21 贄の玉座

 契約の儀から数日が経った。


 契約をしたからといって、特段生活が変わるわけではなかった。

 強いて言えば、時々聖女として、奉仕活動を行う必要があると神殿の神官から説明があった。

 もちろん、女神の加護を受けた王子や聖女が国防を担っていることで、十分アピールになるのだが……そこは、色々と大人の事情というか……


 まあ、私も奉仕活動をするのはやぶさかではない。

 聖女となってから、衣食住が保障された。

 魔物狩りにいそしむルキアス殿下とイシュティナさん、第一騎士団でちゃんと団長業をしているユリウス……その中で、基本的にセレノア宮にいた私は、『働いている感』は一切なかった。

 働かざるもの食うべからず。

 奉仕活動で幾分か返せるなら――安いものだ。


 私は、あれから――

『極秘の勉強会』には、足が遠のいてしまっていた。


 だってさ……私だって、年頃の娘だよ?


 あの術式を、同い年とか、ちょっと上くらいの異性と見るのは、まるで私自身、裸以上に裸にされたみたいな羞恥心が伴う。


 ――私は、この人専用に、カスタマイズされた“女の子”になったんだって。


 なんて、開き直って報告なんてできない……

 そんなの、冷静に受け止められるほど、私は強くない。


 学問として割り切れれば良かったのかもしれない。

 でも私は、ただの一人の女の子として、そこに立ってしまっていた。


 ミルドア先生は、それを知ってか知らずか、無理に誘ってくることはなかった。

 まだ、私を作り変えた層まで読み進められていないらしいカイレル・アルセノール公爵令息からは、何度か出席の催促があったけれど。

 セドリックからは、もちろん音沙汰なし。

 ……何となく、彼には、この構文の一件は知られたくなかった。

 けれど、そうはいかないんだろうな。


 とはいえ――彼との道は、もう別れてしまったのだ。

 私がどうなろうと、彼にはもう、関係ない……。



 これからの身の振り方を考えながら、私は中庭でユリウスの帰りを待っていた。

 気候はだいぶ暖かくなってきたとはいえ、夕方になると肌寒い。

 そろそろ室内に入ろうか――そう思った、その矢先だった。


 玄関の方が、にわかに騒がしくなる。


 ――ユリウスかな……


 無意識に期待しながら、私は玄関へと向かった。


 けれど、帰って来たのはユリウスではなく、ルキアス殿下とイシュティナさんだった。

 しかも――様子がおかしい。


「――――っっっ」


 あのイシュティナさんが、取り乱していたのだ。

 ルキアス殿下に、まるで守られるように、抱きかかえられるようにして。


「ど……どうしましたかっ?」


 私が駆け寄ると、ルキアス殿下は、待ってましたとばかりに表情を明るくした。


「アナスタシア嬢、良いところにいた!あなたは魔術や魔法に詳しかったな。相談に乗ってもらえないだろうか。」


「え……ええ、私でよろしければ……」


 ルキアス殿下たちとは、だいぶ打ち解けてきたけれど、

 こんなふうに相談を持ちかけられるのは初めてで――正直、ちょっとうれしかった。


 そうこうしているうちに、ユリウスも帰ってきて、

 結局、四人で話し合うことになった。


 まあ、どのみち私ひとりでは判断できるようなことでもなかったし――

 これはこれで、好都合だったのかもしれない。


 イシュティナさんの様子から、話の内容が深刻であることはすぐに察せられた。

 そのため、話し合いの場は、ルキアス殿下の私室となった。


(余談だが、殿下とイシュティナさんは現在、婚姻後に使う予定だった夫婦の寝室をすでに使用しており、殿下の私室では寝起きしていないとのことである。)


 お茶を運んできた侍女を下がらせると、

 二人掛けのソファに並んで座った殿下は、イシュティナさんの肩を抱き寄せながら、

 どこから話そうかと少し迷った末に、ゆっくりと口を開いた。


「お前たちは、俺たちが魔物狩りで『原初の森』に入っていたのは知っているな……」


「ええ。詳しくは知りませんが、魔物退治をしていたと聞いています。」


 ルキアス殿下がこちらを見て言ったので、私が答えた。

 ユリウスはもう少し詳しいのかもしれないけれど、私は知らない。


「ああ、そうだ。俺たちは、イシュティナの召喚直後から魔物の掃討にあたっていた。

 最初は森の周辺や、王都の地下遺跡を中心に。

 やがて『原初の森』周辺に、特に強い魔物が集中していることに気づいて、

 年が明けてからは、そちらを重点的に回るようになった。


 契約で俺の魔力も強化され、聖属性も加わったおかげで、掃討は加速度的に進んでいた……」


「すごいですね。」


 私は相槌を打って、続きを促す。


「ああ、森の中には、いくつもの遺跡があった。

 どれも前王朝の時代、エルフが住んでいたものだったが、

 長い年月に打ち捨てられ、荒れ果てたままだった。


 ――だが、今日たどり着いた最奥部の遺跡は、どれとも違っていた。


 誰の気配もないのは同じだった。けれど……

 そこには、掃除の跡があり、手入れがされ、空気が流れていた。

 まるで、まだ“生きている”建物だったんだ。」


「え?! 原初の森は、無人のはず……!」


 驚いたのは、私だけではなかった。

 ユリウスも、身を乗り出すように声をあげる。

 原初の森に住む者はいない――

 それは、王都に暮らす者なら誰でも知っている“常識”だった。


「ああ……だが、あの遺跡は、他のものとはまるで違った。

 俺たちは、とりあえず中に入ってみたんだが――」


 ルキアス殿下は、そこで一度言葉を切り、

 イシュティナの肩に回した腕に力をこめた。


「入ってみて、気づいた。……どうも俺たちは、『女神の祭殿』に迷い込んでしまったらしい、と。」


「原初の森の奥にあるという、あの『女神の祭殿』ですか?」

 思わず問い返す私に、ルキアス殿下は無言でうなずく。


「聖女はおろか、神殿関係者でさえ、最高位の者しか近づくことを許されないという――

 実在するのかすら曖昧だった、“女神の御座みくら”。

 そこにあなた方は、立ち入ったのですね!」


 私は思わず目を輝かせて身を乗り出した。


「ちょっと……」


 ユリウスが横でたしなめるけれど――そんなの、知ったことじゃない!


『女神の祭殿』といえば、王朝創成期を研究する者にとっては、絶対に手の届かない宝箱――

 そこにはきっと、創成期の真実が、記録が、何かが詰まっているはずだ。


 たとえそうでなくても、聖女にすら開示されていない“女神”の核心に、何か触れられるかもしれない。

 そんな機会、二度と来るとは限らないのだ。


「ああ……俺たちは、知らずに入ってしまったんだ。

 内部には、特段変わったものはなかった……つもりだった。

 壁には一面、何やら壁画が描かれていて……それから、エルフの聖人と思しき立像が、壁際にいくつも並んでいた。」


 ルキアス殿下は、ちらと私の方を見て、苦笑を浮かべた。


「……アナスタシア嬢、すまねぇがな。俺たち、術式とか古代語とかは門外漢でよ。

 そんな期待に満ちた顔されても、覚えちゃいないんだよ、一つも。」


 どうやら、私の顔には知らず知らずのうちに、「もっと詳しく!」と書いてあったらしい。


「建物は、ちょうど神殿の大聖堂みたいな構造で、

 中は広い広間になっていたんだ。……そして、その一番奥で、俺たちは見た。

 彫像のように静かで、でも――確かに“生きている”一人の女が、玉座のような椅子に座っていたんだ。

 装飾品の意匠からして……たぶん、あれは“聖女”だ。」


 言ってから、ルキアスはふと口をつぐみ、

 冷めきったお茶をひと口飲んで喉を潤してから、ようやく続きを語り出した。


「最初は、その女にばかり目を奪われていた。

 けど……玉座は一つじゃなかったんだ。


 正面の壁に沿って、同じような椅子が……五つか、六つ……いくつも並んでいてな。

 そっちにも、何かが“座っていた”。」


 殿下の声が、わずかに低くなる。


「……そっちは、もう明らかに死んでた。

 干からびた死体だ。

 ある者はうなだれた姿で、

 ある者は――苦悶の表情で、口を開けて叫びかけたまま凍りついていて。

 またある者は、すでに白骨化が進んでいて……

 そして――どいつもこいつも、例外なく、聖女の装いをしていた。」


 ルキアスの語りの端々から、ぞっとするような寒気が滲む。

 アナスタシアが“知”に震えていた数分前とは、まるで別の次元が立ち上がってきた。


「私も怖くなって中央の綺麗なままの一人に目を戻したんだ。それで――私は気が付いてしまった!」


 突然イシュティナさんが叫んだ。

 彼女は恐れおののき、いつもの戦士としての威厳は鳴りを潜めてしまっている。


「あれは、六年前に突如姿を消した、我が愛する主、アミラ・エルディナ・ザガル=アルダ。

 ザガル=アルダ帝国の第三皇女、アミラ殿下だ!」


 彼女は手で顔を覆い、そのままルキアスの肩へ、ゆっくりと崩れるようにもたれかかった。


「……六年前……でしょう? 六年前には、聖女召喚はなかったわ。見間違いでは……」


 私は、彼女を慰めるように言ったつもりだったが――イシュティナさんは、首を横に振る。


「いいえ。見間違うことなんて、ありえない。

 詳しくは言えないが、私たち護衛戦士だけが知っている、“主”とそうでない者を見分ける方法があるのだ。

 彼女は確かに――アミラ殿下だった。

 六年前に姿を消されたときと、ほとんど御姿が変わっておられなかった……」


 彼女は目を伏せたまま、静かに続ける。


「それに、私も最近ようやく気づいたのだが……

 召喚って、同じ世界から呼ばれるからって、同じ“時間”からとは限らない。

 ――実際、私は……数日だけど、“未来”から召喚されていた。」

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