第20話 シーズン2 悪党へのプレゼン
翌日の月曜日。
俺は学校が終わると、塾には行かずに、ある場所へ向かった。
昨日、高嶺さんと別れた後、公衆電話の電話帳で調べた住所だ。
『金田投資顧問』
駅の反対側にある、雑居ビルの5階。
エレベーターは点検中だった。
ツイてない。
俺は階段を上った。
48歳の精神には、5階までの階段はエベレスト登山に等しい。
息が切れる。膝が笑う。情けない。
5階の突き当たりのドア。
プラスチックのプレートに、手書きで社名が書いてある。
雑だ。
俺は深呼吸をして、ドアノブを回した。
鍵はかかっていない。無用心なことだ。
中は、煙草の煙で白く霞んでいた。
壁には株価ボード。
床には競馬新聞とカップラーメンの空き容器。
そして、数台の黒電話が、ひっきりなしに鳴り響いている。
その騒音の中、部屋の奥にあるソファに、生意気な小学生がふんぞり返っていた。
金田一だ。
彼は、分厚い四季報を枕にして、漫画雑誌の『ジャンプ』を読んでいた。
「……なんや、自分か」
彼は俺を見ても驚きもしない。
「客か思うたのに。紛らわしいわ」
「客じゃないが、取引相手にはなれるぜ」
俺は息を整えながら、彼の前のテーブルに、ドンと「あるもの」を置いた。
昨日、マクドナルドで高嶺さんと作ったレポートだ。
ただし、タイトルは『この街の地価変動予測と、次に狙われるべきエリア』に変えてある。
「なんやこれ」
金田は面倒くさそうにジャンプを置いて、レポートを手に取った。
最初は鼻で笑っていた。
だが、ページをめくる手が、次第に止まった。
彼の目が、あの時のように細くなる。
「……このデータ、どこで拾うたんや。小学生が作れるもんやない」
「企業秘密だ」
俺はハッタリをかました。
中身は、未来の知識と、昨日見た地上げ屋の動向、そして高嶺さんの父親の病院の位置関係から逆算した、極めて論理的な「予言書」だ。
「お前の親父さんがやってるのは、強引な地上げだろ? 駄菓子屋のガラスを割って土地が手に入れば安いもんだが、これからの時代、それはリスクが高い」
「ほう。ほな、どないせえ言うんや」
金田が身を乗り出した。
かかった。
「スマートにやるんだよ。情報戦だ」
俺はレポートの最後のページを指差した。
「あと2週間もすれば、為替が大きく動く。円高だ。輸出企業の株は暴落し、逆に内需関連、不動産は暴騰する。親父さんに伝えとけ。『地道な地上げなんかやめて、今のうちに借金してでも都心の土地付きボロアパートを買っておけ』ってな」
金田はしばらく俺を睨みつけていたが、やがてニヤリと笑った。
子供の顔じゃない。
共犯者の顔だ。
「おもろい。自分、やっぱりええ匂いがするわ」
彼はポケットから、万札の束……ではなく、くしゃくしゃの千円札を一枚取り出した。
「手付金や。情報は買うたる。ただし、ガセやったら承知せんで」
千円。
俺の全財産の三倍だ。
俺はその札を受け取ると、ポケットにねじ込んだ。
「商談成立だな」
「せやな。……あ、そうそう」
金田が思い出したように言った。
「自分、彼女おるんか?」
「は?」
「あのお嬢様や。高嶺言うたか? あの子の実家の病院な……親父のリストの、特Aに入っとるで」
心臓がドクンと跳ねた。
特A。
最優先ターゲット。
「……そうかよ。忠告どうも」
俺は背を向けて、部屋を出た。
階段を降りる足取りは、来る時よりもずっと重かった。
千円札が、ポケットの中で火傷しそうに熱かった。
俺は悪魔に魂を売ったのかもしれない。
だが、高嶺さんを守るためなら、悪魔とダンスを踊るくらい、どうってことない。
……たぶん。
外に出ると、夕立が降っていた。
傘がない。(井上陽水か……いやそっちじゃない)
俺は濡れながら走った。
走るしかなかった。
48歳のおっさんにしては、なかなか青春してるじゃないか、と自嘲しながら。
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