突撃!今夜の晩御飯

 タベルの部屋。
湯けむりと怒声の名残を引きずった空気が、まだ薄く残っていた。



「まったく……なにが“たまたま”よ……絶対わざとでしょ……しかもあんたたち誰一人止めないし……はぁ? 私だけが正気だったじゃないの……」


 ニリエルのぼやきが、座卓をぐるぐると旋回する。
 茶碗と急須が並ぶ静かな卓上に、彼女の声だけがやたらうるさかった。


「もう胃が痛いわ……ほんと、なんで私がこんな目に……」


 そのとき、ぽつりとアルネがつぶやいた。

「……だったら帰るがいいネ。なんでまだいるネ」

 声色は淡々。だが、確実に刺すタイプのイヤミだった。


 ニリエルの口が、半開きのまま固まる。

 そんな彼女の姿を一瞥すると、アルネは静かにお茶を啜った。


 タベルは何も言わなかった。
言う必要もなかった。

 周りの騒がしさを遮るように、静かに目を瞑る。

 一度関わってしまえば、また温泉騒動の繰り返しの予感しかしない。


 余計なものは切り捨てる。今必要なのは、静寂と、料理。
そこに騒音はいらない。余計な感情も邪魔だ。

 それよりも、大事なのは、目の前に来る「その一皿」。

 すでに彼の意識は、視線の先、まだ見ぬ料理へと向かっていた。


 そんなタイミングで。

 コン、コン。

 控えめに襖をノックする音。


「あ、料理が来たネ!」

 三人の熱い視線が集中する中、戸が勢いよく横に開かれた。

 スパーン。


「おまたせしました〜♡ こちら当旅館特製の『火山懐石』になりますぅ〜♡」


 現れたのは、湯上がり浴衣姿のエバリアだった。袖口から覗く派手なネイル。両手に盆を抱えて、にっこにこ。


「おい……なんでお前が来るんだよ」

 タベルの声は低く、しかし本気の問いだった。

「だって〜♡ 本番はこれからなんだから♡」


 エバリアは足音も華やかに部屋へと滑り込み、テーブルに料理の盆を置いた。

「は〜い! 本日のお品書きはですね〜、こちらっ♡」


 ぱん、と音を立てて盆の上の蓋を開ける。

 ──現れたのは、異世界懐石。

 湯気を立てる岩塩蒸しの白身魚。

 色とりどりの山菜と果物をあしらった一皿。木の実の香ばしい香りが立ちのぼる焼き物。
そして真ん中には、炊きたての麦入り白米。


 見た目こそ質素だが、細かい技が光るバランスのとれた内容だった。


 全てを無視して料理に集中する。

 タベルは髪をすくい上げると、後ろで手早くまとめた。

 彼なりに食を真剣に味わういつものスタイルだ。


「じゃ、いただくぜ」


 タベルが食器に手をかけた瞬間、状況は崩れた。


「はい♡ あ〜ん♡」


“にゅっ”と伸びてくる手は、派手なネイルで彩られ、妙に入念に整えられている。
 手の持ち主──エバリアはというと、無駄に谷間を強調した姿で、タベルの隣にぴたりと張り付いていた。
 しかも満面の笑み。これはもう満点の迷惑である。


「……そういうの、いいから」

 タベルは言った。エバリアの“あ〜ん”の音にかぶせるように。
彼の語尾には“これ以上やったら、割と本気で怒るぞ”という静かな火種が込められていたが──


「え〜〜、ノリ悪い〜♡ もう、最近の男子って、ちょっと奥手すぎない?」

 その言葉がニリエルの逆鱗に触れた。

「破廉恥! 破廉恥!! こんなに破廉恥な食事シーン、見たことない! ていうか浴衣ってなんなの!? 風呂のあとにそれ着て、なぜフルメイク!?」

「……だってこれ生配信中だし♡」

「ちょっと!? は!?」

「ちなみに、さっきの温泉の様子も生配信♡」

「何考えてんのよーーーーーー!!」


 一方その頃、アルネは一歩引いた位置から冷静に状況を見ていた。
盆に乗った料理が傾きかけているのを見て、そっと角度を戻しながら、ぽつりと呟く。

「……イライラは良くないネ。食事が、不味くなるネ」


 ニリエルの頭上で、ぱちぱちと静電気が走った。
その気になれば雷撃を放てる女神らしいが、幸いにもまだ理性は保たれていた。

 エバリアはというと、タベルの左腕にぴったり張りついたまま、どこか得意げだ。


「てか、あれでしょ? こういうのって、ハーレム枠だよね? 二人に愛されて困っちゃう俺、みたいな。異世界テンプレってやつ?」

「“困っちゃう俺”じゃなくて、今リアルに困ってるわよ! 私が!」

「いいじゃん♡ 人気出ればなんでもアリアリ〜」

「もうこれどうなっちゃうのよ!!」


 タベルは食の世界に入りかけたところで、無慈悲にも現実に引き戻されていた。
 騒がしい。ひたすらに、騒がしい。静かに食うという選択肢は、どうやらこの場には存在しない。


 ──飯が、不味くなる。


 タベルは湯呑みを手に取った。

 茶の渋みが、さっきよりもずいぶんトゲトゲしく感じる。
味覚は正直だ。喧騒は、味を殺す。

 それは単なる比喩ではなかった。


「……飯ぐらい静かに食わせてくれ……」

 ぽつりと、言葉がこぼれた。
それを聞いた者がいるのかいないのか、議論は“どの食材が勇者向きか”という方向に脱線しはじめていた。


 ──これは、もうダメだな。

 タベルはお盆を手に取ると、無言で立ち上がった。
誰も止めなかった。止めるほどの余裕は、たぶんなかった。

 障子をすっと開け、廊下に出る。
足音を殺して進み、やがて中庭の見える縁側に腰を下ろす。


 夜の風がふっと通り抜けた。火山の町特有の湿った硫黄と、遠くの鍛冶炉の音。
 そこだけが、別の世界のように静かだった。

 いや、本来これが現実。


「いただきます」

 ぽつりと呟いて、器の蓋を取る。立ちのぼる湯気。鼻孔をくすぐるのは、炊きたての麦飯と岩塩に包まれた白身魚の香りだ。食欲というより、正気を取り戻す匂いだった。


 フォークをとる。まずは──蒸し魚。岩塩で包み焼きにされた白身が、しっとりと艶を帯びている。
身をほぐし、ひと欠片。舌にのせた瞬間、繊維がほろりとほどけた。


 噛むまでもなく、塩気と旨味が一斉に解き放たれる。尖りがない。なのに輪郭はくっきりしている。

 ──ああ、これは。
「ちゃんと火を通した、ちゃんとした仕事」の味だ。焼きすぎないことで、魚の奥にある“水”の部分が生きてる。

 噛む。いや、あえて噛んでみる。咀嚼という行為に、無意味さと快感が同居していた。
ごくんと飲み込む。


 口の中の余韻が、そのまま喉をすり抜けて、胃の奥にじんわりと沈んでいく。

 ──これはもう、白米を呼んでいる。


「こっちも旨そうだ」


 茶碗を手に取る。


 麦入りの白米は、見た目こそ素朴だが、粒の立ち方が違う。ひと口。


 やや固めの炊き加減。芯がある。麦のぷちぷちした食感がリズムを生み、舌に残った塩気と絶妙に溶け合っていく。
甘い。香ばしい。噛むたびに、口の中に地層のように味が重なっていく。


 ──ようやく、“味”が戻ってきた。

 そのとき。背後から、ふいに誰かの気配がする。静かな、でも確かに“ひょっこり”とした存在感。


「……なんでここで食べてるんですか?」

 女将だった。
笑っていた。というか、すべてを察した大人の顔で、肩をすくめていた。


「ここが一番落ち着く場所なんで」

「……ごゆっくり」

 そう言い残して、音もなく立ち去る。


 その背中に向かってタベルは一礼をしてから、もう一度、白米に手を伸ばした。

 ──静かで、あたたかくて、誰も騒いでいない。


 これだけで十分、俺の勝ちだ。


 ◇◇◇


 タベルが最後の麦ごはんをひと口、静かに飲み込んだときだった。


 廊下の向こう、足音が一つ。廊下の先から、アルネが現れた。


「──あいつら、やっと帰ったネ」


 湯けむりのような声で、そう言う。


 どうやら騒がしい宴は、ようやく幕を閉じたらしい。タベルは湯呑みを置き、黙ってうなずく。

 二人はそのまま、並んで座る。
中庭には小さな池と、控えめな石灯籠。風の音に、ほんのりと湯の匂いが混ざっていた。


「静かだな」


「うん、ようやくネ」


 アルネはそう言って、目を細めた。


 まるで味のしない静寂を、噛みしめるように。


「……刀、どうなったかな」


 タベルがぽつりと呟いた。
視線の先は、静かに灯る灯篭。けれど、その奥にある鉄と炎の町を思い浮かべていた。


「たぶん、今日か明日には仕上がる頃ネ。あの親方なら速そうネ」


「そっか」


「明日、見に行くネ?」


「ああ」


 タベルは短く返す。

 湯気と喧騒の余韻だけが、どこか遠くでまだ燻っている気がした。


けれどこの一瞬は、静かだった。


 晩飯を食べ終えた人間にだけ許される、穏やかな夜の静けさだった。

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