祟り木綿——黒き布に魅せられて

SANGSANG

第1話【闇に抱かれて、彼女はひとり】——決して脱げない呪いの衣

https://kakuyomu.jp/users/SANGSANG/news/16818622177488216992


激しい雷雨が、地を叩いていた。

遠くで雷鳴が響くたび、わずかに揺れるカーテンの隙間から差し込む稲光が、部屋の輪郭を鋭利に浮かび上がらせる。


窓の外にあったはずのビル群の灯りが、まるで切り取られたかのように消えていた。 カーテンの隙間から覗く景色は、まるで油絵のように静止していた。

静寂はなく、ただ雨音と……。 ギチ…ギュ…ギシギシ… 奇妙な圧迫音が、室内のどこかから響いていた。


それは、汗と涙に濡れた床にうずくまる“彼女”の身体から発せられていた。

彼女の身体を包むのは、黒いタンクトップのような衣服。

肩口から腰までぴったりと密着し、異様な光沢を放つその布地は、まるで人肌と溶け合っているかのようだった。

下半身には膝小僧からすぐ上までを覆う五分丈のスパッツ。

タンクトップと完全に一体化した、競泳水着に似た構造。


まるでゴムのような張りと、シルクのようなつやを併せ持った生地――しかし、それは生地という言葉すら拒絶するように、彼女の皮膚へと沈み込んでいた。


「う……な、…なんで…脱げ…ん…と!」


彼女は懸命に脱ごうとする。

足をばたつかせ、手に力を込める。

肩の布は彼女の鎖骨を砕かんばかりに強く食い込み、爪が入る隙間もなかった。


「きっ…!…あ…痛っ…!!」


爪が剥がれそうになり悶絶する。

汗に濡れ、硬直した布は、粘着質のにかわのように肌へ食い込み、可動域を奪っていた。

肩甲骨の動きすら封じる。

肉が布に挟まり、ひと押しするたびに「ずるっ」と滑る感触が、皮膚ではなく“内部”から伝わってくる。

刃を差し込むわずかな隙間もなく、ちばさみすらその役目を果たすことができなかった。


ギシ…ギ…ギュギュ…


彼女は苦しんでいた。

どうあがいても決して脱げない忌々いまいましい呪いの衣。

黒く鈍い光沢を放つ“それ”は、まるで生き物のように彼女の肉体を締め上げていた。

がんじがらめに縛られたように彼女はその場でうずくまる。


身体の解体。

肋骨が、ひとつずつ奇妙な角度にねじれていく。

肺を支える骨の支柱が、あたかも誰かの手で摘ままれ、ねじられ、ゆがまされているかのように。


「くぅ……ッ、ぐ……っ!…いつ…まで続く…ん…」


肩口──

鎖骨をなぞるように走る幅広のショルダーラインは、布地というよりも拷問具に近かった。

ギリギリと皮膚に食い込む。

呼吸をするたび、肌に貼りついた布が微かに動くのがわかる。

そのたびに、皮膚の下で何かがひきつれるような、鈍い痛みが走った。

彼女が肩口を指先で掴もうとした瞬間、布地と皮膚の間に“感触”の差異がないことに戸惑っていた。


——腹


──ぐぢ……ぬち…


体内から音がした。


かつて“臓器”と呼ばれていた何かが、潰れた袋のように折り畳まれ、本来の位置を失っていく音だった。

腹部に激痛が走る。 胃が……いや、腸か? もう区別がつかない。

すべてが混ざり合い、重力に逆らうようにねじれ、圧縮されていた。


——腰

肋骨の下から骨盤へと滑る曲線は、もはや“曲線”ですらない。

まるで誰かが内側から肉体を握り潰し、強引に形を変えたように、骨と筋肉と脂肪が不自然に寄せられ、押し込められている。 肌と密着した黒光りの加圧インナーは、布というより生きた殻のように見えた。


「…かっ…はっ、………はっ……」


呼吸にあわせて微かにうごめきながら、決して彼女の身体から剥がれようとはしない。

その腰のラインには、縫い目も切れ目もない。つまり――逃げ道もない。


太腿も悲惨だった。 黒いスパッツ部分が、まるで鋼の輪のように肉を抑えつけていた。

締めつけられた太腿の上部は、圧迫の痕で赤く染まり、その内側で血流が制限されているのが、皮膚の色の変化から明白にわかった。

あたかも無骨な鉄の枷をガチャッとめられたように、彼女は立ち上がることすらできない。

それでも、布は緩むことなく、まるで「もっと締めよ」と命じられているかのように、さらに肉に食い込んでいた。


汗が、体温上昇とともに黒い衣の“拘束機構”を活性化させる。

まるで発汗センサーを搭載しているかのように。

汗をかけばかくほど、生地が収縮し、筋肉の間に食い込み、体表を圧迫する。

まさに「脱ごうとする努力」そのものが、「さらなる密着」を呼び込む罠だった。


締め付けだけでなく、彼女の呼吸も制御されているようだった。

肋骨が内側から軋む。圧に抗おうとする筋肉が、皮膚の下でひとつずつ悲鳴を上げる。

吸えない。 吐けない。 肺が膨らむはずの空間が、まるで誰かの指で押し潰されるように——狭まっていく。

息を吸おうとする。だがそのたびに、“それ”が応じるのだ。 布が、ギチ…ミチ…と音を立てて胸郭を締めつけてくる。 吸気に合わせて微かに収縮する黒の繊維。 それは意思を持つ指のように、彼女の肺を、横隔膜を、内側から掴んで離さなかった。


「……ぅ……く……ッ!…それ…、以上…や…やめ…」


床に崩れ落ち、手をつき、背をのけ反らせた彼女の口元は、かすかに開いたまま震えていた。

彼女の喉から出る音は、呼吸音ではなく──「あえぎを模した痙攣けいれん」だった。

空気は喉の奥までしか届かない。

それ以上は、骨と筋肉が密閉された檻となり、肺への侵入を拒絶する。

彼女の身体に貼りつく黒の“それ”は、まるで彼女の内部構造を事前に知っていたかのように、肺胞はいほう一つ一つの動きを先読みし、潰していく。


胸郭の隙間にまで張り巡らされた“それ”の圧力は、まるで螺旋状の締具のように内から外へと力を加え、彼女の呼吸そのものを完全に「管理下」に置いていた。

一瞬、空気を吸おうとすると──その瞬間、ぐっ、と胸の布地が微かに縮むのだ。

自律した締めつけ。まるで「まだだ」と言わんばかりに、彼女の肺の膨張を拒絶する。


「……はっ…ふっ…う…ぅ…!」


地獄のような呼吸の制限は彼女の意識すら支配しつつあった。

次第に視界が滲む。

頭が熱を持つ。

耳鳴りが強くなり、床の木目が歪んで見える。

彼女が理解しているかどうかは定かではない。


これは単なる締めつけではない。呼吸という生命のリズムそのものを、書き換えられているのだ。


大蛇の凶悪な締め付けにも似た収縮、締め付け、じり。

息をするたびに螺旋が閉じ、彼女の命に一巻ずつ蓋をしていくようだった。

やがて肺の奥で、音がした。


キィ……ギシ…


骨が軋む音。

それは骨の音だった。

胸骨の隙間が軋み、肋骨の内側に張りついた肉が、ずるりとずれる。

呼吸が小刻みになる。

手足が震える。

この異様な“黒い何か“は彼女の小さな体を締め上げるように、捻じ曲げるように、あるいは喰らおうとしているようにも見える。


首筋から滴る汗は、もはや体温の調整機能を超えていた。


……ギチ…ギチッ……ミシ…


異音がまた一つ、身体の内側から聞こえる。

最初は布が擦れる音だった。今は骨や内臓が悲鳴を上げている音が聞こえる。


「も…もう…やめ……て…お…、お願い…だか、…ら…」


か細い声。 それは祈りでも懇願でもなかった。

もはやそれは、自分自身への“謝罪”にも似たものだった。


「ひっ……い、いだい、いたい……っ、いたいッ!」


悲鳴にも似た声が闇に割れて響く。

心なしか、外の雨音が彼女の叫びに呼応するかのように激しさを増す。

この部屋にいるのは彼女だけ。

だが、この室内には“彼女以外の何か”が確かに存在していた。


「……ごめんな、ざい、取り消ず…!」


言葉にならない謝罪と後悔の断片。

悲鳴が響いた瞬間、彼女の大腿部の内側で、血管がひとつ、ぷつりと破裂した。

圧迫されたスパッツの縁から、内出血のような赤黒い痕が滲み出す。

皮膚の下で、壊れてはいけないものが壊れ始めていた。

涙と嗚咽でぐずれた声の中に、明らかに「何かを許容した」という後悔が滲んでいた。


そして、 ——それが自分の意志だったのか、与えられた意志だったのか、もはやわからなかった。


「やっぱり…あたしは…」


そのとき、窓が一瞬、まばゆい白に染まる。

間髪入れずに、雷鳴がとどろき、彼女の叫びをかき消した。

稲妻が顔を照らす。

恐怖と痛みに歪んだその表情は、白い閃光の中に浮かび上がった。

その顔に浮かんでいたのは、恐怖と苦痛と、なぜかほんのわずかな希望。


その黒い“何か”は、肉体の内側へと潜り込み、喰らい、締め上げ、そして意識の奥底へと静かに根を張っていた。

締め付けというより、動けない彼女を、存分に『味わっている』ようだった。


次第に、圧力が呼吸のリズムに同調し始めた。まるで“彼女”の存在を学習しているかのように…。




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