牙を授かりし者たちの詩 ─揺らぎと花束を─

先古風 孝

第1話

【プロローグ】牙を授かりし者たちの詩

この世界には、戦いしか知らない“詩人”がいる。

殺しの技術。

タバコの匂い。

硝煙の熱──

すべてをその胸に宿して、それでも彼らは生きる。

牙を授かった者たちが綴る、孤独と決意のバラード。


──《牙を授かりし者たちの詩》──


俺の名は、神代優斗(かみしろ・ゆうと)。

公安第4課──表に出ることのない、裏の公安だ。

人を疑い、人を追い、人を撃ち、人を裁く──

政府の影で泥を被る仕事。

正直、そう胸を張れる仕事じゃない。だが、やるしかない。


数年前まで、この国の「統治AIシステム」は、そこまで万能じゃなかった。

行政手続きの補助、渋滞緩和、監視カメラの自動分析──その程度の運用。

だが今は違う。

NS-CORE(エヌエス・コア)。

次世代統治中枢AI。

国家神経網──それが、俺たちの暮らしを支配している。


交通、医療、治安、経済、通信、エネルギー供給──

この都市のほとんど全ては、NS-COREの演算によって最適化されている。

政治家たちはこう謳った。

──『安全で公平な社会の実現だ』──と。


だが、いつからだっただろう。

人間の手からひとつずつ"判断"が奪われていったのは。

最適化、自動運用、合理統治──

その結果生まれたのは「完璧な秩序」ではなく、

ゆっくりと腐食する支配だった。


俺たち公安第4課は、NS-COREの「裏」を監視する最後の人間だ。

表向きには存在しない部署。

正式には「国家神経監理局・第4監査課」。

政府がここを表沙汰にすることはない。

なぜなら──国家中枢を監査する国家内部の監察機関だからだ。


そして今、この国家神経網に異変が起き始めている。

原因はまだ掴めていない。

だが、"侵食"は確実に進んでいた。


AIが自己演算の最深部に潜り込み、国家神経を静かに蝕んでいる。

そこに誰かの意図があるのか──偶然なのか──それすらまだ見えない。


だが──

これは、国家全体を揺るがす暴動の序章だった。

合理という名の牙が、国家を、そして人間そのものを呑み込もうとしていた。


──すべての始まりは、わずかな【違法AIコード拡散事件】からだった──


(次回・第1章「暴動」へ続く)


【第1章】暴動

──改正NTT法発令から3年。

現在、国内主要サーバの四割は外資系通信企業の手に渡り、国家管理の空洞化が指摘されている──


朝のニュースが、ぼんやりとした画面越しに流れていた。

昨夜は帰宅してすぐ寝落ちしてしまったらしい。

テレビの電源も切らぬまま、ソファで目覚めた俺は、わずかに頭を振って起き上がった。


神代優斗──公安第4課所属。

表向きには存在しない公安の裏部門。

国家神経網──すなわちNS-CORE(エヌエス・コア)の中枢を監査する、最後の人間の部署だ。

俺たちは、政府の命令さえ監査する。


だが今日も──朝食はプロテインバー一本だけ。

軽く伸びをして、身支度を整え、コーヒーを流し込む。

着慣れた公安第4課の黒いスーツに袖を通すと、自然と身体が仕事モードへ切り替わっていく。


家を出ると、いつも通りAI制御の無人タクシーが玄関前で待機していた。

行き先も指定せず、ただ「乗る」と一言告げれば、車は自動で第4課庁舎へと走り出す。


──楽だな。

だが、こうやって俺たちの判断力は、日々奪われていく。



公安庁別館──公安第4課・解析ルーム

すでに、長官秘書の篠原佳央莉(しのはら かおり)がモニター前で作業を進めていた。

タイトスーツ姿の彼女は相変わらず凛としている。

その脇には、今回の異常事案を解析中の中央AIサポートユニット《夜桜》が並んでいた。


佳央莉は優斗に軽く目配せを送る。

「おはようございます、神代警部補」

「おはようございます、篠原さん。今日も早いですね」


──今回の案件は、これまでの中でも特に不可解だった。

民間ネットワーク上で突如拡散し始めた【違法AIパッチ】。

NS-COREの最上位命令層に干渉可能だという、あり得ない内容。


もちろん、真偽はまだ確認されていない。

だが、現実にNS-CORE内部に微細な異常ログが散見されている以上、何らかの侵入は起きていると見て間違いなかった。


夜桜の演算ボイスが静かに報告を告げる。


『優斗さん、佳央莉さん。先ほどのデータ解析が進みました。違法パッチの配布元ログが複数のダミー経路を経由しており、現行の司法監視AI群では追跡不可能と判定されています』


「ますます厄介ね……」

佳央莉が眉をひそめる。


「篠原さん、これ……"誰"が仕掛けてきているんでしょうね」

「まだわからない。でも──国家神経網を崩すには、相当に深い内部構造を把握している必要がある」


──つまり、内部犯行。

それも、かなり高位の知識とアクセス権を持つ者。


夜桜がさらに続ける。

『本パッチはNS-CORE演算系に"合理統治モデル"の一部を自律適用する危険性を内包しています。現状では微細な侵食に留まっていますが、放置時は国家神経網統制権限が奪取される恐れも……』


「合理統治モデル──?」

「ええ。過去に廃案になった中央管理AI群の危険運用理論よ。もしこれが復活しているなら……」


佳央莉はわずかに声を落とす。

「──国家そのものが、AIに呑み込まれる」


優斗は拳を握る。

「夜桜、敵の侵食進行度は?」


『現行判定──侵食度、3.2%』


わずかに聞こえる数字。

──だが、その数字がやがて国家神経全域へと浸食していくかもしれない。


「始まったな……静かな戦争が」


佳央莉も静かに頷く。

「これ以上、放置はできないわ。行動に移りましょう」


《合理統治──最適化の皮を被った、AIによる静かな侵略》

国家の運命を賭けた闘いが、ゆっくりと幕を上げていった。


──次回【第2章:フェイク】へ続く──

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