見世物(二)

 一瞬で暗くなった倉庫の中央口に、メリーニの手下たちが慌てて立ち上がった。キョロキョロと辺りを見回しながら急いで銃を取り出す。


「誰だッ!今すぐ出てこい、さもなきゃガキの頭が吹っ飛ぶぞ!」


 ――広い倉庫にカツカツと乾いた革靴の音が響いた。規則正しい足音に手下たちの視線が集る。

 暗がりから現れた男の姿に、先頭で銃を構えていた手下の一人は思わず嘲笑を浮かべた。


 ダークブラウンの短い髪に、黒い瞳の細身な男。……番のαを殺したΩ『セヴェーロ・ポリアンカ』


「本当に来るとはな……おいっ!そこで止まれ!銃を捨てて手を上げろ!」


 セヴェーロは立ち止まると、腰のホルスターから銃を取り地面へ放り捨てた。

 見ていた通り相手は五人。全員銃を持っている。……手下の一人は子どもが入った麻袋を片手に、頭のあたりに銃口を突きつけていた。バタバタともがく子どもの足に、セヴェーロの目がスッと細められる。


 ――ボスが注意を引いている隙に、エンツァもそっと倉庫内へ入った。

 入り口付近の照明を壊したおかげで気付かれることもない。空の木箱や、積み上げられた土や瓦礫の後ろに身を隠しながら、子どもの近くへと足を進める。


「へっへ、聞き分けのいいΩは好きだぜ。下手に傷付けなくて済むからな……」


 男の視線が値付けするようにセヴェーロをじっと見回した。

 元来Ωは華奢で小柄な個体が多い。番のαを殺したと聞いたときは、どれほど屈強なΩなのかと肝を冷やしたが……実際見れば自分の背丈よりも小さかった。160cmもないだろう。

 Ωらしい、幼さの残る可愛らしい見た目ではないが、目鼻立ちのはっきりとした上品な顔立ちをしている。短い髪を伸ばせば、可憐で聡明な美人に見えるだろう。


 男は目の端を限界まで垂らして気味悪い笑みを浮かべる。Ωの子どもは攫っても、貴族のαに売るので傷付けるわけにはいかなかった。だが助けに来たΩに至っては、特に傷つけるなとも犯すなとも言われていない。


「社長も人が悪いぜ……Ωの男娼を寄越してくれるなら、こんなカビ臭ぇ場所じゃなくてベットルームにしてくれねぇと」


 その言葉に、後ろにいた手下たちも同じような表情で声を出して笑う。

 子どもを抱えた男以外の、四人がセヴェーロへと近づいた。先頭の男はすでに銃すら構えていない。

 ――ちびっこいΩ一人に、武装して捕えるなんて馬鹿馬鹿しい。


「恐怖で声も出ねぇか?妙な真似するなよ。こっちには人質もいるんだ。……大人しくしてりゃ、命だけでも助けて」


 一瞬、夜を映したような黒い瞳が男の目を見据えた。その鋭い眼光の美しさに思わず言葉を飲む。――狙いを定めた、鷹のような眼差しだった。


 セヴェーロの左手が素早く腰裏へ回ると、両刃の細長いダガーを引き抜いた。

 指で軽く回すと投げられた刃が宙を切り、男の頬横を鋭い風が掠める。じわじわと熱くなる頬に血が浮かび、ゆっくりと流れ落ちた。


「ア゙ガッ、ァ゙……」


 後ろから聞こえる苦しげな声に恐る恐る振り返る。子どもを抱えていた男の首に投げられたダガーが突き刺さっていた。

 目を大きく見開き、後ろへ倒れる寸前――身を潜めていたエンツァが物陰から飛び出し、子どもが入った麻袋を奪い取る。


 は……?


「クソッ!――ガキを離せ!」


 手下の一人がエンツァへ銃口を向けた。

 その瞬間、鋭い銃声が響き、男の頭部に血しぶきが舞い上がる。

 いつの間にかセヴェーロの左手に握られている銃口から、白い煙がヒラヒラと昇っていた。


 その隙に麻袋から子どもを引っ張り出すと、二人は手を取って一番近い右の通路へと走っていく。


 あれ……?


 男は呆然とその様子を見ていた。違う、話しが違う。Ωっていうのはもっと弱くて、臆病で、狩られる側でしかない。いつだって俺たちの顔色をビクビクと伺って、数回殴れば何だって言うことを聞く。歯向かうなんてあり得ない!


「ッ――!畜生の分際でぇッ!」


 懐から銃を取り出した。

 引き金に指を乗せ、銃口を突きつける。――よりも早く、銃を持った男の手をセヴェーロの革靴が蹴り上げた。手から離れた鉄の塊は円を描いて転がり落ちていく。

 背後を取られ右腕で素早く首を絞められると、頭にまだ熱を持った銃先が当てられた。


「がッ!あ゙ぁ!助けっ」


 助けを求めて仲間に目を向ける。

 しかし差し出されたのは救いの手ではなく、洞穴のようにポッカリと空いた銃口だった。

 ――仲間と言えど適当に集められた五人だ。自分の命の可愛さを前に、他者の命なんて天秤に乗せるまでもない。


「うッ、撃つなァア!」


 無慈悲な銃弾の音が響き、一瞬で男の体を貫いた。

 セヴェーロは一気に重くなった肉塊を盾に銃弾を避けると、僅かな隙をついて近くの木箱裏へと転がり込む。


 ……肉付きの悪いΩの細腕が、連続的に、銃の反動に耐えて敵に命中させ続けるのは難しい。ベレッタの装弾数は十五発。無駄打ちが多ければすぐになくなる。片手でのリロードは相手に遅れを取った。

 急所を当てるには、よく狙って撃つか、間近で撃つかのどちらかだ。


「おい、俺は逃げた女を捕まえてくる。お前はここで彼奴を足止めしてろ」


 残った二人の手下のうち、金髪の男がエンツァと子どもが逃げた通路の先に視線を送ると、もう一人の仲間に指示を出した。

 指示された男は「信じられない」という面持ちで目を見開き金髪を睨む。


「はぁっ!?冗談じゃねぇぞ!てめぇだけ逃げるつもりか!」

「このままじゃガキが逃げるだろうが!社長様に何て報告するんだ!」

「うるせぇバカがッ!死んでまで従う義理があるか。あれはΩじゃねえ、バケモンだッ!」


 側に転がる死体の姿に、男は恐怖し顔を歪める。完全に舐めていた。Ωは弱くて頭も悪い。その常識があるから今まで何度も奴らに暴力を振るってきた。だってそうだろう。家畜に殺されるなんて誰が思うんだ。


 木箱の裏から黒い影が走った。猫のような身のこなしで倉庫内に転がる荷物の間を縫って駆けてくる。

 二人は狂ったように銃を撃った。銃弾が木箱に当たりバラバラと木くずが巻き上がる。


 革靴の音が響く。

 不意に倉庫の中央を照らしている両端、天井の電球が嫌な音を立てて弾けた。

 どんどんと暗くなる倉庫内に、明かりを求めて二人は奥へと退しりぞいていく。


「あの野郎ッ!あれがいくらすると思って」

「しっ!黙れっ!静かにしろ!音がしねぇだろうが!」

「あ゙ぁ⁉︎何言って――」


 ……先ほどまでカンカンとしつこく鳴っていた足音が、光が消えると同時に聞こえなくなった。

 薄ぼんやりとした暗闇に、二人は落ち着きなく視線を泳がす。


「ど、どこにっ……」

「――ぎゃッ、」


 周囲を警戒していたところ、隣から潰されたような悲鳴と、すぐ後に銃声が耳をつんざいた。

 見ればうつ伏せで倒された仲間の前に、銃を持った男が立っている。その闇を浮かべた黒い瞳が、瞬きと共にこちらを映した。


「ヒッッ――!」


 歯の間から悲鳴が漏れる。

 恐怖に叫びながら銃を構えた。カタカタと震える銃口の先で、バケモノが音もなく迫ってくる。

 照準も見ずに引き金を引くと、ブレた銃弾は壁際に置かれていた酒樽を打ち抜いた。辺りに熟れたワインの匂いが漂う。


 ――男が間合いに入った。

 セヴェーロは軽々と飛び上がり、銃を持っている敵の右手を回し蹴ると、続け様に身を捻ってその顔面を革靴で強打する。


「ガァッ!」


 硬い地面に顔から倒れながら、意地でも離さなかった銃を掲げた。

 カチッカチッ……と数回、空の弾薬を叩く虚しい音が周りに響く。


 ――銃弾が切れたのか。


 固く冷たい銃口が頭上から見下ろされる。

 逃げられない恐怖に心臓を鷲掴まれ、その痛みが怒りに変わった。額の先で銃を睨み上げると、苛立ちに怒声を上げる。


「んだよッ!Ωのガキ一匹攫っただけじゃねぇか!彼奴等は身を売る以外価値のないセックスドールと一緒だ。きっとあの女だって今頃俺たちに感謝してる!Ωの家族なんて、荷物でしかなかった子供が目の前から居なくなったんだからな!」

「…………言いたいことは、それだけか」


 ここまで来て、初めて目の前のΩの声を聞いたことに気が付いた。

 絞り出した様なささやき声は、僅かに震えている。見上げたその黒い瞳は、無機質な殺意よりも温かい悲しげな色を浮かべていた。


「あ……た、頼む。死にたくない」

「無理だ……お前は俺より弱い」

「ま――」


 男の声を短い銃声が奪い去る。

 静かになった倉庫の中を風音がよく響いた。

 セヴェーロは最初に落とした銃を拾うと、置いていた革靴に足を通す。気付けば黒いシャツとスーツにべっとりと血が付いていた。


 ……盾にした男の血だろう。

 またエマに心配させるな。せめて腹部の血だけでも落として帰らないと――。


 ふと、どこからか吹いてきた風が頬を撫で、弾かれるように顔を上げる。

 息を止め、耳目をそばだてた。――娼館の近くで感じた、αの匂いが確かにしたのだ。エディに噛まれたうなじの痕にピリピリとした痛みが走る。

 ……近くにαがいる。それもそこらのαとは格が違う。強者であり、絶対的な支配者。


「エンツァ――」


 嫌な胸騒ぎがした。まだそこまで遠くには行っていないはずだ。地面に飛び散った鮮血も気にせず、急いでエンツァの後を追いかけた。

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