逃げ道
「……貴方、娼婦の経験はあるの?」
エマの厳しい声が聞こえた。あまり賛成的でないことがすぐに分かる。
「いくら優しい従業員が多くても、お客様の相手をする時は一人よ。……Ωの女がやってるんだから、誰でも出来る簡単な仕事だなんて思われたら困るわ」
「そんなこと思っていません!」
床に座り込み頭を下げていたローズは否定と共に顔を上げた。エマの美しくも鋭い青色の瞳に威圧されグッと唾を飲み込む。
「……それに、トリシャにはなんて説明するの。あの子がこの店で何を売られているか知った時、貴方がそこで……客相手にどんなことをしていたか知った時、どれほどショックを受けるか」
「っ……もう、行く当てがないんです」
膝の上で強く手を握りしめた。そのか細い声は涙ぐみ震えている。
「男手一つで育ててくれた父を戦争で失って、住む場所も、お金もない。住み込みで働ける場所を探しても、妹がΩだと分かると『人狩が来るから駄目だ』と追い出されました。……このまま妹に発情期が来たら、抑制剤もないのに……私、どうしたらいいのか……」
「……ローズ、ここはね……家族を思って働くための場所じゃないわ」
それは、子どもの頃に売られてこの娼館にやってきた自分が一番よく分かっていた。言葉を絞り出すように、組んだ腕を強く握りしめる。
「ここは何もかも失って、身一つで最後来た子を受け入れる場所よ。……貴方を雇うことはできないわ」
「……そんな」
力なく項垂れたローズを見つめた。……父親を失い、妹の為に身を落とす先が娼館ではあまりにも報われない。それに……自己犠牲的で真っ直ぐな彼女に、娼婦は向かない。
……扉の外で、「ゴトっ」と何かがぶつかる音がした。
「いたっ」「ごめん!」と言う小声が聞こえ、エマは小さく息を吐くと扉の方へ歩いていきドアノブに手を掛ける。
突然扉が開き、寄りかかっていたエンツァとパティは部屋の中へ声を上げながら倒れ込んだ。その後ろにはセヴェーロとオスカーが立っている。
「あら……勢揃いじゃない。話を聞くならちゃんと中に入りなさい」
「エマ!ローズはいい子だよ!なんで雇ってあげないの?」
床にぶつけた額を赤くしながら、パティは勢いよく顔を上げた。
恐らくこのお馬鹿さんがローズから行き場がないことを相談され、軽はずみにここで働いたら?的な事を言ったのだろう。
「いい子は娼婦になれないの」
「私はいい子だよ!」
「あなたは頭のネジが飛んでるから良いのよ」
「頭の……ネジ?ローズもそれが飛んだら働けるの?」
「パティ、やめなさい」
ジリジリとローズに近づこうとするパティの首根っこを掴みながら、どうしようかとエマは左手で頬を押さえた。雇っていない者の面倒を見るほど余裕もないが、姉妹をこの寒空の下放り出すわけにもいかない。
「……ローズ」
「は、はいっ!」
いつの間にか書斎の中に入っていたセヴェーロが、そっと不安気に俯いている彼女へ声を掛けた。緊張と驚きで裏返った声が部屋に響く。
「料理は作れますか?」
「作れ、ます」
「南商店街は知っていますか?」
「南……商店街?」
キョトンとしているローズの目がセヴェーロを見上げた。新芽のような淡い色の瞳が緊張で揺れている。
「ええ、そこに俺の知り合いが『エルベ』という飲食店を経営しています。従業員が最近一人亡くなりましてね……丁度人手を欲しがっていたんですよ」
デスク上のペンを手に取るとメモ用紙に店の場所と、店主に向けての内容をスラスラと書き込んだ。
「大きな建物ですから行けば分かります。そこも住み込みで働けますし、フェクダの縄張りだからシレーナも買いやすい。興味があればこれを店主に渡して下さい。……俺からの紹介状です」
二つ折りの用紙を彼女に差し出す。ローズは両手でその薄い紙を受け取った。
……マフィアのボスだと聞いたこと気は、とんでもない人に助けを求めてしまったと怖くて仕方がなかった。今だって全く怖くないわけじゃない。でもその声はゆっくりと落ちてくる雪のように穏やかで、手を伸ばしたくなる。
「あ……ありがとうございますっ!ありがとうございます……本当にっ、トリシャのことも、この御恩も、一生忘れません……!」
「よかったね!ローズ!」
パッと起き上がったパティがローズの肩に抱き付いた。飛び跳ねるように喜ぶと「よぉし!」と拳を握り上げる。
「お姉さんが今日はお祝いに奢ってあげるよ!お店のお酒パァーッと開けちゃおう!」
「わ、私お酒は……」
「パティ、あなた今禁酒中でしょ」
「ゔっ……そ、そうでした」
禁酒の二文字を突き付けられ、掲げた拳は枯れた草花のようにしおしおと干からびていった。
……エマは少し迷うように口をへの字にすると、自身のデスクからお金が入った白い小袋を取り出す。それをパティの手に軽く握らせた。
「どうせなら、トリシャも喜びそうな甘い物でも買ってきなさい。大通りの店屋で買うのよ」
「いいの……!」
再び元気を取り戻したパティは、ローズの腕を取ると慌てて立ち上がる。
「ローズ、行こう!トリシャにも何が欲しいか聞かないと!」
「い、いいんですか!?甘い物なんて!砂糖だって高価なのに!ちょっと……!」
引きずられるようにパティに連れて行かれるローズを見送りながら、エマはソファに腰を下ろした。安堵混じりにそっと口を開く。
「まったく……本当に人が良いんだから。街にΩが増えれば、貴方の心労も増えてく」
「別に、仕事を紹介しただけですよ」
向かい合うように反対のソファへ座ると、エマはテーブル上の灰皿を中央に滑らせた。
自身の煙草を取り出すと、それをセヴェーロへ向ける。
「一本どうかしら?」
「貰います」
受け取った煙草を口に加えた。
羽織に入れていたライターを取り出し、火を付けるとお返しにエマへ差し出す。
「エマも、ああ言ってましたけど……最後は俺に、いい働き口はないか聞いたでしょう?」
「あら……どうかしらね。私はいつだって、貴方とこの娼館の事を一番に考えてる」
髪を耳の後ろにかき上げながら、フッとその口元を緩めた。セヴェーロが持つライターの火に、加えた煙草をそっと近づける。
※
「それじゃ、ついでに俺にも説明してもらえますか」
今回の騒動でただ援護を要請されて来ただけのオスカーは、丁度いいだろうと書斎に人が集まっているタイミングで口を開いた。
「クレマチスに誘拐された女の子を助けに行ったことは分かりました。それで何故……王国軍の、しかも貴族とやり合ってたんですか」
そこに居た四人は突然出てきた軍や貴族の単語に目を丸くする。実際に戦っていた二人さえ頭の上に「?」を浮かべていた。
「……王国軍?」
「貴族なんかといつ会ったのよ」
「いや、気付いていなかったんですか。最後に会ったαの二人組です」
オスカーは軽く額を抑えて頭をもたげる。まさか自分も、扉の先で仲間が王国軍人と戦っているとは思わず肝を冷やした。
「軍の中で下っぱだった俺でも知っている二人です。……アルフェラッツ王国軍第二部隊隊長のヴィットリオ・ベルティ大尉と、代々ベルティ公爵家の従者として仕えているヴィラ子爵家のサルヴァトーレ・ヴィラ中尉。歴とした軍人貴族ですよ」
――軍人、貴族。
「そう、いえば……最初に会ったα、パティが言ってた金縁の丸眼鏡にベージュの長髪だった」
今更思い出してしまったエンツァの顔がサッと青くなる。突然現れたαにパニクって、メリーニの手下だと思い込んでしまった。
「眼鏡してたか?」
「ボスが顔を蹴る前までしてました」
「……あぁ」
確かに蹴りを入れた時、何かが飛んでいったような気がする。だが……エンツァを助けようと躍起になって、相手が誰かなんて最早頭になかった。
言われてみれば後から来た男も、エンツァが話していた「商館に来たαの仲間」と同じ特徴の金髪だし顔も嫌に整っていた。
「一応、聞いときます。先に銃を取ったのは……」
「は……はぁい」
恐る恐るエンツァが挙手をする。当然だが先に武器を向けた方が王国では罪が重い。
「なるほど。先に、相手に傷を付けたのは」
「……俺か」
「いい蹴りでした」
「でしょうね」
ボスの、味方が襲われていると判断した時の手を出す速さは、見ていて呆気に取られるほど早い。きっと相手のαも痛く驚いただろう。
「つまり、貴方たちは……シレーナの事で王国軍に詰められる前に、軍人で貴族でαの二人組に、襲撃を仕掛けたってことね」
今までただ黙って話を聞いていたエマがそう呟くと、ゾッとするほど美しい笑みを浮かべた。
その背筋が凍るような表情に三人はヒャッと肩を竦める。
「顔を蹴り付けて……それで、戦ったの?最悪殺していないわよね……α至上主義の王国で、軍人貴族のαが殺されたなんてなったら、国を挙げて報復しにきても可笑しくないわ」
「……」
「……え?」
「い、え!殺してはいないです」
セヴェーロは子どもの頃から、言いにくいことがあると黙る癖がある。
エマは微笑みながら全く笑っていない声で「殺して
ボスを助けようとエンツァが「だ、大丈夫ですよ!エマ!」と一歩踏みだす。
「ボスはギリギリで!本当にギリギリで殺してないです!」
「エ、エンツァ」
「……その寸前までいったってことね」
エマは腕を組み椅子へ深く寄りかかる。オスカーも考え込むように目を瞑り俯いていた。
この街は王国の支配下にない。いくらαを殺そうと傷つけようと、王国軍が介入してくることはない……だが、アルフェラッツ王国軍・貴族を殺しかけたとなれば話は違ってくる。彼らがセヴェーロに恨みを抱いて報復しようと企めば、下手をすれば国を相手に戦うことにもなりかねない。
「で……どうするの?オーナー。何か策はある?」
「……ひとまず、相手の出方を見ましょう……俺が戦ったαはプライドの高そうな男でした。Ω相手に負けて殺されそうになったからと、王国に助けを求めるような真似は……しないと思います」
まだ長い煙草の先をトントンと灰皿へ繰り返し落とした。
か細く登っていく煙が、段々と歯切れ悪く、尻窄みになりながら弱々しく消えていく。
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