48歳、二度目の小4。~就職氷河期世代の俺が、未来知識で人生をハックし直す~

雨光

第1話 報われないゲームの始まり

頭が割れるように痛い。


また安物の缶チューハイを呷ったまま、万年床で寝落ちしたか。


俺、鈴木隆(すずきたかし)、48歳、年収400万円。


うだつの上がらない人生の、いつも通りの朝だ。


そう思いながら目を開けて俺は凍りついた。


視界に映るのは、安アパートのシミだらけの天井じゃない。


ざらついた手触りの奇妙な模様がプリントされたポリ合板の天井。


子供の頃、飽きもせず眺めていたあの天井だ。


「……は?」


錆びついたブリキのおもちゃみたいに軋む首を動かす。


壁には黄ばんだランボルギーニ・カウンタックLP500のポスター。


勉強机の上には、初代ファミリーコンピュータ。


その横には読みかけの『月刊コロコロコミック』


自分の手を見る。


節くれだった大人の手じゃない。

日焼けはしているが、傷一つない小さな手。


喉の奥から、ひゅっと音が鳴った。


なんだこれ。は?


なんだこの、質の悪い夢は。


「タカシ! ご飯よー! 学校、遅れるでしょ!」


階下から聞こえてきた声に、心臓が鷲掴みにされた。


3年前に病気で亡くした、母さんの声だ。


シワも白髪もない、張りのある、若い頃の声。


俺は幽霊みたいにベッドを抜け出し、おそるおそる部屋のドアを開けた。


階段を降りる。


柱時計が「コチ、コチ」と時を刻んでいる。


味噌汁の匂い。まな板で何かを切っている音。トントン。


ブラウン管テレビから流れる、間延びした「ズームイン朝」の音声。


全てが、どうしようもなく懐かしい。


食卓には、父さんと母さんがいた。


二人とも、若い。亡くなったはずの母さんがいる。


俺の存在に気づいた母さんが、お玉を片手に振り返る。


「あら、タカシ、おはよう。さっさと顔洗ってきなさい」


俺は何も言えず、洗面所へ向かった。


鏡に映っていたのは、日に焼けた丸顔の、見慣れない……いや、見慣れすぎた少年。


小学4年生の、俺自身だった。


カレンダーが目に入る。


1985年(昭和60年)6月17日 月曜日


どうやら俺は、人生で最悪の日の一つに、ピンポイントで舞い戻ってきてしまったらしい。


食卓に戻り、無言で白米をかき込む。


目の前のテレビでは、「ウィッキーさんのワンポイント英会話」が繰り広げられている。


時代感覚をぐちゃぐちゃになる。


その時だった。


かつて、そして今、俺の人生の分岐点を決定づけた言葉が、横から投げられた。


「ねえ、タカシ。駅前にできた『英進ゼミナール』って進学塾、知ってる?」


母さんだった。


「お隣の佐藤さんちのケンちゃんも通うらしいのよ。あなたも来月から行きなさい。お父さんとも相談して、もう申し込みは済ませておいたから」


来た。


一字一句、違わずに。


俺は箸を置いた。


胃の中に鉛を流し込まれたような感覚。


そうだ、この日からだった。


親の勝手な期待という名のレールに乗せられ、よく分からないまま中学受験に挑み、そして見事にドロップアウトした。


その後の人生が、年収400万円の冴えない48歳だ。


「……」


またかよ。


またこの茶番を、ゼロから繰り返すのか。


反吐が出そうだった。


だが、絶望の底で、俺の乾ききった心に、黒く冷たい炎が灯るのを確かに感じていた。


48年分の後悔と、就職氷河期という名の理不尽に焼かれた、歪んだ炎が。


「……わかったよ、母さん」


俺は顔を上げ、精一杯の子供らしい笑顔を作って見せた。


「行ってみる。塾、面白そうだし」


いいだろう。


乗ってやるよ、母さん。


アンタの夢にもこの茶番にも。


だがな、今度はアンタの操り人形のままじゃ終わらない。


最高の親孝行に見せかけた最高の復讐をしてやる。


この先に待つ『氷河期』をアンタはまだ知らないんだからな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る