第14話

「……僕さ、バスケやってたんだ。しかも、けっこう——いや、わりと真剣にやってた。

 中学のときは、県大会で優秀選手にも選ばれたりして。周りからは一目置かれて……自然と、部の中心にいるようになってた。その流れで、高校でも続けてたんだ。少しは、名前も知られるようになって……」


 そこで、言葉がふっと途切れる。喉の奥で引っかかるような感覚。そこから先を言うのに、少し時間がかかった。

 胸の中にしまい込んだ記憶を、想いを、ゆっくりと掘り起こすようにして、言葉を紡いでいく。


「でも……ある日、ちょっとしたことが起きたんだ。部活で。同級生の一人が、練習メニューについて意見した。『このやり方、少しおかしくないですか?』って。

 そしたら、先輩たちがキレて。怒鳴りつけて、囲んで……。

 あれはもう、『指導』なんかじゃなかった。完全に、見せしめだった。吊し上げみたいで……誰が見てもおかしかった」


 そう言って、少し目を伏せる。

 川の音に混じるように、そっと息を吐いた。


「見てるのが、つらくてさ。気づいたら、止めに入ってた。あいつ、すごく真面目なやつだったんだ。中学の途中からバスケを始めたらしくて、正直、すごく上手いってわけじゃなかった。でも――誰よりも努力してた。

 部活終わりや朝練で、ひとりでシュート練習してるの、何度も見かけた。

 人付き合いは苦手そうでさ。一緒に練習しようとか、自分から誘ってくるタイプじゃなかったけど……それでも、人一倍、真面目だった。真剣だった。

 だから、僕……言っちゃったんだよ。

『やめろよ。いくら先輩でも、それはやりすぎだろ』って。

 ……ただ、それだけのつもりだったのに」


 小さく笑った。

 笑うというより、どこか吐き捨てるような、自嘲するような、苦い音になった。


「そしたらさ、空気が一瞬で変わったんだ。

『お前、あいつの肩持つのか?』

『試合に出てるからって、正義ぶってんじゃねえの?』……って。

 目が冷たかった。声も。」


 背中が、少しだけ丸くなる。


「……次の日からさ、全部、変わったんだ。

 無視されて、陰口もすぐに気づいた。

 練習中はパスが来ない。明らかに見えてるはずなのに、僕だけスルーされる。

 ……なのに、顧問の先生は言ったんだ。

『一年のくせに、部の空気を乱すな』って。

 ……本気で、わからなくなった。僕が悪いのかって」


 言葉を探すように、言いよどみながらも、絞り出す。


「数日後のことだった。その同級生が、階段で先輩に絡まれてるところに鉢合わせてさ。

 反射的に庇ったんだ。咄嗟だった。ただ……守りたかった、それだけだった。でも、その拍子に転んで――膝を、強く打って。それが、最初の怪我だった」


 一瞬、視線を落とし、苦い息を吐く。


「あいつは、気にしてくれてた。何度も謝ってた。でも、平気なふりをした。なんでもないって。笑ってみせた。……ほんとは、ぜんぜんそんなことなかったのに」


 言葉が少しずつ、重くなる。


「でも、プレーに支障が出はじめた。思うように動けなくなって。だけど、庇ったせいで怪我をしたなんて……誰にも言えなかったんだ。言ったら、あいつがまた責められる。

 あいつに、こんなことでバスケを嫌いになってほしくなかった。だから、黙ってた。必死に、隠してた」


「まぁ、この件でバスケを嫌いになっちゃったのは、僕のほうだったんだけどさ」


 そして、小さく、皮肉のように笑う。

 ぽつりと、つぶやく。


「黙ってれば、全部、丸く収まる。僕さえ我慢すれば、それでいいんだって……ずっと、そう思ってたんだ」


 視線が、遠くに落ちる。


「無理して練習に出て、なんとかごまかして……でも、だんだん動けなくなってきた。

 パフォーマンスも落ちて、周りの目も変わっていった」


 声が、わずかに震える。


「『調子に乗ってたツケだ』『エース気取りのくせに、この程度か』――

 そんな声が、耳に入るようになった。信頼も、居場所も……気づいたら、どこにもなかった。……いつの間にか、僕、一人だった」


 少しだけ息を整え、ぽつりと続ける。


「それからしばらくして、問題だった先輩たちは卒業していった。

 怪我も、時間が経てば、体は治ったよ。でも――前みたいには、もう、動けなかった。コートに立つたびに、あの時の言葉や視線が、頭の中で何度も繰り返された」


 短く、低く、続ける。


「僕が信じて、庇ったあの同級生でさえ、今は何も言ってこない。

 僕がどうして声を上げたのか、何を思っていたのか――きっと、誰にも伝わってなかったんだ。いや、最初から……誰も、見てなんかなかったんだと思う」


 静かな空気のなか、ぽつりと落ちた言葉が、水面を静かに揺らす。


「『本当に、あのときの僕が正しかったのか』ってさ。今でも、何度も疑うんだよ。ずっと胸の中に、もやもやが残ったままで……誰にも、相談できなかった」


 ふっと目を伏せる。ひと呼吸、深く吸って、静かに吐き出す。泣き出してしまわないように。


「ある日、監督が言ったんだ。『無理せず、少し休め』って。

 ――その一言で、何かが切れた。張りつめてた糸が、ぷつんって音を立ててさ」


 しばらく沈黙が漂う。その先の言葉を、絞り出すように。


「……ああ、もう無理なんだな。戻れないんだって、思った」


 言葉の余韻が、微かに空気に滲む。


「それから部を辞めて……学校にも、だんだん足が向かなくなっていった。

 それで、気づけば、夏休みになってた。時間が流れてるのかさえ、よくわからなかった。何も考えたくなかった。何も感じたくなかった。

 ……ただ、『ここじゃないどこかに行きたい』って、それだけだった」


 言葉の重さを空に溶かすように、ゆっくりと遠くを見つめる。


「そうして――気づいたら、ここに戻ってきてた」

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