35話 さあ、先に召し上がって?
【紫安の視点】
オルネアでは日が落ちる時間が早い。
かつてボクが居た世界なら明るい時間でも、すでに真っ暗だった。
レストランの中では、すでに何人かの客が食事をしている
食器の音や小さな話し声が、硬い木材の床に沈殿していった。
アンネリースさんに誘われて来たここは、グレイの水平基調のインテリアに囲まれていて、すごくお洒落で大人っぽい雰囲気だった。
だからボクは、やっぱり緊張していた。
なにせ、女の子と二人でディナーとか、ボクの今までの人生では存在しなかったし、目の前のアンネリースさんはやっぱ女神だし……何よりも、ボクは女の子のままだった。
繊細で華奢な身体が、ますます心許なく感じる。
そして頭の中に、サロメの言葉が浮かぶ。
——『「始まら」せるのか、「終わら」せるのか……あるいは「止めたまま」にするのか。全ては、シアンの動きかた次第よ。天才さん?』
しかし美人過ぎるアンネリースさんを見るたびに、その言葉は不確かに思えた。
アンネリースさんとボクの間に、何かが起こり得るの? 不釣り合い過ぎない? てか、まじでボクと彼女が? ボクはまだ女の子のままなのに??
ボクの頭の中では混乱が渦巻いたままだった。
そんな僕を他所に、アンネリースさんは落ち着いていた。
彼女はゆっくり食前酒を飲み、パンを口に運ぶ。
ちなみにボクは未成年なので、オレンジジュースだ。
今日のアンネリースさんは白のリネンのゆったりしたワンピースで、大きな真鍮のバックルの濃紺のベルトを付けている。
私服の彼女は、軍服の時よりもさらに大人の女性らしさが際立っていた。……やっぱちょっと緊張してきた。
ボクから少し視線を逸らしたアンネリースさんは言う。
「そういえばシアンは……
ボクは頷く。
「そう。ボクは環外徒。“日本”って国から来たんだ……」
“環外徒”とは、ボクのように異世界から来た人間を指す言葉だ。
少し寂しげなボクの様子を察したのか、アンネリースさんが気遣う。
「もしかすると、嫌なお話でしたか……?」
「い、いや……。嫌ってわけじゃ無いんだけど……」
実際のところ、前の世界のことを思い出すのは、心が痛かった。
——詩歌に、学校に、街に、母をはじめとするみんな……すべての日常が崩壊して白い線に飲み込まれたんだ……。
……辛く無いわけがない。
しかしだからといって、アンネリースさんに気遣ってもらってばかりでは、ダメだと思う。
だからボクは話を続ける。
「
「いえ……。それなら無理にお話しされなくても良いんです。私もシアンと同じで、子供のころの話は積極的にはしたく無いですから……」
アンネリースさんの過去については、ネリに聞いた事があった。
たしかアンネリース三姉妹は、バハリムの北側の国の貧民街の出身だとか……。
血の繋がりのない女の子三人が、手を取り合ってなんとか生きてきたとか……。
それだけでも、彼女たちがボクの想像以上の苦痛を負って生きてきたんだと分かる。
アンネリースさんはふとボクの手に目をとめて、話を変える。
「それでもシアンは手も身体も華奢で、労働とは無縁の体つきをしていますよね……? もと居た国では、高貴な身分だったのですか?」
「いや……。ボクはそんな身分じゃ無いよ。ボクが産まれた国では、大部分の国民は20代ぐらいまでは勉強だけをして育つんだ」
「なんと……。シアンが居た世界では子供のころは、勉強をするだけで生きていけるのですか? それは本当に平和な国だったんですね。バハリムもいつかそのような国になれば良いのですが……」
そう言って彼女は、淡く微笑んだ。
その儚くも美しい笑顔にドキッとする。
どんな時も国の事を考えているなんて……『やっぱこの人は心の中も女神なんだ』と思った。
話ついでに、ボクはずっと気になっていた事を聞くことにする。
「……ところでアンネリースさんって、ボク以外の環外徒に会ったことある? ヤマシロ中尉みたいな……」
アンネリースさんはそれを聞いてちょっと驚いた。
「シアンは、よく知っていますね。たしか……ヤマシロ中尉の三代前の方が環外徒だったと、聞いていますが……」
「いや……。ヤマシロ中尉について知っていたわけじゃ無いんだ。『ヤマシロ』って名前が、ボクが元居た国の人の苗字なんだ」
「なるほど……彼の名前が……。しかし、残念ながら私は、彼以外の環外徒については知らないんです。あるいは、マリナ様ならよくご存知かもしれないですが……」
つまり今の話から、『環外徒』と言うか『日本人』は、少なくとも100年ぐらい前からこの国に来ていたことになる。
——それじゃあ、ボクがこの世界に落ちた時のような『世界の崩壊』は、他の時代にもあったって事なんだろうか?
——あるいは、ボクと同じ世代の人の中にもオルネアに転移して、同じように生きている人も居るんだろうか?
疑問は深まるけれど……アンネリースさんはよく知らないみたいだし、今は深く考えてもしかたが無い。
とにかくお礼を言う。
「ありがとうアンネリースさん。そのうちマリナさんにも聞いてみようと思うよ」
「いえ。あまり参考にならずにすみません」
ボクたちの会話の区切りで、ちょうど次の料理が運ばれて来た。
給仕が運んできた料理を見たアンネリースさんが目を輝かせる。
「腸詰の煮込みですね。ゾアナの郷土料理ですよ。シアン? とくにこの店のものは、トマトのスープが絶品なんです。さあ、先に召し上がって?」
そう言って喜びながら大きなスプーンで小皿に料理を盛るアンネリースさんの笑顔は、いつもよりも無邪気だった。
控えめに言って……この部屋の何よりも美しく可愛かった。
少し落ち着き始めたボクの心臓の鼓動がまた高まり始めた。
【ヤマシロ中尉の視点】
装備を整えて、ナバレス砦の外に出た。
ナバレス砦に吹き付ける早春の風は冷たい。
積み上げられた防塁が、深緑色の草原に無数に連なっていた。
第七魔導士隊の私の部下たちが整列していた。
さっそくハリド少尉が私に話しかける。
「ヤマシロ様。進軍中の神権軍は、5000人ほどだそうです。これまでで最大規模とか……」
「5000人か……。いよいよ本格的な攻勢に打って出たか……」
私は部下全員の表情を確認した。問題は無い。士気は十分だ。しかしゆっくりとしている時間は無い。
号令をかけ、進軍を開始する。
その中、ハリド少尉は話を続ける。
「……神権軍のさらなる増援の可能性も考えられます。……不吉な噂もありますし」
彼の動揺を制する。
「不確かなことを連ねて考えるな。他の者にも伝播する。今は目の前の戦闘に集中しろ」
「はっ。失礼しました」
ハリド少尉は敬礼をした。
彼の言う『不吉な噂』は私も耳にしていた。——『熾天のリュカ様』が戦線に復帰されたとか……。
おそらくかのお方が戦線に現れた場合、我々のような急造の防衛隊では、吹けば飛ぶような存在になってしまうだろう。
ふと脳裏に、シアンと呼ばれた環外徒の少年の姿が思い浮かぶ。さらには、マリナ・ブロワ率いる第一魔導士強襲隊の姿も……。
あるいは今の彼女たちなら、リュカ様と彼の率いる
しかし思索に耽っている時間は、今の私には与えられていない。
だから私は、行軍を開始しながら部下達に命令を『伝想』する。
「敵の規模はおよそ五千。司令部に増援の要請は果たした。だが、現段階で千に満たない我々に勝ち目は無い。しかし、この砦はゾアナ防衛の要所。味方本隊の到着まで、持ち堪えるのが我々の死守すべき目標だ。総員心してかかれ!
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