ライ麦畑でまたいつか!
Talking Nerd
第一部 ライ麦畑でまたいつか!
邂・逅
『足は肩幅、脇を固めて敵を撃ち抜くように』
『パラメーターの初期設定が難しいんすよ』
菊地エイジのスマートホンからはアニメのセリフが流れる。20歳、大学2年生の夏休みを彼は持て余していた。凄いことなんてない。ただ当たり前のことしか起こらない、そんな夏だった。
*
8月2日、とても暑い日だった。彼はエアコンの効いた部屋で、日が落ちるまで一歩も家から出ることなく過ごした。20時頃であったか、家にいることに飽きたのか一念発起したようにベッドから起き上がる。そして彼は浴室へと行き洗濯物をまとめて、コインランドリーへと向かうことを決めた。
玄関のドアを開けた瞬間、むわっとした熱気と湿度が体を包む。
「あっつー…。」
小声でそう呟くと肩がけのランドリーバッグを背負い直し、ペタペタとサンダルを踏み鳴らしてアパートの階段を下りた。
少し歩いて大通りへと出ると、暑いのにスーツを着込んだサラリーマンが目に入った。暑くないのだろうか、いや暑いよな…お疲れさまです、なんてことを思いながら、煌々と光るコンビニの明かりに引き寄せられた。
「暑すぎる…ちょっと休憩…。」
そう独り言を漏らしながらアイスコーナーへと向かおうとすると、奇妙な光景を目にした。奇妙な、というか意味が分からなかった。
雑誌コーナーで、天使のような翼の生えた女の子が立ち読みをしていたのだ。
その天使はブロンドのショートカットで、オーバーサイズのTシャツにぶかぶかのジーンズ、ビーチサンダルをはいていた。背中はハサミで雑にくり抜いたのだろうか?そこの穴から翼が生えていた。
猫背でダルそうに少年誌を読む様子は、天使という気品のある存在とはあまりにもかけ離れた姿だった。
エイジはまず、ドッキリを疑った。何かのテレビの番組なのだろうか?と。しかし店員もちょっと困惑してる様子を見るに、海外のアバンギャルドな方がコスプレをしているのだろう、という結論に至った。
「東京ってすげー…。」
と、東京出身にも関わらずそんなセリフが勝手に口から漏れてしまっていた。するとその瞬間、天使が首をこちらへ向け、ギロッと睨んできた。
エイジはひっ…と驚くのと同時に、その容姿に驚いた。
美しい青い瞳に透き通る白い肌、長いまつ毛に高い鼻。そしてその美しさを帳消しにするほどの最悪の目つき。
少し距離はあったが、彼の視力2.0の瞳はそれを瞬時に捉え、関わっちゃいけない人だ、と判断した。
結局何も買わないまま彼はコンビニを後にし、コインランドリーへとまっすぐ向かった。
*
コインランドリー内は乾燥機からの熱で、信じられないほどの温度になっていた。とても長居できる環境ではなかったので、急いで洗濯物を入れると、そそくさと店を出て店の前にある古いベンチに腰掛けた。ペンキはほとんど剥げ、座ると少しガタついている。その横には虫が群がる街灯と、品揃えの悪い自販機。目の前には小さな公園がある。
彼は周りに人がいないことを確認すると、スマートホンから音楽を流し始めた。洗濯が終わるまでの30分間、音楽を聞きながらボーっと考え事をする。彼はこの時間がとても好きなのだ。普段はアニメのことや、バイトでの失敗の反省会など、何でもないことを考えるのだが、今日の頭の中は天使で一杯だった。
「背中覆うくらい羽でかかったよな…どうやってあれくっつけてるんだ?養生テープ?養生テープって人の肌くっつくんだっけ…。」
そんなことを呟きながら考えていると喉が渇いたので自販機へと向かう。今の時代に現金オンリーの強気なスタイルだ。少し悩んだ末に炭酸飲料を購入すると、そのペットボトルを首に当てながら、またベンチへと戻った。
すると誰かが公園のブランコに乗ってるのが見えた。暗くてはっきりとは見えなかったが、その人の背中辺りには見覚えのある"もの"が付いていた。
彼は恐怖でほとんど泣きそうになった。こんなことなら家から出るんじゃなかった、見つかりませんように、なんて思っていると最悪の事態は容易に起きた。
天使はブランコから下り、まっすぐにこちらへ向かってくる。彼は涙目になった。なんならちょっと涙が出た。天使は公園から出て、エイジとはっきり目を合わせてこう言った。
「美味そうなの持ってるな、私にもくれよ。」
エイジは初めは驚いたが、そんなことで済まされるなら!と言葉は出なかったが小さなお辞儀を何度も繰り返し、最大限誠意を見せる形で飲み物を"献上"した。天使はそれを豪快に飲み干すとペットボトルをポイ捨てする。
「かーっ…暑いからうめえな!やっぱり私って可愛いから男どもは何でも言うこと聞きやがる。人間チョロ!」
目つきの悪さに反して意外と可愛い声してるな、なんてことを思ったが、それはそれ。エイジは勇気を出して注意をすることを決心した。
「あっ、あのー…ポイ捨ては良くないですよ…!ゴミ箱あるんで、自販機の横。」
天使は意外にも素直に、ゴミを拾い、ゴミ箱へと捨てに向かった。実はいい人かも、と思ったのもつかの間、自販機の前に立ちこう言った。
「喉渇いた、これもう一本。」
音楽を流しっぱなしのスマートホンから、特徴的なギターのイントロが流れる。
去年の俺よ、
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