第32話 反撃

5月24日、火曜日。


朝教室に入るなり、いつもの嫌味が飛んできた。


「あっれー、彩里あいり、今日も来たの?」

「ほんと根性だけはあるよねー」

「ウッザー!」


もう慣れたつもりでいても、やはり傷つく。

楓恋たちの笑い声が昨日の出来事をフラッシュバックさせ、視界が歪みそうになる。


だけど、逃げたら何も変えられない。

いくら理不尽でも、戦わなければ潰される。


――――やるしかない。


私は拳を強く握ると、楓恋たちに近づいた。


「ねえ、もうやめて欲しんだけど」

「はあ?」


楓恋たちが眉を寄せる。


「今すぐやめないなら、全部学校に言う。そうしたら、あんたたち全員、停学になると思うよ。大学行けなくなるかもよ? それでもいい?」


強い口調で言い切った私の胸倉を、圭子が物凄い形相で掴んだ。

反動で私の身体が机に当たり、ガタン! と大きな音がして、クラス中の注目が集まる。


「何、いきなり漫画の主人公気分? 彩里のくせに、調子乗らないでくんない?」

「調子に乗ってるのは、あんたたちの方でしょ。悪口言ったり、教科書汚したり、暴力振るったり……それが正義だとでも思ってるの?」


私の言葉に、グループの中心にいた楓恋が一歩外に出て、


「そうよ。私たちは、クラスの害虫であるあなたを退治しようとしているだけ。これは奉仕活動なの。これだけ教えてあげてもわからないなんて……余程のおバカさんなのね」

「ふうん……そっかあ」


クスクスと私が笑い出す。


「ちょっと、何が可笑しいのよ!」

「うふふ、ねえ、これ見て?」


私は制服のポケットに手を入れ、取り出した物を見せつけた。


「教室に入ってから今までの会話全部、スマホに録音したから。完璧な自白も頂けたし、これを提出されたらヤバいんじゃないかな?」


場が凍り付く。

明らかに楓恋グループは動揺を見せている。


これは行ける――――と思ったのだが。


「ふざけんなテメエ!! そのスマホ貸せ!」


ずっと胸倉を掴んでいた圭子が、スマートフォンを持っている右手に掴みかかって来る――――はずだった。



しかし圭子の手は、突然現れた他の手に掴まれ、代わりに凛とした声が響いた。


「いい加減にしたら? あなたたちの負けよ」


ついさっき登校してきたらしい松井さんは、肩に学生鞄を掛けたままで圭子を睨む。

圭子は乱暴に松井さんの手を振り払うと、


「ちょっと何よ、松井、邪魔しないでくれる?!」

「さっきから聞いていれば……あなたたち、頭がおかしいんじゃないの?」

「はあ?! てか、あんた関係ないでしょ。……分かった! 校外学習の時、あんたを仲間外れにした復讐でもしてるのね! 陰険な奴!」

「あら、そんなこともあったわね」

「てか、松井も彩里も、ちょっといじめたくらいで騒がないでくれる? マジウザい!」

「いじめじゃないわ。あなたたちが彩里さんにしていることは、人権侵害、器物損壊、傷害――――立派な犯罪よ。いじめなんて生ぬるい言葉で片づけないでくれる?」


繰り広げられる口論を前に、私は酷く驚いていた――――いや、混乱していた。

今までずっと、クラスのことに無関心だった松井さんが、なぜこんな行動を取っているのか分からない。

私の味方をすることで、メリットでもあるのか? むしろデメリットの方が多い気がするんだけど……。


一通り思考した後で、私は我に返る。

そんなことより、早く松井さんを止めないとまずい。


「ちょっと松井さん、何してるの?! こんなことして、どうなるか……」


私が耳打ちすると、松井さんは微笑んだ。


「あら、あなただって助けてくれたじゃない」

「いや、そう言う問題じゃ――――」

「松井遥さん」


私の台詞を遮って、楓恋が強く声を発した。

不気味な笑みを浮かべながら、静かに遥の傍まで歩いて行き、


「忠告するわ。すぐに今の言動を詫びれば許してあげる。……それが出来ないなら、今日からあなたが彩里の代わりになってもらう」

「勝手にすれば良いわ。まあ、あなたたちのような低能共の相手なんて、する気はないけど」

「…………そう」


楓恋は唸るように言うと、私に花のような明るい笑顔を向けた。


「良かったわね、彩里! 特別に今までのことは忘れて、あなたを友達に戻してあげる! さあ、こっちに来て!」


優しく私の手を引く楓恋。その瞬間に生まれた私の感情は、最低なことに“安堵”だった。


そっか、やっと終わるんだ。苦しかった生活が、やっと終わる。

ターゲットは松井さんに代わって、私は前のように「可哀想に」「馬鹿だなあ」と後ろで傍観していればいい。前と変わらない、平穏な日常に戻るだけ。

何も問題ない。



…………

…………。

…………なんて、いくら自分を誤魔化そうとしても無理だよね。


本当は分かってるよ。自分と同じことをされる松井さんを見て、「可哀想に」「馬鹿だなあ」なんて思える? 無理でしょ。

こんなクソ共の顔色を覗って、「何かやらかしたら、また私が……」なんて思いながら、怯えて暮らすの?



そんなの、






ふざけるな。







私は楓恋の手を払うと、言った。


「戻らなくていいや、友達」

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