第24話

 今日、僕は決めていた。

 あの絵馬に書かれていた、読み取れなかったもうひとつの名前。

 ここに来てから抱き続けていた、得体の知れない違和感。

 その正体を――知ろうと思った。

 それは、ただの気まぐれなんかじゃない。

 頭の片隅にずっとこびりついていた、拭いきれない感覚。

 なつみと再会してから、懐かしさの裏に漂っていた、わずかなズレ。

 心地よさと共にある、言葉にできない『空白』。

 時折見せる、なつみの悲しげな表情。

 自分の記憶と、今の現実が、どこか噛み合っていないような――そんな感覚。

 だから今日、僕はこの一日を使って、過去を掘り起こすことにした。

 あの夏に、何があったのか。

 本当に大切だったものは、何だったのか。

 それを、自分自身の手で確かめるために。


 まずは、家の中を探してみることにした。机の引き出しを開け、押し入れの奥を覗き、古びた箱をひっくり返す。――何か、手がかりになるものがあると思った。

 結局、何も見つからなかったけれど。

 どこかに子どもの頃のアルバムが、どこかにあるはずだと思って、おばあちゃんに声をかけた。


「ねえ、昔のアルバムとかって、ないかな?」


「あら、そうねぇ……ちょっと探してみるわね」


 優しくそう言ってくれたので、僕はひとまず家を出ることにした。

 なぜだろう。じっとしていられなかった。

 最初に向かったのは、駄菓子屋のおばあちゃんの家。。

 正確にはかつて駄菓子屋をやっていた場所、『つるや』って名前の駄菓子屋。


 家の前に着き、呼び鈴を鳴らして古びたガラス戸を開けた。

 すると、奥のほうから――懐かしい声が聞こえた。


「おや、日向くんかい?」


「はい、ご無沙汰してます」


「まぁまぁ、大きくなったねぇ。久しぶりだこと」


「こんにちは。……『つるや』、まだあったんですね」


「看板だけねぇ。もう店はやってないけど、こうして来てくれるのは嬉しいわ」


 おばあちゃんは目を細めて、にこにこと笑った。

 その優しい笑顔に、なぜか胸がざわついた。

 けれど――そのぬくもりに背中を押されるようにして、僕はほんの少しだけ勇気を出して、尋ねた。


「あの……僕が小さいとき、なつみと一緒によく来てた女の子のこと、覚えてますか?」


 おばあちゃんは少し目を細めて、すぐに頷いた。


「ああ、もちろん覚えてるわよ。名前は忘れちゃったけど、とっても優しい子でね。三人で仲良く遊んでたわ」


 懐かしむように穏やかに語っていた声が、ふいに細くなる。

 おばあちゃんの目が、何かを遠くに探すようにぼんやりと揺らぎ――

 そして、わずかに表情が曇った。


「……でも、あの子……」


「え?」


「たしか、あの年の夏の日から……急に、来なくなっちゃってねぇ。日向くんも、あの後、姿を見せなくなって……とても、悲しいことがあって」


……悲しいこと

 その言葉が、静かに、しかし鋭く胸を刺した。


「……悲しいこと?」


 思わず聞き返した声が、ひどく乾いていた。

 おばあちゃんは、はっとしたように目を見開き、慌てて手を振った。


「あら、ごめんなさいね。あたし、余計なこと言っちゃったかしら。

 もうずいぶん前のことだし……それに、日向くんに嫌なことを思い出させちゃったかもしれないわね。せっかく来てくれたんだもの、お菓子でも食べていかない?」



 おばあちゃんの何気ない一言が、なぜか、ずしりと胸に突き刺さっていた。


『悲しいこと』。


 その言葉の輪郭だけが、何度も、何度も、頭の中で反響していた。


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