ひび割れた器

「ほ……本気ですか?ベルティ大尉」


 ヴィラは戸惑いをあらわに、自身の主であり上官を見つめた。冗談かもしれないという一瞬の期待を裏切り、ベルティは「あぁ」と上機嫌に微笑む。


 ――まさかベルティ大尉が、あんな野蛮なΩを気に入るなんてっ!


「だから早く番を作れと言われていたじゃないですか!王都の外で、何処の馬の骨とも分からないΩに魅了されないように!そのための番です!」

「どうせ貴族や王族のΩだって、何を企んでいるか分からないだろう」

「戸籍もないΩよりはよっぽどマシですよ!」


 目眩に額を抑えた。

 いや、これは顔を蹴られた衝撃が今になって来たのかもしれない。


「ベルティ大尉。あれはマフィアのボスです!しかも王都に仇なす犯罪者だ。番だったαを殺したんですよ!」


 ベルティは落ちていたダガーを手に取った。鋭く研ぎ澄まされた刃先に、金属が剥き出しの冷たい持ち手……銃口の先でこちらを睨み上げた、あの黒い瞳みたいだ。


「まぁ、勘違いかもれないし……取り敢えず、会って話して見ないとね。薬のことも聞かなきゃならない」


 ――大尉は一度興味を惹かれると、手を出さずにはいられない。今までの長い付き合いから、それを止めることは出来ないこともよく分かっている。Ωに興味を持ったことなんて、こっちが心配するほどなかったのに……寄りにもよって何であのΩなんだ。


 ヴィラは沼地へ沈むようなため息を吐いた。蹴られた頬と共に痛み出した胃の中がキリキリと締め付けられる。





「オ、オスカー!もう大丈夫だから、下ろして!」


 建物を出てしばらく走ったところで、エンツァはオスカーの腕から飛び降りた。トリシャはまだ反対の腕に抱えられたまま気を失っている。


「馬はどこに止めてますか」

「南側の敷地外に、お前は」

「俺は東から来てます。馬もそこに」


「そうか、なら後で合流を……」


 セヴェーロは息苦しさにふらつくと、外れた右肩の腕を抱えながら崩れるように膝を付いた。

 乱れた呼吸が熱く、心臓が痛いほど身体を叩いている。Ωの体がもう限界だと喚いていた。


「「ボス!」」


 二人の声が合わさって聞こえる。オスカーがすぐ前に身を下ろすと、そっと手を伸ばした。


「右肩見せてください……力抜いて」


 緊張した面持ちで手首と二の腕をしっかりと握る。

 軽く引き回しながら外れた肩を元の位置に押し入れると、ゴツっと鈍い音が骨に響いた。


「ふっ……ぅ」


 嫌な感覚に下唇を強く噛み締める。痛みに耐え、ゆっくりと目を開いた。

 ……身体が熱い。あの金髪の男に押さえつけられた手首が、まだキツく握り絞められているみたいに脈打っている。


「……大丈夫ですか」

「あぁ、問題ない。少し経てば、痛みも良くなる」


「いえ、肩もですけど……顔色が悪いです。馬に乗る前に、少し休んだ方が」


 立ち上がろうとしたところ、柔い力で引き留められた。


 確かに体が風邪を引いたように火照っている。αから受けたグレアの影響が今になって出たんだろうか。

 熱のせいでボヤけている視界を正そう何度か目を瞑った。


「……日が落ちれば野盗が出る。早く、ここから離れよう」


 もし運悪く、またあのαの二人組みに見つかったら、今度こそ殺されても可笑しくない。

 逃げ出す際、こちらを見る男の鋭い眼差しを思い出し、沸々と腹の奥が熱くなるような違和感を覚えた。

 ……彼奴に関わってはいけない。経験と生き物としての本能がそう直感している。


「急ごう……」


 立ち上がるとすぐにその場から歩き出した。まだ空気が冷たく日暮れは早い。すでに傾き始めた太陽に、辺りは薄暗くなり始めている。



━━━━━━━



「トリシャっ‼︎」

「お姉ちゃん!」


 娼館の正門を開けると、ラウンジでずっと帰りを待っていたローズが妹の姿に声を上げた。

 トリシャは姉の声を聞くと同時に走り出し、その腕の中へ飛び込む。ブラウンの滑らかな髪を細い指が強く抱き締めた。


「全く……もう真っ暗じゃない。あまり心配させないで」


 一緒に帰りを待っていたエマは、無事に戻ってきた四人の姿に柔らかい笑みを浮かべる。白いワンピース状の部屋着を揺らしながら、安堵に震える指先を隠してそっと腕を組んだ。


「お帰りなさい」

「――ただいま、戻りました」


 エマから攫われた子どもの話を聞いた従業員たちも、館に明かりを灯し自分たちの帰りを待っていた。皆ローズに寄り添い、帰って来たΩの子の救出に安堵の声を上げている。


「お帰りー!みんな凄っごい心配したんだよ!」


 パティがラウンジの向こうから駆けてくると、勢いよくエンツァに抱きついた。その後をシルビオが済まし顔で歩いて来る。


「どうせエンツァが足引っ張ったんだろ」

「あ゙ぁっ!?そんなっ、そんなことは……」


「エンツァが子どもを、メリーニの手下から助けてくれたんだ」


 「いい動きだった」とセヴェーロが伝えれば、パティは嬉しそうに目を輝かせた。


「えっ!凄いじゃんエンツァ!お手柄だよ!」


 褒められたエンツァの顔が、みるみるうちに赤く染まっていく。

 照れて口籠る彼女を横目で見ながら、シルビオはヘンっと鼻を鳴らした。


「エンツァでもちゃんと役に立ってんだな」

「あ゙あん!?でもってなによ!」


「こら!どうして二人はすぐ喧嘩になるのよ。シルビオは部屋に行って手当の準備をして頂戴。セヴェ、その血だらけのジャケットはそこで脱いで……貴方、熱があるの?」

「え……」


 エマはセヴェーロの不調に気が付くと手を伸ばして頬に触れた。白い肌が赤く色付き酷く熱い。充血した目が潤み、呼吸も辛そうだった。


「オスカー、部屋まで運んであげなさい」

「はい」

「い、やっ歩けますよ」


 断ろうと身を引いた途端、サァッ血の気が引くと同時に視界が大きく揺れる。咄嗟にオスカーの腕に支えられ、その場に跪いた。


「ボスっ!」

「大丈夫ですか」

「……少し、眩暈がしただけ」


 厚く大きな手が背と膝裏に回りこむと、そのまま軽々と抱き上げられた。思わずオスカーが着ているジャケットの襟下を握りしめる。


「おいっ」

「ボス、少し休んで下さい。その状態で馬に乗ってたんです。常人なら途中で落馬していますよ」


 抗議する体力も残っておらず、諦めてそのまま腕の中に身を預けた。

 一回の角部屋が空いているからそこに……と言うエマの声を聞きながら、やけに重い瞼に逆らえず目を瞑る。

 足元から伝わる心地いい振動に運ばれながら、触れた心音と熱に意識を向けた。


 ふと……オスカーが金髪のαに銃を向けられた瞬間を思い出し、その肩に浅く寄りかかる。


 ――撃たれなくて、よかった。


「……オスカ」

「はい」

「……」

「……ボス?」


 ……珍しい、余程疲れていたんだろう。

 部屋の前まで来たところで力尽きたのか、腕の中で小さく寝息を立てていた。落ちないようにその細身をしっかりと抱え直す。


 目を閉じ、静かに眠るその表情はやはりどこかΩらしい……あどけない幼さがあった。

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