木漏れ日の下、あなたと:希望

 夜になった。寂れたカゲロウ村の様子が夜闇で見えなくなる。といっても完全に見えないわけではない。月明りに照らされてうっすらと廃屋の影が見える。


 遠くの方で火の明かりが見える。レイとセラフィナが作った焚き火だろうか。二人は今頃寝ているんだろうな。


 ごぅ。風が吹く。木々が音を立てて揺れる。草の匂いがする。


 虫の音が聞こえる。


 そんな闇世界の中。


「…………」


 俺はロウとイリスの墓前で胡坐をかいていた。


 昼間からずっとこうしている。ぼぅっと。同じ思考を繰り返す。


 カゲロウ村から出ていくべき。しかし出ていきたくはない。どうすればいいのだろうか。と。


「いつかは、さ。出ていかなきゃいけない時が来るって分かってたよ。いつまでも立ち止まってはいられない。外の世界へ進まないといけない。分かってんだよ。んなことは」


 墓は返事を返さない。


「けどさ。急すぎるよ。もっと時間が欲しかった……ま、いい機会なんだろうな、これも。俺一人だったら、下手するともう十年は立ち止まったかもしれない。うん。これは、いい機会だったんだ。お別れの」


 それでもいいんだ。


「結局俺はなんだかんだと理由をつけて、カゲロウ村から離れたくなかっただけなんだよな。ずっとここで暮らしていたい。イリスと離れたくない。ロウとも」


 これで。


「あぁでも、やっぱり駄目だ。二人を殺した大魔リヴァイス。奴をこの手で殺してやりたい。それ以上に――」


 少しでも気がまぎれるなら。


「あの日何もできなかった、自分の弱さが許せない。あの日俺とカゲリを逃がそうとしなければ、イリスは生きていたはずなんだ。俺がもっと強ければ……おまえは死なずに、いつかきっと大勢の人を救うことができたんだろう。もっと強ければ。強かったなら」


 墓は返事を返さない。


 もう七年も繰り返している。同じように。


 返事が返ってきてほしい。とどれだけ願ったのかも分からなかった。


 すると。


「ならおまえが、そのイリスさんの代わりになればいいじゃないですか。イリスさんが生かしたおまえが、代わりに大勢の人を助けるんです。そうすれば、イリスさんの犠牲は無駄じゃなくなる」


 後ろから可憐な声がした。


 振り返る。セラフィナがいた。その姿は暗闇に溶けて見えない。月明りがうっすらとその白髪に反射する。きらめいている。とてもきれいだ。


「セラフィナ」


「セラフィーでいいですよ」


 なんて言った後。隣に腰を下ろした。そして無言で両手を組む。目を閉じる。


「……ロウ様、イリス様。どうか安らかに」


 その姿は。


「あなた方が護り抜いた命、その想い、無駄にはいたしません」


 美しく。


「この者が再び立ち上がるその時まで、どうか見守っていてください」


 神聖で。


「――願わくば、光がその魂を導き、安らぎを与えんことを」


 聖女と呼ばれるに相応しい様相を呈していた。


 セラフィーは祈りを捧げ終わる。目を開いてこちらを一瞥する。


「レイといても退屈なので、こっち来ちゃいました。そうしたら案の定面白いことになっていますね。墓に話しかけるだなんて。傍から見ればすごく変ですよ、おまえは」


「……気になったんだけど、レイの何が駄目なんだ? 強くて、優しくて、その上イケメンで。欠点なんて何一つないじゃないか」


「そんな完璧超人、面白みがなくてつまらないです。一緒に旅をするなら、おまえのような人と一緒がよいのですよ」


「よく分かんねぇな」


「ドキドキして、ハラハラする。おまえとの旅は緊張感があって面白そうです。冒険には危険がつきもの。だというのにレイと一緒にいると何の危険もない。つまらない。戦いで負傷もしないし、サポートなんてせずとも敵を倒せるんですよ、彼。私いらないじゃないですか」


「……逆に俺はレイほど頼りないから、危険に満ちた面白い旅ができるって?」


「そうです。だんだん私についての理解が深まってきましたね。いい兆候ですよ」


 ものすごく反応に困る。


 確かに俺はレイに比べたら頼りないけどさぁ!


「で? まだ迷っているのですか? おまえは。早く決断しなさいな。おまえが着いてこないと面倒くさくなるのです。レイと一緒にいる時間がこれ以上長くなるのは嫌なのですが」


「分かってんよ。もうちょっと時間くれ。あと少しで決心できそうなんだ」


「……なら、一つ教えてあげましょうか」


 セラフィナは夜空を見上げた。星の瞬きが白髪に映えて、まるで髪そのものが光っているように見える。


「レイから大体の事情は聞いています。けれど――七年前にカゲロウ村で死んだのは、ロウさんとイリスさん、ですよね?」


「ああ」


「……おかしいんです。本当に」


 セラフィナは静かに墓へ視線を落とした。


「私には、人の魂の気配が分かります。死者はたいてい、自分の墓前や縁のある場所に留まっているものです。例外はありますけど」


「……それが?」


「ここにロウさんの魂はいます。ですが――イリスさんの魂は、感じられません」


 風が吹く。草木がざわめく。虫の音だけが響く夜の墓地。セラフィナの声はやけに鮮明に聞こえた。


「どういうことだ?」


「この世界では、人が亡くなると魂は肉体を離れ、やがて“帰る場所”を求めます。その場所が墓であることが多いのです。家族や仲間がその人を想って建てた場所……そこに、魂は惹かれる」


 神妙な表情。セラフィーは更に続ける。

 

「完全に成仏した魂は天へ昇りますが、そうでない魂は――しばらく墓のそばに留まる傾向があります。だから、墓参りという風習は単なる形ではありません。墓前に立つことは、その魂と直接向き合うことでもあるのです……けれど、ここにはロウさんの気配しかありません。イリスさんの魂は……いない」


「…………」


「つまり、イリスさんはまだ……死んでいないのではありませんか?」


 息を呑んだ。心臓が一瞬止まったような感覚があった。


「……セラフィー。本当か、それ」


「断言はできません。どこか別の場所で死んでいるのかもしれません。でも、生きている可能性はあります」


 俺は目を見開いてセラフィーの顔を凝視する。


「ずっと死んだって思ってたんだ。死体は、なかったけど。血がついた、この剣だけが、あって。七年間シノノメの森で戦ってた。その間には一度もイリスの死体は見つからなかった」


「なら、どこかに逃げた可能性もありますね。山を下りて、人里にまで逃げ込んだのかも」


「そうか。そう、なのか。確かにな。そうも考えられる、よな」


 不思議な気持ちだった。


 胸の奥に、燻っていた灰の中に火種が落ちたようだった。小さな火だが、確かに燃えている。


 このまま燻り続けるだけの人生はもう終わりにしよう。外へ出る。イリスを探す。生きているなら必ず見つけ出し、もし死んでいるのなら、その真実をこの目で確かめる。


 この時。俺の中に目的意識が芽生えた。行方不明のイリスを探すという新たな目的が。


 その前にまずは勇者選定大祭で優勝しなければならない。レイを打ち負かす。そしてイリスの代わりに人々を助ける。


 勇者としての役目を遂行。その果てに大魔リヴァイスを打倒するのだ。


 視界が開けたような気がした。


 同時に知る。自身の執着を。


 俺はイリスに執着していただけだったんだ。イリスの側にいたい。ずっと。イリスを殺した大魔リヴァイスを殺す。復讐するために。


 全部イリス絡み。


 笑えてくる。イリスが生きている可能性を知った。それだけのことで外へ出る決心をあっさりとする自分に。


「……セラフィー」


「なんです?」


「俺、行くよ。外の世界へ……いや、行かなきゃならねぇ。ロウさんのためにも、イリスのためにも」


 自分の口から自然とその言葉が出ていた。七年も足踏みしていたはずなのに、今は妙な軽さがあった。


 きっと、可能性がある――それだけで十分だった。


「いい顔をしています」


 セラフィーは微笑んだ。月明りがその横顔を白く縁取っている。


「見つかるといいですね、イリスさんが」


「……ああ」


 ロウの墓を振り返る。


 そこにきっと奴の魂があるのだろう。俺は全く感じないが。セラフィーの言い分を信じるのならば。


「ロウ。ありがとう。俺たちを逃がしてくれて。あんたのお陰で助かった。だから今度は、俺が助ける番だ。あんたみたいに、誰かを助ける。そのために生きていくよ」


 目を閉じる。セラフィーに倣って俺も祈る。ロウの魂の安息を。


 もう迷わない。明日カゲロウ村を出よう。


 

 

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