第7話

「おーい、タケルくん。人、連れてきたのかい?」


 境内の奥から、麦わら帽子をかぶった中年の男性が、タオルで額の汗を拭いながら近づいてくる。

 日に焼けた腕に、穏やかな笑顔が浮かんでいた。


「連れてきましたよー! 期待の新戦力!」


 タケルさんが振り返って胸を張る。


「ほら新入り、挨拶。礼儀は大事だぞ」


 にやにやしながら背中を軽く押されて、僕は一歩、前へ出た。


「あ、日向って言います。今日はよろしくお願いします」


「おぉ、礼儀正しいなあ。暑い中、ほんとにありがとね」


 かき氷屋の親父さんは、ぺこりと頭を下げる。


「いやぁ、タケルくんが“夏祭りまでの間、バリバリ働いてくれる子を連れてくるから!”って、勢いよく飛び出していったもんでね。楽しみにしてたんだよ。でも、ほんとにいいのかい? 暑いし、急に言われたらびっくりするだろう。ごめんね。もちろん、バイト代はちゃんと出すから」


 そこまで言って、少し気まずそうに頭をかいた。


「もちろん、無理だったら今日だけでも全然構わないからね」


「いえ、大丈夫です。家にいても特にやることないですし、こういうのも案外、悪くないかもって思ったので」


「ほんとかい? いやあ、それは助かるなあ。じゃあ――」


 おじさんはにこっと笑って、僕の目をまっすぐ見た。


「夏祭りが始まるまでの間、よろしく頼むよ。準備が多くて、ほんとに人手が足りないんだ」


「はい。頑張ります」


「いやぁ、いい子を連れてきてくれたなあ、タケルくん。ありがとう」


「いえいえ、見る目あるってよく言われますから」


 タケルさんが軽口を叩きながら、ブルーシートの方へと先導する。



「骨組みはこの下。よいしょ、ちょっと日向、手伝ってくれ」


「はいはい……」


 テントの骨組みを引っ張り出したとき、ふと空を見上げた。

 今日も、雲ひとつない晴天だ。祭りの日も、こんな天気になるといいな

 ――そんなことを、なんとなく思った。



「ふう……ようやく終わったな……」


 骨組みを立て備品や資材の搬入まで終えた頃には、太陽はすっかり傾いていた。

 二人して境内の片隅、まだ熱の残る石段に腰を下ろす。

 タケルさんはタオルで額の汗を拭いながら、ペットボトルの緑茶をぐいっと飲み干した。


「……マジで殺す気かってくらい重かったな、あのテント」


「ですね。よくある普通のテントの三倍くらい重かったですよね。あれ」


「言えてる。でもまあ、意外とちゃんと組めたな。お前、まだまだできるんじゃん」


 いつもふざけてばかりのタケルさんも、この時ばかりは本気だった。

 途中からはリーダー役よろしく、組み方の指示を出したり、高所作業を引き受けたりしてくれていた。


「……でも、タケルさん。最後の支柱、釘、逆に打ってましたよね?」


 その一言に、彼の動きが一瞬止まる。じわじわと顔が強張っていった。


「……え? マジで? うわ、やっべ……どこ? すぐ直そ……!」


 慌てて立ち上がろうとするタケルさんを、思わず笑いながら制した。


「安心してください。冗談ですから」


「なんだよ、おどかすなよ。ビビるだろ、普通に……!」


「いつもの、ささやかなお返しです」


 ふっと、力の抜けた笑いがこぼれた。

 頭上の提灯が、さやさやと揺れる。そのたびに、昼間の熱が一つ、また一つと抜けていくようだった。


「でもまあ、なんだかんだ言って手伝ってくれて助かったよ。日向がいなかったら、下手したら今日中に終わらなかったかもな」


「またまたご謙遜を。僕がいなくても……まあ、なんとかなってたんじゃないですかね」


「なんでちょっと寂しそうに言うんだよ」


「え、別にそんなつもりじゃ……」


「いいんだって。今日、お前がいた。それで十分だろ」


「……でも」


「過去の選択なんて悔やんでも、今じゃどうしようもないんだから。いいんだよ、それで。俺はザリガニ味のかき氷を食べて腹を壊したこと、後悔してるけど後悔はしていない」


「それ、どっちですか」


「ほら、暗え顔してっと、幸せが逃げんぞ!ごちゃごちゃ考えてねえで笑え、笑え! 俺様の存在は、落ち込んでる奴への特効薬なんだよ!」


 いつもくだらないことしか言わないくせに、ふとした時に、こんなふうにまっすぐな言葉をくれる。

 それが、タケルさんという人だった。


「さてと――」


 タケルさんが立ち上がり、ポケットから扇子を取り出して仰ぎながら、ふと遠くに目をやる。


「おっ、あっち、そろそろ始まるな」


「……始まる?」


「盆踊りの練習だ。近くの神社のところ、ほら、見てみろよ。子どもたち、もうちょっと集まり始めてるじゃん?」


 指差す先には、ちらほらと人の輪ができていた。


「ちょっと見に行こうぜ。将来の結婚相手とか、見つかるかもしれないしな」


「……理由が不純すぎますよ」


「夏の風物詩ってのはな、そういう『ちょっと浮ついた気持ち』があってこそ輝くんだよ。それがこの世の理なのさ、知らんけど」


「さっきまでちょっといいこと言ってたのに、どうしてすぐそれを台無しにするんですか……」


「バランスだよ、バランス。人間ってのは、そうやってできてんの」


 真面目に言ってるのかふざけてるのか、よくわからない調子のまま、タケルさんは先に歩き出した。

 それでも、その背中には妙な説得力があって、僕も思わず立ち上がる。

 空は茜色をじわじわと深めていき、短かった僕たちの影はいつの間にか何倍にも伸びていた。


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