ける。

「部員が九人揃ったら、約束通り連合チームを学校側に掛け合うから、E商でも部員の勧誘、頼んだよ、レン君。集まりすぎても困るから、ほどほどにな。ガハハッ」

 集まらないからこの惨状なのに、おめでたいにもほどがある。野平良太、独身。四一歳の春だから、冷たい目で見ないで。

「そしたらウチのE商も、いよいよユニフォームを作らなきゃいけませんね。顧問を引き受けてもらえる先生も探さなくっちゃ」

 そう、レンは通常の練習のかたわら、普通の高校野球チームではおよそあり得ない「スカウト部長」という重責を担っているのだ。そもそも九人を揃えなければ、大会に参加できないのだから、最重要・最優先のミッションである。


「さあ、今日も元気に、裏の山にランニングに出ましょうか!」

 E商の"ひとり野球同好会"のレンが、張り切って声を掛ける。レンはとにかく、仲間と野球が出来ることが楽しくて仕方ないので、ついつい音頭を取ってしまう。何しろE商は、レンが入学する前年まで女子校だったので、野球のグラウンドすらないのだ。

 E農の二年生キャプテンの土田つちだ耕作こうさく、通称・コーサクも、本来は人の上に立ちたくない控えめな性格だから、他校生ながらやる気に満ちた、それでいて威圧感ゼロのフレンドリーな上級生の存在が心地よい。

 もうひとりのE農の新二年生・青木あおき たもつ、通称・アオダモも、見た目通りの温厚な野球少年で、背格好も坊主頭も同じコーサクとは、まるで揃いであつらえたようなルックスである。

 小柄な三人が肩を並べてロードワークに出掛ける姿は、まるで少年野球団の自主練のようだ。

「頑張ってくるんだよ~!」

と見送る割烹着姿のベジ子も、少年たちのうちの誰かの母親にしか見えない。

 もろもろの光景が、およそ高校野球とかけ離れていて、「甲子園」は影も形も、まったく見当たらない。もちろん、当人たちもこの時点では「甲子園」など、たとえ冗談でも考えてはいないだろう。前述の通り、彼らの目標は「九人集めての、県予選大会出場」なのだから。県予選まであと三ヶ月ちょっとなのに三人しかいないということは、これを三倍にしなければならないのだから、相当に厳しい。


 この物語は、こんな状態で春を迎えた彼らの目標が、どこでどう間違って「甲子園出場」に変わっていったのか、その軌跡を辿るお話である。


                  *


 少年野球団のロードワークを見送って、これからはベジ子のティータイムである。ベンチに腰掛け、自家製の漬物をお茶請けに、至福の時間が始まるのだ。北国ではまだ春浅い四月だが、今日はかなり暖かで、風もない。割烹着姿で日本茶を啜るあねさん被りのベジ子の姿は、どう見ても「農村のおっかさん、畑仕事の合間に一服」の図だ。気のせいか、グラウンドが一面の畑に見えてくる。信じ難いが、ベジ子、これでもセブンティーンである。


「ベジ子先輩、こんにちは!」

 初々しい制服姿の女子がひとり、グラウンドに入って来て声を掛ける。

「あっはっは。誰かと思ったらフル子じゃないの。入学おめでとう!」

 新一年生の水樹みずき蜜果みつか、ベジ子の家の近所の果樹農家の娘で、ニックネームのフル子は、ベジ子の命名。体型もベジ子を一回り小さくしたキュートなポチャ子で、見た目もプロフィールも似通ったふたりは、さながら青果シスターズである。ベジ子は、フル子をベンチに誘い、お茶と漬物でもてなす。農村の寄り合い感が、ますます色濃くなってきた。


「フル子、もしかして野球部マネージャー希望とか?」

 ベジ子は期待を込めて問いかけるが、選手がふたりだけの部に、ふたり目のマネージャーの出番はない。フル子は笑いながら手を左右に振って答える。

「いやいやいや、私はもう料研…料理研究部に入りました。ベジ子さんは小さい頃から私の料理の師匠なんで、入部の報告に来たんです」

「そっか~、それは残念!」

「それより、先輩はなんで料研を辞めて野球部に来ちゃったんですか? 私、料研でまた先輩にいろいろ教えてもらいたかったから、こっちこそ残念ですよ」

「あっはっは。まあ、大口を叩くと、ぶっちゃけ料研であたしが学ぶことはないからね。いわゆる"ラベルが違う"ってやつよ」

 現代の女子高生からそうそう聞けるジョークではない。センスが古すぎる。

「ところで、これ、ウチで採れたイチゴです。皆さんで食べてください」

「ありがとう! ランニング後のビタミン補給にピッタリよ。実はあたし、アスリートの食事サポートに興味があったから、料研を辞めたのよ。ほら、アスリート向けの食事ってストイックで、味は二の次ってヤツが多いじゃない。だったらあたしが、おいしいアスめし…アスリート食を作って、選手のボディメイクに貢献してやろうじゃないって」

「でも、先輩自身は一切運動しないし、ボディラインなんかもまったく気にしない、フリーダムな食生活じゃないですか。なんでまた、アス飯に興味持ったんですか?」

 何しろ、冷蔵庫体型の「わがままボディ」だ。

「もう、あたしの"ラベル"だと、どう料理したっておいしいものができちゃうから、おいしくてカラダにもいい、って料理にチャレンジしたくなったのよ。ほら、ウチは野菜農家じゃない。レシピで付加価値を上げれば、野菜もより売れるってもんでしょ?」

「だから、運動部のマネージャーになったんですか!?」

「そうそう。あと、合宿の時に、大量の料理を作る経験もしてみたかったから。最終的に野球部と相撲部で迷ったんだけど、相撲部だと、カラダを大きくするための食事で、アス飯って言うよりデブ飯になっちゃうからね。それで野球部にしたんだけど、まさか三年の春になっても、選手がふたりだけのままとは思わなかったわ。あっはっは」

「でも、選手は今、三人いますよねえ?」

「E商からひとり参加してるのよ。人数が足りない高校同士が連合チームを組んで、地区大会にエントリーできる制度があるの」

「連合しても三人じゃ、まだ全然足りないじゃないですか?」

「そうなのよ。野球って、最低九人が必要じゃない? 日本全体が少子化してるって言うのに、ハードルが高いのよね」

「そう言えば、サッカーは十一人でやる競技なのに、連合チームってあまり聞きませんよね?」

「サッカーって、小さい頃から体育の授業でもやるし、なんたって運動場さえあれば出来るじゃん。道具だってゴールポストだけだし、使わない時は隅に寄せとけばいいし。なにしろ小学校で全員が競技経験者になっちゃうんだから、そもそも競技人口の分母が違いすぎるのよ」

「野球はグローブが最低でも九個は必要だし、ユニフォームとかスパイクシューズとか、なんだかんだでお金も掛かりますよね」

「公園でも、最近はキャッチボール禁止ってところがほとんどだから、野球のボールに触ったことのない子も多いのよ。だから、部活の選択でサッカーやバスケ、バレー、卓球や陸上とか、遊びや授業でやったことがある競技に、みんな持って行かれちゃう。それに野球って、なんか泥臭くて、イメージが古いし」

「じゃあ、野球の連合チームって、今後は増えていく一方なんですね」

「そう、だからあたしらは、時代の最先端を行ってるの! 時代を先取り過ぎて、二校合わせても、たった三人しかいないけどね。あっはっは」

 現状のままではエントリーすら叶わないのだから、笑いごとではない。四月で三人は、相当深刻な人数である。

「あっ、もうこんな時間。私、そろそろ料理研究部に戻らなきゃ。じゃあ先輩、料理の手が必要な時は、いつでも駆け付けますから、気軽に声を掛けてくださいね!」

「ありがとね。地区予選にエントリーできるくらい部員を増やしたら、その時は頼んだわよ。フル子もそれまでに、料研で腕を磨いておいてよ。あっはっは」


                 *


 ベジ子がティータイムを満喫していた頃、E農の校舎を見下ろす裏山では、ロードワークに出たレン、コーサク、アオダモの少年野球団が、頂上に差し掛かっていた。すると、一本道の反対側から、堂々たる体躯のジャージ姿の男が、走りながら近付いて来た。

「あっ!」

「「あっ!」」

 大男と、コーサク&アオダモは、同時に声を上げた。双子のようなふたりは、声が揃うことが多い。

 鍛え上げられた、いかにも野球向きの体付きをした大男を目にした瞬間、レンは脊髄反射的に呼び掛けていた。

「ねえキミ、一緒に野球、やりませんか?」




【1回裏】エースで四番の俺様だった


「おまえ、下級生のくせに、キミとは何だ」

 思わず声を掛けたレンを見下ろした大男は、即座に言い返した。

 刈り上げにした濃い黒髪、がっしりした目鼻立ち、せまった太い眉、いかつい顎、太い首から続く、幅の広いいかり肩。眼光が鋭く、体全体が大きいので、ただ向き合って立っているだけでも、ものすごい威圧感だ。

 それでもひるまないのが、常にフレンドリーなレンの長所である。

「ボク、E商の三年生です。E農ジャージを着てるってことは高校生で、少なくとも同輩だと思ったんで」

「おまえ、三年なのか、そりゃ失礼したな。そうか、同輩か。てっきり下級生かと思ったよ」

 見た目の割に、案外素直である。

「レ、レンさん…このお方は誘っちゃダメです」

「え~、こんなに野球向きの、いい身体してるのに」

「「だからダメなんです!」」

 コーサクとアオダモがまたもハモって、レンを止める。

「コーサク! アオダモ! おまえら、こいつに俺の事情をよく説明しとけ」

 どうやら、大男とふたりは、知り合いらしい。

「「エーヨン先輩…」」

 また、ハモった。

「やめろ! もう二度と、その名で呼ぶんじゃない!」

 大男は捨て台詞を残して、来た道を戻って走り去った。


 ええよん? A4? なんだろう、その記号みたいな、牛肉の等級みたいな、コピー用紙みたいな呼び名は。何か、いろいろと深い事情がありそうだ。

「ふたりとも、ちょっと休憩しよう。彼について、詳しい話を聞かせてよ」

 レンたちは、ロードワーク中に休憩場所としてよく利用する、東屋のベンチに腰掛けた。そして給水がてら、レンはコーサクとアオダモの話に耳を傾ける。


「あの人、沢村さんっていうんですけど、僕たちとは幼なじみで、小中学校はもちろん、地元の少年野球団でも先輩後輩だったんです」

「ああ、やっぱり野球をやってたんだ。で、今は何を?」

「まあまあ。ちょっと長くなりますけど、いろいろあっての今なんで、順序立てて話しますね」

「そっか、ごめん。つい気がいて。ゆっくり聞かせてください」

「あの先輩は、少年野球から中学と、見た目通りのすごい選手で、文字通りのエースで四番バッターだったんです」

「エースで四番…ああ、だからエーヨンなんだ」

「しかも、本人の名前は沢村さわむら栄四えいじって言うんです。栄えるに数字の四」

「まさに名は体を表す! しかも、伝説の大投手の沢村栄治さんと同じ読みじゃない! まさか親戚とか?」

 栄治さんの方は、プロ野球の本格派投手を顕彰する「沢村賞」にその名を残す、不世出の大投手である。

「いえ、全然。まったく関係なくて。先輩のひいおじいさんの名前が栄一で。それで、先輩のおじいさんが栄二、お父さんが栄三なんです」

「単なるナンバリングなんだね。彼に息子が出来たら、栄五で確定だ」

「まあ、そうなんですが、エーヨンってニックネームは自己申告で、チームメイトに強制的に呼ばせるくらい、"エースで四番"に、こだわりがあったんです。もちろん、そう名乗るだけの実力もあって、中学の県大会では三連覇してるんです。つまり、中学野球では三年間無敗で」

「それはすごい!」

「進学時には各校からスカウトが来て、エーヨン先輩は都会の野球エリート校を選んだんです。いわゆる野球留学ですね。野球校だから、いい選手もいっぱいいるんですが、本人はそこでも"エースで四番でやるんだ"って張り切ってて、でも…」

「…でも?」

「レンさん、イップスって聞いたことありますか?」

「聞いたことある。なんか、今まで出来ていた基本的な動作が突然出来なくなっちゃうことだよね」

「レンさん、さすがです。…沢村さんは、突然ストライクが投げられなくなっちゃったんです」

「え~っ!?」

「入部してからすぐ、監督に"ウチは選手層が厚いので、投手か打者のどっちかに専念しろ"って言われたらしいんですね。でも先輩は"エースで四番でこそ"だったから、それなら投打両方で欠かせない存在になってやるって」

 こうしてテンパった結果、投げる方がどんどんおかしくなったというのである。

「打つことは普通に打てるし、ピッチャーゴロを捕って一塁に送球もできる。でも、マウンドから打者に向かって投げると、ストライクが入らないんだそうです」

「ピッチャーで、それは…」

「そう、致命的です。よりによって、スピードはそのままなので、投げる球が全部危険球になっちゃって。イップスって、いちど感覚が狂うと、出来なくなった動作がどんどんおかしくなっていくらしくて。しまいにはどう投げているのか自分でもわからなくなって、フォームもめちゃくちゃになったそうです」

「残酷だ…」

「肉体的にはなんともないので、医者に掛かって治してもらえるものでもなくて。だから、ケガの方がまだマシなんですよ。治ればまたプレイ出来るんですから。で、沢村さんはピッチング以外は出来るので、監督は当然、打者専念を言い渡したんですが、先輩は、"エースで四番じゃない俺様なんて"と、さっさと自主退学をして、一年生の夏にはこっちに戻ってきたんです」

 コーサクのあとを、アオダモが続ける。

「帰郷してE農に転入した当初は、校内で随分と話題になったそうですよ。"帰宅部の超大型新人デビュー"って。なにしろ186センチ・95キロですからね」

「そうだったのか…。でも、一年生の夏にはもう、前の学校を辞めてるってことは、転校でプロテクトが掛かる一年間を遥かに超えてるから、何とか打者としてだけでも、入ってくれないかな?」

「毎日ランニングを欠かさずに、あの体格を維持してるわけですから、ブランクがあっても、きっとすごく打てると思います。でも、"エースで四番"じゃなきゃ絶対ダメです。先輩はとにかく頑固ですから。…それに」

「それに?」

「それとは別に、断られても仕方のない理由が、もうひとつありまして…」



次回〈2nd innings〉その娘、狂虎につき

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