魔王の出した条件

 夜市の熱気が夢のように遠のいた朝。
 エバリアの枕元に、一通の封書が置かれていた。

 ──漆黒の封蝋。魔界の王印。


「はい来た。知ってたけどね♡」


 エバリアはむくりと身を起こし、封を眺めた。
昨夜の配信が終わる頃には、もう心のどこかで予想していた結末だ。

 上層部の審議では結論が出ず、最終判断は魔王に委ねられる——


 その場にいたエバリア自身も、それをちゃんと見ていた。聞いていた。
だからこの“召喚”は、突然の通告でも何でもない。

 くるべくして、きたもの。


「……ついに、ラスボスのお出ましってわけね」


 冗談めかした口調の裏で、エバリアの赤い瞳はわずかに鋭さを宿す。逃げる気も、すっとぼけるつもりもない。自分が選んだ方法が、魔界でどんな意味を持つか——そのくらい、わかっている。

 これは、最後のジャッジ。


「だったら、ちゃんと受け取ってやるわよ」


 彼女はゆっくりと立ち上がり、黒い封書を派手な指先で弾いた。


 ◇◇◇


 魔界の空は、朝になっても濁った紫のままだった。
常にどこかで火山が煙を上げ、谷底では無数の魔獣が蠢いている。
鉛のような空気の中を、エバリアは飄々と歩いていた。

 王宮へと続く“断罪街道”——
 

 名の通り、ここを歩く者の多くは、裁かれる側だ。
道の両脇には、過去の罪人の影が石に刻まれ、今も時折呻きを漏らす。けれど、彼女の足取りは重くない。
むしろ、軽く鼻歌でも歌い出しそうなほどだった。


「この道、趣味悪いのよね〜。全然バエる気がしないわ」


 道端に立ち並ぶ枯れ木に向けて、気怠げにひとりごちる。

 黒と灰に沈む風景の中、エバリアの姿はまるで異物だった。
極彩色の髪に、ネオンピンクとイエローの魔紋が浮かぶ白いボディスーツ。
まるでこの世界にだけ“彩度”という概念を持ち込んだかのように、周囲の空気を撹拌している。浮いている、のではない。浮かせている。
彼女の意志で、この重苦しい世界に“色”を押し込んでいる。


 前回に続き、前夜の配信も魔界全土に波紋を広げた。
人間界の価値を、タベルの食いっぷりを通して伝えたあの時間は、ただの“賑やかし”じゃなかった。

 魔界の若い世代や下層の魔族たちの反応——“フォロー”“共有”“共感”の嵐。
半分は想定済み、もう半分は想像以上。
エバリアは確かな手応えを感じていた。


「数字は嘘をつかない。さあ、魔王様。どう出るのか♡」


 思い返すだけで、足取りが軽くなる。
味気ない枯れ木の通りを抜けると、王宮が視界に入った。

 巨大な黒曜石の柱が天を突き、城門には“眼”を模した彫刻が睨みを利かせている。
 見る者の本性を見抜く“真眼”の門——そこを通る時、人はひとつ仮面を剥がされる。

 だが、エバリアはその視線すら撫でるように通り過ぎた。


 漆黒の鎧に身を包んだ門番たちが一斉に頭を垂れる。
本来ならば、“敵との接触”“戦乱の扇動”“王命無視”と三重の罪で即拘束されてもおかしくない。


 だが——

 彼女が手にしている“数字”と、“民意”が、それを許さない。
今、彼女は処罰されるよりも、注視される側になっていた。黒と紫の中に、たったひとつの鮮やかさ。
それがエバリアという存在だった。


「さーて、魔王様のお宅拝見♡」


 王宮の中は、静寂に包まれていた。しかし、それは無人の静けさではない。
重厚な石の回廊には、鎧を着込んだ近衛たちが所々に立ち、沈黙の中にも緊張が走っている。
彼らは目を合わせることもなく、ただ淡々と職務を全うしていた。


 エバリアの足音が、その静けさを切り裂く。
ヒールが石畳を叩くたび、わずかに反響し、天井の高みに吸い込まれていく。
それはまるで、異物の侵入を王宮自体が受け入れきれず、共鳴しているかのようだった。


 そしてその歩みが、やがて玉座の間の扉へと辿り着く。

 漆黒の大扉の前には、二体の門番が立っていた。全身を覆う重装の鎧。顔は仮面に隠され、その瞳だけがわずかに赤く光っている。


「エバリア。貴殿に、玉座の間への入室が許されている」

 無機質な声で、片方が告げる。

「へえ、光栄ね。写真撮ってもいいかしら?」


 エバリアが冗談めかして指を鳴らすと、門番は微動だにしなかった。
沈黙が、許可でも拒絶でもなく、ただ“職務の継続”としてそこにある。


「……なんてね。ちゃんと真面目に行くわよ」


 彼女が一歩進むと、門番たちは無言のまま、ゆっくりと左右に分かれる。
重厚な扉が、軋むような音を立てながら開かれていく。


 玉座の間は、静寂の中に異質な圧を孕んでいた。
黒曜石と骨で築かれた空間。天井まで届く柱には、過去の“王命”を刻んだ封印の鎖が巻き付いている。
壁に灯る青白い焔は、風もないのに揺らいでいた。


 玉座の上——そこに、“魔王”はいた。

 年齢不詳の女。
 肌はまるで磨かれた陶器のように滑らかで、黒曜のドレスと一体化するかのような漆黒の髪が、静かに垂れていた。目を奪うのはその瞳——狐のように細く、蛇のように冷たい。


 ひとたび視線が交われば、心の中の「嘘」だけが浮かび上がるような錯覚に陥る。

 まつげは長く、唇は彩度の低い朱。彫刻のように整った顔立ちには、かすかに笑みが浮かんでいる。美しさと残酷さ、その両方を含んだ顔——まさに“威圧する美”。


 黒曜石と白骨で飾られた玉座に座る彼女は、まるで大理石に魂だけが宿った存在のようだった。
 風もないのに揺れる裾、見る者に語りかけるような金の装飾。それらすべてが、「生きている」と「死んでいる」の境界を曖昧にしていた。


 この女が——魔王。

“暴力の時代”を終わらせ、言葉と視線だけで魔界を黙らせた女。

 その美は、まるで刃。見る者の正気を、じわじわと削いでいく。


 エバリアは歩を止め、わざと軽く礼をする。深々とではない。舞台に上がる前のアイドルのように、軽やかに。


「おはようございます、魔王陛下♡ エバリア参りました〜」


 返答は、静かに落ちてくる。深く、冷たく、乾いた声——

「……前回に引き続き、今回の件。あれは貴様なりの意思表明と見たが、そうか?」

 エバリアは即答しない。唇を軽く噛んで、すぐに片目だけでウィンクする。

「そう受け取っていただけたなら、嬉しいです♡ あくまで、解釈は視聴者にお任せってことで」

「ふむ」


 魔王はゆるやかに顎に手を添えた。


 その所作に浮ついたところは一切なかった。まるで一千年物の書籍を検分するように、無表情に、無慈悲にエバリアを見下ろす。


「王宮内では、貴様の行動は三重の禁忌に触れたと報告されている。敵との接触、戦乱の扇動、王命の無視——どれを取っても、重罪に値する」


 声音は変わらず静かだ。だが、そこには乾いた刃のような無慈悲さが張り付いている。
執行者の宣告。それは論理であり、情ではない。


「“最近の配信”とやら。上層の古き者たちは、それを“秩序への反逆”と断じた。……かつて血で築かれたこの王国の価値を、貴様が愚弄したとな」

「まあ、嘲笑ったのは事実ですけどね♡」


 エバリアは無邪気に笑い、肩をすくめる。飾らない。媚びない。むしろ挑発するような軽さだった。


「この国の“伝統”があまりにもダサくて、つい……ね? 時代の流れってやつ?」


 静寂が落ちた。

 玉座の間の空気が、氷点下の深層へと沈んでいくような感覚。

「軽口のつもりか、それとも覚悟のない言葉か……」

 魔王の声がわずかに低くなる。だが怒りではない。

 その眼差しは変わらず静かで、まるで“切れる刃かどうか”を確かめる職人のようだった。


「我は、魔界の均衡を守る者。血を流すより、冷たい均衡の方がまだましだと考える者だ。……だが、時にそれも脆い。民に分断をもたらす者は、例外なく粛清の対象となる」


 言葉が刃となって、目の前に突きつけられる。
それは警告ではなく、現実の提示だった。それでも、エバリアの笑みは揺らがない。むしろ、目元がほんの少しだけ——楽しげに、ゆるむ。


「へえ。じゃあ、民が分断じゃなくて“熱狂”してたら、どうなるんでしょうね?」


 魔王の眉が、ほんのわずかに動く。微細な変化。それをエバリアは、確実に捉える。目の奥でにやりと笑った。


「“数字”、見てませんか? 昨日の夜市配信のコメント欄。魔界の若い子たち中心に、大多数がめっちゃ“熱狂”してましたけど?」


 沈黙。
それは静かだが、重い。次の一言に、何かが乗る予感。


「……我が知らぬとでも?」

 魔王の声に、初めて温度が混じった。
嘲るような、しかし確かに関心を滲ませた響き。


「上層が怒り狂う一方で、下層や若年層が狂喜していることもまた、我は把握している。……それも、“記録”としてな」


 その瞬間、玉座の横に魔法式が浮かぶ。
空中に展開された光のパネル——“フォロー数”“共有数”“再生数”——それは民意の視覚化。
もはやこの魔王にとって、「数字」はただの記録ではなく、王権の一部だった。


「我は王である。意志ではなく、秩序の象徴だ。よって——貴様の行動を即座に否定も肯定もしない。だが、それが“民意”によるものならば、別だ」


 魔王の姿勢が、ほんの僅かに前傾する。
その変化は大きな意味を持つ。“判断”の態勢——それが、整った。


「それが“過ち”か“正解”か。今、その答えを出す時ではない」

 ゆっくりと、手が挙がる。

「判断材料として、ひとつ、機会を与えよう」


 そして、再び光が浮かぶ。今度は、条件を記す文字が、はっきりと。


「一ヶ月以内に、魔界人口の半数以上から支持を得よ。すなわち、貴様の“アカウント”にフォローを集めるのだ。数で貴様の“正解”を示せ」


 エバリアはまばたきを一度だけした。
その目が数字を捉え、脳が計算を始めた。


「……十億」

 その一言に、魔王は頷きさえしない。ただ言葉を継ぐ。


「成せば、貴様の行動を“時代の正解”と認める。成せなければ、“反逆の証拠”として処理する」

 そこに情はない。確かな冷徹。統治者の刃。


「加えて人間界へ即座に総攻撃を開始する。曖昧な思想は、焼き払ったほうが健全だと、私は知っている」


 沈黙が落ちる。

 魔界の半数——


 その響きが、鼓膜ではなく胸の奥で反響していた。

 エバリアは瞬き一つせず、ただ、立ったまま動かない。

 魔王の提示は明快だった。
情も余地もない。けれど、それは残酷さゆえではない。
 これが“王”という存在の本質だ。意志でなく、象徴。冷たい均衡を守る者。


 ……でも。数十億という単位。民意という重さ。背負えば折れる者もいるだろう。
 だが、自分はどうだ?

 そもそも、バズらせてなんぼの存在だったはずだ。
フォロワー、コメント、数字。
 それなら——全部自分の土俵じゃないか。
これは賭けじゃ無い。ただ今まで通りやればいい。それだけのこと。


 エバリアはゆっくりと口角を上げた。
頬に力を入れ、あえて軽薄なトーンで——けれど、確かな強さを込めて。


「全魔界の半分、了解で〜す♡」


 魔王はもう応えなかった。
ふたたび沈黙が玉座を包む。だがその空気は、先ほどとは違う質感を帯びていた。

 エバリアは踵を返す。足取りはいつも通り、むしろ少し軽くすらあった。だが、その背に漂う緊張は、彼女にとって久々に“本気を出す理由”となっていた。


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