第20話「外道には鉄槌を」
ゴルベラはまるで泥酔したかのような千鳥足で、フラフラと歩き出す。その様は死んでこそいないが、宛らゾンビのような不気味さだ。
「クソッ……。なんでまだ動けるんだよ……」
夢遊病の類か。或いはそれ以外か。理由は定かではないが、事実ゴルベラはまだ動いている。頼みの綱であったリューナのスキルが効かなかった。それは俺達の策が尽きたことを意味している。
「どうしよ、タカミチ……?」
リューナは不安気な顔で俺を見つめる。唯一あった勝利への道が塞がれた。それ故に、彼女の瞳に宿っていた希望の火は消えかかろうとしている。
「悩んでいる暇は無いと思いますよ?」
後方で煽るラーゲン。それに反応するように、白目を剥いたゴルベラは背中の大剣を引き抜き、フラフラの足取りで駆ける。
「リューナ、来るぞ!」
俺が叫んだ瞬間、彼女は回避の体勢を取る。だが、フラフラの足取り故にゴルベラの軌道はまるで読めない。
「右、いや左……。ダメだ、どっちから来るんだ?!」
その奇妙な動きに翻弄され、彼女に指示を送れない。リューナ自身も、ゴルベラが何処から攻撃を仕掛けてくるのかわからず、構えの体勢から動けないでいる。
「ゴルベラさん。今です」
ラーゲンの声に反応し、ゴルベラがブンッと剣を空振りする。そうして生み出された強烈な衝撃波が、リューナの身体を吹き飛ばす。
「うっ……くっ……」
衝撃波に吹き飛ばされたリューナ。そのまま壁に背中を叩き付けられ、苦痛の声を漏らしながら地面へと倒れ込む。
「痛った……。リューナ、動けるか……?」
同じく壁へと叩き付けられた俺だが、幸いにも僅かな衝撃だけで済んだ為、何とか動くことが出来ている。だが――
「ダ、メ……。身体が、動か、ない……」
当のリューナは既に体力も限界ギリギリだった為に、身体をピクリとも動かせないでいる。顔面蒼白で倒れ込むリューナの元へ、絶望の音が着々と近付いてくる。
「何か、何か無いのか……。考えろ考えろ……!何か絶対ある筈だ……!」
――生前の知識でも何でも良い。使えるものは何でも使え。
そう思いながら思考を巡らせ、周囲を見渡す。あるのは、地面をそのまま掘って作った様な簡素な作りの地下通路と外道が二人。そして、倒れる相棒。彼女の顔はいつにも増して白く、それに相反するように左手はスキルを酷使し過ぎたせいで、血で真っ赤に染まってしまっている。
そういえば、いつも彼女は左腕でスキルを発動させている。その際には、俺が彼女を引っ掻き出血させる。それが、彼女の
――出血。血……。
不意に傷が痛む。それは、岩壁にぶつけた傷ではなく、ここに来る前にリューナによって付けられた傷だ。過去の出来事を話す彼女が、無意識に俺を掴んだ際に出来た、僅かに血が滲んだ傷だ。
――やるしか、ねぇ。
出来るはずだ。俺は、他でも無いリューナの右腕。彼女を構成する身体の一部だ。そう思い、迫り来る絶望の化身に向かって身体を――
その手を伸ばす。
「
瞬間、俺の傷口から滲む血が、ゴルベラに襲い掛かる――
ことは無かった。傷口に滲む血には何の変化も訪れない。結果はただ、俺が手を伸ばしただけだった。
「クソっ……。やっぱりダメか……」
悔しさから拳を握り、地面に叩き付ける。何故こんな時に限って上手くいかないのか。
――いや、もう一度だ。集中だ集中。
そう思い、再び手を伸ばした瞬間。俺に何かが、重なってきた。冷たくもほんのりと暖かい感触。鉄の匂いの中に、僅かに漂う甘い香り。視界を上げると、そこには
「さっきのじゃダメ……。もっと、意識を集中させて」
リューナは俺を握りながら、そう呟く。既に身体を動かすのすら辛いはずなのに、彼女は力強く俺を握ってくれている。
「……教えてくれリューナ。スキルの使い方を」
俺の言葉に、リューナは小さく頷く。
「……意識して。傷口から流れてくる血を。それを、外に逃がすとこから始めて」
リューナの言葉に従い、イメージする。右腕に滲む血。それを、解放する。宛ら、水の入ったペットボトルに穴を開け、そこから水を逃がすように。
「見えた……!
瞬間、血管がドクドクと音を立てる。まるで、ポンプのように、何度も何度も大きく脈打つ。そしてそれは、傷口から血を押し出す為の合図だ。
刹那、“それ”は飛ぶ。テラテラと赤く光りながら、空を切り地を駆ける。そして、獲物を狩る刃となって、その身に迫る。
ゾンビのように覚束無い足取りで、こちらへと迫ってくるゴルベラ。フラフラとどっちつかずな故、その軌道は不規則極まりない。なら、厄介な足は潰してしまえば良い。
瞬間、ゴルベラは膝を着き、そのままうつ伏せになって頭から倒れ込む。衝撃と砂煙が辺りを包む。当の本人は気にもせぬ素振りで立ち上がろうと地面に手を付ける。上げた顔は額から血がダラダラと流れているが、気絶している彼には関係無いのか、そのまま起き上がろうとする。だが、彼はもう立つことは出来ない。何故なら――
「……ハァハァ。めっちゃ、疲れるなこれ……」
力を使い果たした俺は、そのまま地面に伏せる。加減も何も知らぬ俺が咄嗟に放ったのは血の刃だ。血の刃はゴルベラの足首の神経を切断し、彼を文字通り再起不能にした。
「……やったねタカミチ」
リューナは弱々しく笑う。とうに限界を迎えているにも関わらず、彼女は諦めずに俺を信じてくれた。上手くいったのは、偏に彼女のおかげだ。
「……ありがとうリューナ。俺を信じてくれて」
思えばリューナはずっと、俺を信じてくれている。その度に俺は、彼女に助けられている。リューナが俺を信じてくれるから、俺は彼女を信じられるのだ。
「……役立たずめが」
不意に苛立ち気な声が響く。ラーゲンは、先程までの余裕は何処へやら、ゴミを見るような目でゴルベラを睨み付けていた。やはり、これがこの男の本性のようだ。
「……お前。本当にゲスだな。それが仲間に対する態度かよ」
それに対し、ラーゲンは鼻で笑い返す。そして、まるで見せ付けるようにゴルベラの頭を踏み付ける。
「仲間……?嗚呼、なるほど。あなたにとって仲間とは奴隷のことを指すのですね」
ラーゲンは戯けた様に目を丸くする。やはり、そういうことか。何故、ゴルベラは不満そうにしながらもラーゲンの指示に従っていたのか。何故、気絶しても尚動けるのか。全てが点と点で繋がった。
「……なるほどな。ゴルベラが気絶しても動けんのは、お前の奴隷だから。おおかた、絶対服従の魔法か何かでもかけてんだろ?」
「おぉ、なんと……。流石はタカミチ君です」
ラーゲンはわざとらしい素振りで、パチパチと拍手しながら、こちらに向かって歩いてくる。
「……さて、ゴルベラさんが使い物にならなくなった今、もう私に打つ手は無いのです。どうぞ、トドメを刺してください」
ラーゲンは両手を広げて叫ぶ。勿論、そのつもりだ。願わくば、ボコボコに殴って泣いて謝らせたいくらいだ。だが、それが出来ない。それを出来るだけの力が、もう俺達には残っていない。
「……クソ野郎が。絶対ぶっ飛ばす」
ラーゲンはそれを分かった上で、俺達を挑発したのだ。安全圏から一方的に茶茶を入れる為に。本当に性根が腐っている。
「……アンタだけは、許さないから」
リューナは怒りの籠った顔でラーゲンを睨んでいる。ラーゲンはそんな彼女を見下すように眺める。そして――
「……小生意気な小娘風情が。魔王とて力を使えなければ雑魚同然。吠えるくらいなら、可愛く鳴いたらどうですか?」
リューナの銀色の髪を土足で踏み付ける。それは禁足地に足を踏み入れる、愚か者同然の行為。許されざる蛮行だ。
「……その足を離せ」
俺はゴルベラの足首を掴む。こいつは一体、どこまで俺を怒らせれば気が済むのか。
「おやおやおやおや。まるで伴侶を汚されたいつかの農民を思い出しますねぇ。そうだ。ゴルベラさんとの約束が破棄になった今、私がリューナ殿の“品質確認”を行いましょうかね」
ゴルベラはニタァっと気色の悪い笑みを浮かべる。そして、うつ伏せで倒れるリューナを仰向けにひっくり返し、そのまま上に覆い被さる。
「品質確認……?お前、何する気だよ!?!」
最悪の予想が思考を過ぎる。やめろ。それだけは思い過ごしであってくれ。そう、天に向かって願う。
「……言わなくても、分かるでしょ?」
それは、獲物を見つめる捕食者の目だ。欲望に満ち溢れた、卑しい獣が持つ目付きだ。そしてそれは、最悪な答え合わせだった。
「……嘘。ヤダ……。やめて、来ないで……!ヤダ、ヤダ、ヤダ……」
リューナは首を振って必死に抵抗する。だが、もう既に体力が限界を迎えている彼女は、動きたくても動けない。
「……そうですね。先ずは、邪魔なタカミチ君の切断から始めましょうか」
そう言い、ラーゲンは懐からナイフを取り出す。それを下品な顔でひと舐めすると、その刃を俺に押し当てる。
冷たい刃の感触が伝わる。まるで、喉元に刃を押し当てられているような気分だ。
「やめて!!わかった、言うこと聞くから……!だから、タカミチには手を出さないで!!」
リューナは必死に叫ぶ。恐怖を押し殺し、懸命に叫び続ける。だが、その叫びを聞いて尚、下衆男は躊躇う素振りすら見せない。
「おぉ、やはり君達は良い……!互いが互いを大切に想い合っている。なんと素晴らしいのだろうか!」
ラーゲンは感嘆の声を漏らす。一体、何をほざいているのか。この男に何が分かると言うのだ。
「……だからこそ、互いの傷付く姿を見せ付ける……。そうして見れる“絶望の色”が最高なんです!!」
恍惚とした気色の悪い表情をしながら、ラーゲンは嬉々として叫ぶ。それはあまりにも歪んだ思想だ。そしてその台詞から察するに、此奴は今まで同じようなことを何度も繰り返してきた。あの時助けたことが、本当に悔やまれる。
「……クズ野郎が。マジで、助けなきゃ良かったよ……」
「嗚呼、その後悔も含めて私は好きですよ。本当に助けていただき、ありがとうございます」
そう言うとラーゲンは俺を抑えていたナイフを持ち上げ、それを振り下ろす。まるで、大根を一刀両断するかの如く、真っ直ぐにナイフが振り下ろされる。
瞬間、感じたのは手首に当たるヒヤッとした感触。そしてそのまま身体に入り込む異物感。肉と肉の間を、骨と骨の間を無遠慮に割り込み、俺の肉体を侵食する。そして――
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!!」
待っていたのは想像を絶する痛み。手首を切られたなんて、生易しい痛みじゃない。熱い。熱くて冷たい。顕になった肉が、骨が、神経が、外界の空気に撫でられるだけで、電撃が流れ激痛が走る。視界が見えない。ただ真っ赤に染まる。上も下も分からない。今の、自分の状況が分からない。
「……うーん。思ったより正気を失っちゃいましたね。少々残念ですが、まあいいでしょう」
声が聞こえる。誰の声だ。分からない。思考が回らない。何も、考えられない。
――嗚呼、これ不味いやつだ。
どこか客観的に、他人事の様に考える自分がいる。お前は一体誰なんだと言ってやりたい。
「……チ」
どこか遠くで声が聞こえた。最初は空耳とも思ったが、声は確かに俺の元へと届いてくる。高い女性の声が、何かを叫んでいる。声は、何かを必死に言っていた。
「タカミチ……!タカミチ……!」
声は、俺の名を叫ぶ。必死に、何度も何度も叫ぶ。何故、そこまで叫ぶのか。何を求めて叫ぶ。何をして欲しくて叫ぶのか。
「――起きて!!」
嗚呼そうか。声は、何かをして欲しい訳でも何かを求めてる訳でも無い。ただ、俺がそこにいて欲しいから、叫んでいるのだ――
「――リュ、リューナ……?」
霞む視界で周囲を見渡す。そして、それを見て言葉を失った。
「お?タカミチ君、目が覚めた見たいですねぇ。じゃあ、お楽しみの時間と行きましょうか」
目が覚めた俺を見つけるや否や、ラーゲンはニヤリと顔を歪ませる。奴は今、己の醜悪な欲望を曝け出さんと画策している真っ最中であった。
「ヤダ、ヤダ、ヤダ、ヤダ、ヤダ、ヤダ、ヤダ!!やめて!ごめんなさい!ごめんさい!ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!!」
リューナは半狂乱になり、必死に叫んでいる。それは、彼女にとっての一番のタブーであり最低最悪の過去を掘り起こす起爆剤だ。
「やめろ!!ふざけんじゃねぇぞラーゲン!!!」
感情のままにそう叫ぶ。だが、ラーゲンは止まらない。俺の方を見て、嘲笑うような笑みを浮かべると、ゆっくりとその本性を剥き出しにする。
――良いのか。このままされるがままで。大切な存在を、守りたいと思った存在を、このまま陵辱されて良いのか。貪られて良いのか。ただ見てるだけで良いのか。
違う。良いわけが無い。こんなことが、まかり通って良いわけが無い。許されて良いわけが無い。彼女の心だけでなく、肉体までも弄ぶ外道など、存在して良いわけが無い。決めた筈だ。そのニヤケ面にこの拳を食らわせてやると。
身体が動かない。だが、まだそこに行く為の力がある。それをするだけの血ならある。そして――
「さぁ、味見といたしましょう!!」
ラーゲンは遂に、その肥大化した欲望を顕にする。品質確認と称して、己の我欲と劣情をぶつける外道の所業。許されざる冒涜。それは正に、色欲という名の大罪だ。そんなにお望みならば、食らわしてやろう。
――色欲の魔王の右腕を。
刹那、轟音が響く。それは空気の振動によって生まれたソニックブーム。音速によって生まれた大気の産声。しかし、それよりも速く、一つの世界が終わりを迎えた。
「――言っただろ。絶対ぶっ飛ばすってなァ!!」
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