ひび割れた器
「ほ……本気ですか?ベルティ大尉」
ヴィラは戸惑いを
――まさかベルティ大尉が、あんな野蛮なΩを気に入るなんてっ!
「だから早く番を作れと言われていたじゃないですか!王都の外で、何処の馬の骨とも分からないΩに魅了されないように!そのための番です!」
「どうせ貴族や王族のΩだって、何を企んでいるか分からないだろう」
「戸籍もないΩよりはよっぽどマシですよ!」
目眩に額を抑えた。
いや、これは顔を蹴られた衝撃が今になって来たのかもしれない。
「ベルティ大尉。あれはマフィアのボスです!しかも王都に仇なす犯罪者だ。番だったαを殺したんですよ!」
ベルティは落ちていたダガーを手に取った。鋭く研ぎ澄まされた刃先に、金属が剥き出しの冷たい持ち手……銃口の先でこちらを睨み上げた、あの黒い瞳みたいだ。
「まぁ、勘違いかもれないし……取り敢えず、会って話して見ないとね。薬のことも聞かなきゃならない」
――大尉は一度興味を惹かれると、手を出さずにはいられない。今までの長い付き合いから、それを止めることは出来ないこともよく分かっている。Ωに興味を持ったことなんて、こっちが心配するほどなかったのに……寄りにもよって何であのΩなんだ。
ヴィラは沼地へ沈むようなため息を吐いた。蹴られた頬と共に痛み出した胃の中がキリキリと締め付けられる。
※
「オ、オスカー!もう大丈夫だから、下ろして!」
建物を出てしばらく走ったところで、エンツァはオスカーの腕から飛び降りた。トリシャはまだ反対の腕に抱えられたまま気を失っている。
「馬はどこに止めてますか」
「南側の敷地外に、お前は」
「俺は東から来てます。馬もそこに」
「そうか、なら後で合流を……」
セヴェーロは息苦しさにふらつくと、外れた右肩の腕を抱えながら崩れるように膝を付いた。
乱れた呼吸が熱く、心臓が痛いほど身体を叩いている。Ωの体がもう限界だと喚いていた。
「「ボス!」」
二人の声が合わさって聞こえる。オスカーがすぐ前に身を下ろすと、そっと手を伸ばした。
「右肩見せてください……力抜いて」
緊張した面持ちで手首と二の腕をしっかりと握る。
軽く引き回しながら外れた肩を元の位置に押し入れると、ゴツっと鈍い音が骨に響いた。
「ふっ……ぅ」
嫌な感覚に下唇を強く噛み締める。痛みに耐え、ゆっくりと目を開いた。
……身体が熱い。あの金髪の男に押さえつけられた手首が、まだキツく握り絞められているみたいに脈打っている。
「……大丈夫ですか」
「あぁ、問題ない。少し経てば、痛みも良くなる」
「いえ、肩もですけど……顔色が悪いです。馬に乗る前に、少し休んだ方が」
立ち上がろうとしたところ、柔い力で引き留められた。
確かに体が風邪を引いたように火照っている。αから受けたグレアの影響が今になって出たんだろうか。
熱のせいでボヤけている視界を正そう何度か目を瞑った。
「……日が落ちれば野盗が出る。早く、ここから離れよう」
もし運悪く、またあのαの二人組みに見つかったら、今度こそ殺されても可笑しくない。
逃げ出す際、こちらを見る男の鋭い眼差しを思い出し、沸々と腹の奥が熱くなるような違和感を覚えた。
……彼奴に関わってはいけない。経験と生き物としての本能がそう直感している。
「急ごう……」
立ち上がるとすぐにその場から歩き出した。まだ空気が冷たく日暮れは早い。すでに傾き始めた太陽に、辺りは薄暗くなり始めている。
━━━━━━━
「トリシャっ‼︎」
「お姉ちゃん!」
娼館の正門を開けると、ラウンジでずっと帰りを待っていたローズが妹の姿に声を上げた。
トリシャは姉の声を聞くと同時に走り出し、その腕の中へ飛び込む。ブラウンの滑らかな髪を細い指が強く抱き締めた。
「全く……もう真っ暗じゃない。あまり心配させないで」
一緒に帰りを待っていたエマは、無事に戻ってきた四人の姿に柔らかい笑みを浮かべる。白いワンピース状の部屋着を揺らしながら、安堵に震える指先を隠してそっと腕を組んだ。
「お帰りなさい」
「――ただいま、戻りました」
エマから攫われた子どもの話を聞いた従業員たちも、館に明かりを灯し自分たちの帰りを待っていた。皆ローズに寄り添い、帰って来たΩの子の救出に安堵の声を上げている。
「お帰りー!みんな凄っごい心配したんだよ!」
パティがラウンジの向こうから駆けてくると、勢いよくエンツァに抱きついた。その後をシルビオが済まし顔で歩いて来る。
「どうせエンツァが足引っ張ったんだろ」
「あ゙ぁっ!?そんなっ、そんなことは……」
「エンツァが子どもを、メリーニの手下から助けてくれたんだ」
「いい動きだった」とセヴェーロが伝えれば、パティは嬉しそうに目を輝かせた。
「えっ!凄いじゃんエンツァ!お手柄だよ!」
褒められたエンツァの顔が、みるみるうちに赤く染まっていく。
照れて口籠る彼女を横目で見ながら、シルビオはヘンっと鼻を鳴らした。
「エンツァでもちゃんと役に立ってんだな」
「あ゙あん!?でもってなによ!」
「こら!どうして二人はすぐ喧嘩になるのよ。シルビオは部屋に行って手当の準備をして頂戴。セヴェ、その血だらけのジャケットはそこで脱いで……貴方、熱があるの?」
「え……」
エマはセヴェーロの不調に気が付くと手を伸ばして頬に触れた。白い肌が赤く色付き酷く熱い。充血した目が潤み、呼吸も辛そうだった。
「オスカー、部屋まで運んであげなさい」
「はい」
「い、やっ歩けますよ」
断ろうと身を引いた途端、サァッ血の気が引くと同時に視界が大きく揺れる。咄嗟にオスカーの腕に支えられ、その場に跪いた。
「ボスっ!」
「大丈夫ですか」
「……少し、眩暈がしただけ」
厚く大きな手が背と膝裏に回りこむと、そのまま軽々と抱き上げられた。思わずオスカーが着ているジャケットの襟下を握りしめる。
「おいっ」
「ボス、少し休んで下さい。その状態で馬に乗ってたんです。常人なら途中で落馬していますよ」
抗議する体力も残っておらず、諦めてそのまま腕の中に身を預けた。
一回の角部屋が空いているからそこに……と言うエマの声を聞きながら、やけに重い瞼に逆らえず目を瞑る。
足元から伝わる心地いい振動に運ばれながら、触れた心音と熱に意識を向けた。
ふと……オスカーが金髪のαに銃を向けられた瞬間を思い出し、その肩に浅く寄りかかる。
――撃たれなくて、よかった。
「……オスカ」
「はい」
「……」
「……ボス?」
……珍しい、余程疲れていたんだろう。
部屋の前まで来たところで力尽きたのか、腕の中で小さく寝息を立てていた。落ちないようにその細身をしっかりと抱え直す。
目を閉じ、静かに眠るその表情はやはりどこかΩらしい……あどけない幼さがあった。
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