名物・溶岩石ハンバーグ
石畳に熱気が染み込んだような坂道を抜けた先、その建物はまるで溶岩流が固まってできた巨岩の塊のように佇んでいた。
『火山亭』。 黒光りする金属製の重厚な扉。その表面には、荒々しくも繊細な唐草模様。細部まで彫り込まれたその姿に、職人の執念を感じる。
木製の取っ手部分に浮かぶ飴色の艶が、この店の歴史を静かに語っていた。
「意外と高級そうな店ネ」
そう言うも、アルネはためらいなく重そうな扉を押し開ける。
金を払うのは俺だ。
ゴゴ……という音と共に、鉄の軋みが店内の空気を切り裂いた。
途端、濃密な肉の匂いが一気に鼻腔を満たす。炙られた脂、焦げ目の香ばしさ、鉄板の熱に焦げた甘いタレの匂い。思わず、胃袋がぐぅと訴えた。
「おぉっ」
中は、外観からは想像もつかないほど落ち着いた空間だった。
壁は火山灰を混ぜたような灰黒色の左官仕上げで、ところどころに赤銅の装飾。天井から吊るされたランプシェードは溶岩のような深紅で、ゆらりと揺れる灯りが店内に柔らかい影を落とす。
ワイルドな木製のテーブルには鉄製の脚。座面は厚めの革張りで、どの席にも壁側に火山石のプレートが埋め込まれているらしい。熱を溜め込む仕掛けなのだろうか、ほんのりと暖かい。
随所にさりげないこだわりを感じる。
「この店は期待できるぜ」
客層はまばらで、いかにも職人風の男たちが無言で黙々とナイフを動かし、片隅ではドワーフの家族連れが賑やかに、だが静かに皿を囲んでいる。
店の奥――鉄板の調理場では、煙と共にジュウジュウと音を立てながら何かが焼かれていた。爆ぜた油が光の粒のように跳ね、店の熱気に拍車をかける。
タベルは案内されるまま席に着き、差し出された一枚のメニューに目を通す。黒革の表紙に銀のエンボス。めくった最初のページ、最上段にその名はあった。
『名物・溶岩石ハンバーグ』
まるで果し合いの手紙のように、その文字だけがデカデカと赤く縁取られている。 タベルは、それ以上ページをめくるまでもなく、即決した。
「これを二つくれ」
店員のドワーフはメニューを受け取ると、恭しく頭を下げた。
「……なんかもっと豪快で雑な店かと思ってたんだが」
店員の背中を見送りながら、タベルがポツリと呟く。親方の荒っぽい手つきや、作業場の喧騒から連想されるのは、もっと鉄鍋を叩くような騒がしい食堂だった。
だがここは静かで、秩序がある。
むしろ、背筋を伸ばしてしまう空気だ。
「あの親方、見た目と違って意外とオシャレネ」
アルネは袖で口元を隠し、クスリと笑った。
店内にはゆっくりとした時間が流れていた。ランプの灯りがテーブルを柔らかく照らし、奥の調理場からは変わらずジュウ、と静かな音が断続的に響いている。焦げた肉の香ばしさが、鼻先にかすかに届く。
隣の席では、年季の入った革の手袋を外したドワーフが、黙々とグラスを傾けている。グラスの中は濃い琥珀色。彼が運ばれてきた皿を一瞥し、何の感情も見せずにナイフを入れる。そこから溢れたチーズのようなものに、ほんの少しだけ、眉が動いたようにも見えた。
「タベル。なんかそわそわするアル」
「……ああ。確かに」
ふたりのテーブルにはまだ何も運ばれてこない。だが、空腹の焦れよりも、どんなものが来るのかという期待の方が上回っていた。
「溶岩石ハンバーグ、か……。名前だけで言えば、破壊力は満点なんだが」
「もしかしたら……中から火でも吹くかもしれないネ」
アルネはふざけるように口にするが、目だけはほんの少しだけ真剣だった。
タベルはふっと笑い、小さく肩をすくめた。
「ま、腹が焼かれるなら焼かれてみるか。どうせなら、うまく焼けててほしいもんだ」
鉄板の焦げる音が一段と鋭さを増したかと思うと、それはやってきた。
「お待たせしました、『溶岩石ハンバーグ』。二つです」
店員が両手で抱えるように運んできたのは、分厚い岩板の上に乗った鉄皿。その上に、どっしりと構える丸いハンバーグが一つ。まるで小さな火山のように、中央がわずかに盛り上がっている。
ゴトン、と重い音を立てて置かれた瞬間、皿の底からはシュウウウ……と白い湯気が立ち上った。鉄板はまだしっかりと熱を保っており、皿全体がうっすらと震えている。 肉の端からは、じわじわと焦げ目が広がっていく。
香ばしい煙が立ち上り、鼻をかすめた瞬間、タベルの胃袋が反射的に反応した。
視線を落とす。
その一皿は、見る者を試すような迫力を放っていた。
厚みのある肉塊は、もはやハンバーグというより塊肉に近い。表面はきっちりと焼かれ、絶妙な焼き色がついている。 だが、真ん中にはほんのわずかな膨らみ――そこから何かが潜んでいる予感が漂っていた。
それは、ただの料理ではない。 まるで「開けてみろ」と挑んでくる爆弾のように思えた。
「……っふふ」
思わず、鼻先で笑う。 こういうのが、いちばん楽しい。
まさに食べてからのお楽しみってやつだ。
タベルは艶やかな黒髪を手早く後ろでまとめる。
それは彼にとって、食と向き合うための“準備”。儀式。心を鎮め、舌を研ぎ澄ます合図。
そして、ナイフとフォークを手に取った。 手元に感じる鉄板の熱が、灼熱のアスファルトのように伝わる。
「いただきます」
息をひとつ吸い込み、ナイフを肉塊の中央へ――慎重に切れ目を入れる。
――その瞬間。
ぶしゅ、と音を立てて飛び出した蒸気。
そこからどろっと流れ出すオレンジ色。いや、赤色に近い。
まるで溶岩だ。
たちどころに充満する芳醇な香りと、鼻腔を刺すスパイシーな刺激。 例えるならそれは、濃厚なチェダーチーズに混ざる赤い粒――唐辛子。 旨味と暴力の境界を無視して流れ出す、チーズとスパイスの奔流だった。
「……マジか」
思わず声が漏れた。
こんなの絶対に旨いに決まっている。
これは完全に“罠”だ。だが、避けようと思う気すら起きない。
むしろ飛び込みたくなるような、そんな香り。
タベルはひと口、ナイフで断ち切った部分を口へ運んだ。
――熱さで舌が焼けるような感覚。 いや、違う。これは辛さだ。
舌に触れた瞬間、細胞一つひとつが跳ね起きるような感覚。暴力的な濃い刺激。 口内に火柱が立つ。目の奥がジン、と熱を帯びる。
「あっつ!」
舌の上に小さな地獄を抱えたまま、タベルは咀嚼を続ける。
するとどうだ。溢れ出す肉汁。繊維を噛みしめるたびに、深みのある旨味が染み出してくる。ただ辛いだけじゃない。 痛みのあとにくるこの旨さが、すべてを赦してくる。
そして、オレンジ色の濃い物体。
それはクリーミーでコクのあるチーズのようなものだった。辛味と肉の旨味をまろやかに包み込み、喉の奥まで滑らせる。まるで、自ら火を運ぶ溶岩の流れのように。
「……旨い」
辛さで目が潤む。鼻が通る。額から、こめかみから、汗が噴き出す。 体の芯から熱が湧いてくるような錯覚。
辛い。それでも、もう一度。もうひと口。
食べるたびに、味の奥行きが変わる。
はじめは辛さの壁。
次に肉の甘みとクリーミーなコク。
最後に、香辛料の複雑な刺激が尾を引く。
「これは……見た目以上に繊細な料理だな」
「あっつ、かっら……でも、うまいネ!」
横でアルネが水を手にしながらも、笑っている。
口元は辛さで少し震えているが、目は満足そうだった。
「親方、あれ分かってて言ったネ……!」
タベルは肩を震わせて笑った。
あの含み笑いの意味が、ようやく完全に腹に落ちる。ただの“オススメ”じゃない。 “食で語れ”という、職人なりの挑戦だったのだろう。それともただのイタズラ心か――真意はわからない。
「……まったく、やってくれるぜ」
汗をぬぐいながらナイフを再び構える。辛さの先にある、旨さ。
それを求めて二人は手を動かし続けた。
最後のひと口を嚙みしめ、飲み込み、静かに息を吐く。
そのまま炎が出るんじゃないかというほどの余韻。
「あー……しみた……」
火照る腹を軽くさすりながら、背もたれに身を預ける。
胃の奥に残る熱さも、今はどこか心地いい。
舌の裏から喉元にかけてじわじわと燃えるような熱。胃の奥には、火山がひとつ落ちてきたような重量感と満足感。 額を伝う汗をぬぐいながら、タベルはふっと笑った。
「……してやられたな」
「堅物そうな顔して、けっこう粋なことするネ」
アルネも口の端を上げる。彼女もすっかり汗まみれだ。
涼しげな顔をしていても、首筋にはしっかり火照りが残っている。
「……にしても、汗かいたな」
「タベルの顔、真っ赤ネ」
タベルは袖でぬぐった額の汗を見て、小さくうなった。
身体の芯から熱を抱えたまま、席を立つ。
「風呂、入りてぇな……できれば、ちゃんと湯に浸かれるとこで」
「鍛冶屋の親方、たしか温泉もあるって言ってたネ」
「きっとそれも想定済みだったんだろう……」
であればそれに乗るべきだ。 タベルはグッと拳を握る。
「今日はもう、このまま温泉のある宿に泊まろうぜ。汗流して、飯の余韻と一緒にくつろぐんだ」
「それ、最高ネ!」
ふたりは顔を見合わせ、軽く笑った。
熱を帯びた身体に、湯けむりの未来を思い描きながら――『火山亭』を後にした。
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