第8話「誓いと願いと決意」

泣き疲れ、安心したのかリューナは眠りに着いた。


「また寝たのか……?」


独り言じみた調子で確認する。案の定返事は帰ってこず、一定のリズムで聞こえる呼吸音と心臓の鼓動以外に彼女から発せられる音は無いようだ。


ふと彼女の方を見上げる。まるで精巧な人形のように白く端正な顔立ちだ。窓の隙間から差し込む光に照らされて、銀の髪はキラキラと輝きを放っている。


思わず見とれ、何も考えられなくなる。声を、時間を、世界を失う。俺の視界には、彼女しか移っていない。それ以外の全ては、彼女の美しさを更に彩る為の素材に過ぎない。このまま時が止まれば、この美しさを永遠に見続けれるのだろう。思わずそんな考えが過ぎる。けれど、そうなって欲しいとこれまた無意識に願ってしまう。俺だけのものにしたいと、永遠のものにしたいと、他に邪魔の入らない2人だけの世界を目指したいと、そう願ってしまう。艶やかな髪を撫でたい。柔らかそうな唇を奪いたい。服の隙間から覗く、白く眩しい肌に触れたい。彼女の全てを手に入れたい。そう、願ってしまう――


「――殿……。タカミチ殿!!」


不意に名前を呼ばれ、ハッと我に返る。声のした方を見ると、そこには険しい表情をしたセバスが立っていた。


「あれ……。俺は、なにを……」


まるで夢から覚めたみたいに、意識が混濁する。先程までの感情の流れが幻覚だったかのように、記憶に乱れが生じる。そして、少しずつ自覚する。自分が何を、しようとしていたのかを。


「は……。嘘、だろ……。違う……。違う、違う……。違う!違う!違う!!俺は、俺は……」


慌てて“それ”から手を離す。気がつけば俺は、リューナの細く白い首を絞めていたのだ。何故か。理由は分からない。いや、理由なんてどうでもいい。俺は、絶対にしてはならないことをしてしまったのだ。


怒り、焦り、後悔、動揺、自己嫌悪、罪悪感。自分自身への悪感情から、俺は気付けばベッドの天蓋を支える柱に何度も拳を打ち付けていた。打ち付けた手の甲は皮膚が捲れ、強く握り締めた掌には爪が食込み、どちらも赤い血が滲んでいた。しかし、これは“俺のもの”ではない。


「いや、違……。ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい!!」


誰への謝罪か。俺の隣で眠るリューナに対してか。いや違う。険しい表情で俺を見つめるセバスに対してだ。反射的にとはいえ、俺は自己保身を優先してしまったのだ。


セバスはそんな俺を見つめ、小さく息を吐く。


「……恐らく、リューナ様の“色欲”の力に当てられたのでしょう。普段ならリューナ様自身が意図して制御を行っているのですが、眠られている今、その力が漏れ出しタカミチ殿に影響が出たのだと考えられます」


セバスは淡々とそれだけを伝える。そこには一切の感情が無く、只管に機械的且つ無機質だ。俺への憎悪や怒りを押し殺した故にそうなったのだろうか。


「……タカミチ殿。私の言葉は、覚えておりますか」


セバスの言葉。勿論、忘れるわけが無い。にも拘らず、俺はそれを破ってしまった。


「……はい」


言い訳は不要だ。どんな理由であれ、リューナに手を掛けようとした事実に変わりは無い。そんな俺が彼女の隣に立つ資格は、きっと無いのだろう。


――俺が右腕である以上、全力でリューナを魔王にする


なんて言った傍から、このザマだ。呆れて笑いが零れそうだ。


「……では、約束通り制裁を――」


セバスはそう言い、俺に左手を挿頭す。短い異世界生活だったが、楽しかった。リューナと出会い、彼女の力になりたいと本気で願った。けれど、それももう終わってしまうのか。


――嫌だ。


やはり、受け入れたくても受け入れられない。勿論、これから死ぬかもしれないこと、最悪の場合死なずに苦しみ続けること。そのどちらも怖い。けれど、そうじゃない。それよりもずっと怖いことがある。それは――


「……お願いします。もう一度チャンスをください!」


俺は、セバスにそう懇願した。死も苦しみも甘んじて受け入れよう。けれど、リューナの傍を離れることだけは受け入れたくない。この想いも、もしかしたら彼女の力に当てられただけの、妄言に過ぎないのかもしれない。だが、理由はそれだけじゃない。


「……約束したんです。リューナを魔王として認めさせるって。俺がその為の右腕になるって。だからまだ、死ぬわけにはいかないんです!」


この腕に誓ったのだ。彼女を、魔王にすると。どんな困難があろうと覆してみせると。


「……なので、もう一度チャンスをください。セバスさん」


「ハァ……」


セバスさんは小さく溜息を着く。それは諦めか、はたまた呆れか。今の俺には分からない。


「……タカミチ殿。何か勘違いをしておられるようですが、私は何も、貴殿をリューナ様から引き離すつもりは毛頭ございませんよ?」


何処か柔らかな雰囲気で、セバスは俺に伝える。


「え……?でも、制裁って」


理解が追い付かない。一体何故なのか。様々な感情が入り交じり、意識は混乱を極める。


「ええ。リューナ様に危害を加えられた以上、制裁は致します。ですが、それでタカミチ殿をリューナ様から引き離すことも、ましてや殺めることなど一切ございません」


「なん、で……」


気付けばうわ言のようにそう呟いていた。彼にとって俺が都合の良い存在では無いのは明白だ。素性の知れない怪しい人物として、居なくなって貰った方が主人の為にも良い筈だ。にも拘らず、何故セバスは俺にチャンスをくれるのか。無論、チャンスが貰えるのは願ったり叶ったりだが、初めからそのつもりだったのは一切理解が出来ない。


「言ったでしょう。リューナ様がタカミチ殿を気に入られてる以上、私の出る幕は無いと。それ以上の理由はございません。ただ、敢えて理由を付け加えるのならば――」


セバスは、挿頭した左手を俺に――


リューナの右手に重ねる。するとそれは、淡い緑色の光を帯び、滲んでいた血と傷がみるみるうちに癒えていく。


「……貴殿が、リューナ様を誰よりも大切に思ってくださるからです」


「何で、そう思ってくれるんですか……?」


「……先のリューナ様と貴殿との会話。無礼を承知で、お聞きさせて頂きました」


セバスは、手を重ねたまま跪く。奇しくもそれは、主に忠誠を誓う際の素振りに見えた。


「タカミチ殿……。いえ、タカミチ様。不肖セバス。リューナ様の執事として、我が主の右腕たる貴方様にも忠誠を違うことを、ここに宣言致しましょう」


セバスは深く頭を下げながら、そう宣言した。どうやら、俺の懸念は杞憂だったようだ。セバスは、とっくに俺を認めてくれていた。


「……ありがとうございます、セバスさん!俺、頑張ります!」


俺を信じてくれたセバスの為にも期待に応えなければ。彼女を、誰からも認められる魔王にするという目標を達成する。決意新たに、俺の右腕としての異世界生活は漸く幕を開けた。


「……とはいえ、制裁は制裁ですので」


「……え?ぎゃぁぁああああッッ!?!?痛い!痛い!痛い!?」


顔を上げたセバスは、温和な笑みに青筋を立てながら、右手おれを万力の如き力で握り締めた。

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