対談(二)

「北の製糸工場では、俺の部下が世話になったね」

「……こちらこそ」


 考えを読もうと、黒い瞳がじっとこちらを見つめている。白い肌に、女のように細い首。綺麗な顔立ちも全て、自分のために作り上げた様だった。貴族のΩと何度か見合いしたこともあるが、ここまで掻き立てられたことはない。


「あの後、工場の地下に通路を見つけて、調べたら『クレマチス』の関係者と思われる遺体が五人見つかった。あれは君の仕業か?」

「ええ……俺の縄張りで子どもを攫ったので始末しました」

「その道中で、君の部下とヴィラ中尉が鉢合わせたってところか」


 クレマチスの荷馬車を街で見かけた時から、何となく想像は付いていた。

 テナイドには若く、身寄りのない、売れば金になるΩが多い。


「αへの暴行は大罪だ、ここが王国内だったらね。……今日は工場での戦闘を咎めに来たわけではないから安心してほしい」

「っ――!全て水に流すつもりですか!」


 後ろで立っていたヴィラが、考えてもいなかった大尉の発言に思わず横槍を入れた。ベルティは振り返ると、ふっと口元に笑みを浮かべる。


「中尉は納得いかないようで?」

「当たり前です。こちらが静止を求める最中、あろう事か彼女は銃を取った。部下の軽率な行動に罰を与えるべきでは」


 壁際で控えているエンツァへ一瞥をくれた。

 エンツァは喉まで出かかった反論をグッと飲み込む……この場でなければ殴りかかっているところだ。

 その代弁をするように、セヴェーロの鋭い眼差しがヴィラへと向けられる。


「王国の代わりに罰しろと?」

「我々が直接手を下すよりはマシでは?」


 工場で散々殺し合った瞳を見返す。あの時はギラギラと殺気立っていたが、今は物陰から静かに様子を伺う獣のような目をしている。


 ベルティはただ黙って二人のやり取りを見ていた。

 Ωでありながら番を殺しマフィアのボスに成り上がったこの男が、どんな反応をするのか知りたかった。

 銃を取るか、悪態でもつくか、それとも従うか……その透き通った肌の下の本性が見たい。


「あの場で……平民服姿の中尉を、クレマチスの一員ではないと即断するのは難しいでしょう」

「銃を先に取ったのは彼女だ。言い訳でしかない」

「ええ、言い訳を今しています」


 きっぱりとした物言いにヴィラは口をつぐんだ。

 指示者向きの良く通る声というのもあるが……その目や声、姿にΩ特有の人を惹き込む力がある。


「敵地で、攫われた子どもを助けようと彼女も必死だった。特にαのグレアを食らえば、身動きが取れないまま殺される可能性もある。……中尉を前に銃を取った、彼女の恐怖も理解していただきたい」

「……王国軍αに対して、Ωを理解しろと?」

「αでなくとも、俺は中尉に話しています」

「何を言って」


 王国のαは高潔な存在だ。Ωのようなαの子を産むことしか必要とされない劣等を、どう理解しろというのか。

 そんな考えが読まれたのか、こちらを見つめる黒い瞳がスッと細められた。


「俺からすれば少女が持つ銃を、わざわざグレアを使用しなければ取り押さえられなかったのか……疑問ではありますがね」

「っ……グレアを使ったのは、彼女が下手に抵抗して傷付けないためです」

「どうだか」


 怯えている相手に不用心に近づいて、抵抗されればグレアで身動きを封じた。とっさの判断だったが、向こうから見れば強姦一歩手前のクソ野郎ということだ。


「あははっ、ヴィラ。せっかく話させてあげてるんだから黙るなよ。……そもそもα同士以外の戦闘で、自分よりも弱い相手にグレアを使うべきじゃなかった。幼気いたいけな少女たちに、君が良からぬことをしようとしていると思われても仕方がない」


 ベルティに手で下がれと指示され、ヴィラは渋々後ろへと身を引いた。ふと視界の端に……目の前の罪人を見つめる大尉の、随分と楽しそうな表情が映る。


「まぁ、俺も。大切な従者が殺されそうだったから使ったんだけどね」

「それは、感謝していますよ。……王国の軍人貴族を殺さずに済みました」

「そう思って貰えるなら良かったよ」


 セヴェーロを注視していたエメラルドグリーンの瞳が、欲深い眼差しへと変わった。

 Ωらしくない高い戦闘力。αに対して媚びない態度、度胸。頭も悪いわけじゃない。何よりも美しい顔立ちに、気高く香るフェロモンの匂い。

 ……運命の番とはよく言ったものだ。これほど満足のいくΩは他にいないだろう。


「それじゃあ、そろそろ……王国側の本題に入ろうか」


 ベルティは懐から透明な袋に入った白い粉を取り出した。それを見やすいようにテーブルの上へ滑らせる。


「今王都でαを狙った薬物の密売が横行していてね。薬を飲んだαは理性を失い、酷く暴力的なラット状態に陥る……ラット中のαは本能を剥き出しにされた獣と同じだ。これほど危険な薬は他にない」


 並べられた二つの薬に三人の視線が集まった。部屋の緊張感が僅かに高まる。


「これは王都で密売されていた薬物と、こっちは君たち『フェクダ』が売っているΩ用の抑制剤だ。見た目から香りまで、何一つ違いない。……この薬は、君が作り出した『シレーナ』で間違いないな」


「……密売されていた薬を見せてください」


 ヴィラは薬を受け取ると、それをセヴェーロの前に差し出した。甘い蜜を蓄えた花の匂いが漂う。


「王都で枯れ枝みたいなβの男が売っていた。君の部下か?」

「いえ、違いますよ。αや王都に撒けるほど、数に余裕がある物でもない」


 確認するように指先が袋の上を撫でた。サラサラと中で薬がまとまって流れていく。


「確かに……この香りはシレーナの特徴です。他に類はないでしょう」

「認めるんだな」

「ええ。ですが、一つだけ確認したいことがあります」


 視線を上げた、夜を写したような瞳と目が合った。

 冬の空に浮かぶ星のように、眼光を帯び綺麗だ。


「大尉はこの薬を、αが飲んでいるところを見たことはありますか?」

「いや……ないよ」

「俺もありません。シレーナはΩの為に作られ、そもそもαが飲むことを想定していなかった」


「オスカー」と硬い声が響き、窓の前で控えていた男が応えるとテーブルの前で立ち止まった。ガッシリとした出で立ちで、身長もヴィラとそう変わらない。


「お気付きかと思いますが、彼は俺の部下で『α』です」


 左手に持っていた薬を、そのまま忠実な部下へと差し出した。まさか――とベルティとヴィラは目を丸くして固まる。


「飲め」


 その一言と共に、オスカーの手へ透明な袋が渡されるのを疑うように見つめた。


「正気か?」

「マフィアのボスをしているΩが正気だと?」


 大きな手が小さな薬の封を開ける。オスカーはコクっと喉を鳴らし唾を飲み込むと、袋を逆さにし一気に口の中へと流し込んだ。

 ベルティは机に手を置き身構える。

 ――シレーナを飲めば、自我を失い目の前のボスに襲いかかるだろう。


 しかし……予想に反して暫く経っても男に変化はなく、軽く咽せて咳き込んだだけでラット化する様子はない。セヴェーロは水が入った自身のコップをオスカーの前に滑らせた。


「気分は?」

「……問題ありません」


 置かれたコップを前に、一瞬受け取るのを何故か躊躇したように見えた。しかし、すぐ覆うように握ると喉の奥に水を流し込む。

 その様子を眺めながら、ベルティはテーブルに頬杖をついた。


 ――なぜラット化しない。

 すり替えた?いつ……もっと手元をよく見ていればよかったな。あの黒い瞳はどうにも視線を奪われる。


 薬によって狂乱したαを止めるには気を失うまで暴れさせるか、足でも撃ち抜いて無理やり取り押さえるしか方法はなかった。

 王国内でそんな面倒ごとを、ましてやα相手に試すことは出来ない。


 ……その結果を、今目の前で見せられたのだ。


「シレーナ単体に、αをラット化させる効果はなさそうですね。何か他に要因があったのでは」


 セヴェーロがもっともらしいことを言いながら部下に下がれと合図すると、オスカーは背中で手を組み、そのまま数歩下がって窓の前へ戻った。


 ――やってくれたな。

 薬の効果が何故出なかったのか説明が出来ない限り、反逆者として王国へ捕まえるわけにもいかない。……極刑に処さない代わり、番関係を結ぶ算段だったが、それも面倒になった。


「まぁ、いいか。……俺からしたら薬はそこまで重要じゃなくてさ」

「まだ何か」


 不意に軽い口調になった大尉の様子に、セヴェーロは怪訝そうに眉を顰めた。この薬以上に重要な問題は他にないはずだ。

 エメラルドグリーンの瞳を細め、大尉は自分が美しいと知っている猫のように愛想よく笑う。


「番になろうよ。君、俺の運命の番だろ」

「…………は?」


 意味を咀嚼し、理解しようとした……出来なかった。

 予想していなかった言葉に、空気が漏れたような声しか出なかった。

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