あの子はナニモノ

椎葉伊作

【1】

加奈子かなこってさ、視える子ちゃんだったんだっけ?」

 後部座席の中央から身を乗り出すようにして、真穂まほが言った。

「え?」

「高校の頃さ、そうゆうこと言ってなかった? 体育館のトイレがなんか気持ち悪いとか、使われてなかったハンド部の部室でオバケ見たとかさ」

「それ、二組の三谷みたにのことだろ?」

 ハンドルを握る啓太けいたが、ルームミラー越しに真穂に言う。

「三谷ぃ?」

「ほら、きーちゃんって呼ばれてた子。体育の合同授業の時に、怖いとか頭痛がするとかって騒いでヨッシーに保健室に連れてかれたの、覚えてるだろ」

「あー! あの子ね! 思い出した思い出した。あの時、結構な騒ぎになったよねえ。そーそー、吉田よしだちゃんまで来てさ。あれ、結局何だったの?」

 真穂が甲高い声を上げて、私もようやくそのエピソードを思い出した。そういえば、そんなことがあった。でも、〝きーちゃん〟と呼ばれていたのは知らなかった。私が耳にしていたのは、〝構って三谷〟という呼び名だ。

「さあ。私霊感ありますアピールだったんじゃねーの? あんな新しいピッカピカのトイレに幽霊なんか出るわけないし。人が死んだとか聞いたことなかったし」

「へー。うわー、なんか色々思い出してきた。きーちゃんねえ。なんか修学旅行でもトラブル起こしてたよね。メンヘラこじらせまくっててさ。結局、不登校になっちゃったんだっけ」

 ヨッシー、吉田って、保健室の先生のことだよね? と訊こうとした私を置き去りに、二人の会話が展開していく。

「あー、そんなのもあった気がするわ。なんか、家がヤバい子だったんだっけ?」

「そう、確かそうだよ。両親が離婚しててさ。お昼の弁当もね、いっつも菓子パンだった。百円で五個入りとか、そういうのばっか食べてたっけ」

「片親パンじゃん、それ」

「あー! やっぱりあれって本当だったんだ」

 ケラケラと無邪気に笑い合う啓太と真穂とは違って、私の表情筋は死んでいた。

 きーちゃんこと三谷さんがどんな人間だったのか、私はよく知らない。話したこともないし、顔も思い出すことができない。

 でも、もしかしたら複雑な事情を抱えていて苦しんでいたかもしれない人間のことをメンヘラ呼ばわりするのも、インターネットの下卑た悪意が産んだ片親パンなんて酷い言葉を使って嘲笑うのも嫌だった。

「加奈子は霊感とか無いよなあ? どっちかっていったら、鈍い子ちゃんだし 」

 私が黙りこくっていたせいか、気を遣って啓太が話を振ってくる。が、

「えー。でも、加奈子の職場って老人ホームでしょ? ほとんど病院みたいなものじゃん。怖ーい経験とかしたことないの?」

 答える前に真穂が口を挟む。

「……無いよ。人が亡くなるような所じゃないし」

「へー、そうなんだ。なんか、出そうな感じするけどねえ」

「真穂はないの? 小さい子供とか、視えたりするっていうじゃん」

「無いよー。っていうか、それどころじゃないし。子供の相手って、ほんっとうに疲れるんだもん。馬鹿みたいにピーピー泣いて、コロコロ気分変えて、ギャーギャー喚いてあっちこっち走り回ってさ。ちょっとでも怪我しようものなら、馬鹿親がキーキー言ってクレームつけてくるし。あんなクソみたいなとこ、幽霊も逃げ出すよ」

 真穂は身を乗り出すのをやめて後部座席にふんぞり返りながら、忌々し気に言った。保育園に勤めている者とは思えない発言だったが、実際に働いているからこそ言えることなのかもしれない。

「そっか。俺も無いなあ、そういう経験は。だったら――」

 啓太がブレーキを踏み、車が緩やかに停まる。

「三人共、今日が初めて幽霊を見る日になるのかもな」

 フロントガラスの向こうの暗闇の中で、さながら異界への入り口のように赤い光を放つトンネルを眺めながら、啓太が言った。

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