守りたい味との葛藤

 タベルたちは、新たな街にたどり着いていた。


「──“勇者が二番目に訪れる街、ソイベル”。らしいネ」


 アルネが横からぬっと顔を出し、タベルの手元の地図を覗き込む。

 文字は妙に大きく、しかも赤字だった。どこか必死な感じで“推して”いる。


「ま、後にしよう」

 タベルはその一言でマップを閉じ、くしゃりとたたんでポケットにねじ込んだ。
 そういう性格だった。言ってしまえば、何かを最短で解決しようという気はない。

 それよりも飯だ。
 寄り道こそ旅の本質──みたいな顔をしている。


 街は、石造りで少し発展した中規模都市といった風情だった。
小さな市場には香辛料の匂いが漂い、建物の屋根は灰色の瓦で統一されている。


「この前の村に比べたらなかなかの都会だな」

「食事する場所も多いネ」

人々は忙しそうに歩きながらも、すれ違うたびにほんのわずかだけ目を細める。
旅人に慣れている、というより“諦めている”という感じの優しさだった。


「ここなんかどうネ?」

 アルネが言ったのは、街の一角にぽつんと建つ食堂だった。


 瓦の色あせたひさし。手入れはされているが、どこか時間の止まったような木の看板。
昼を過ぎた時刻にもかかわらず、店の前には行列も賑わいもない。

 だが、ほのかに醸し出される温かみをタベルは感じ取った。


「……良さそうだな。ここにしよう」

 タベルはそう言って、扉を押した。

 軋んだが店内に響き渡る。
席は二十ほど。埋まっているのはそのうちの六か七。
 客の顔ぶれは年配者が多く、誰もが黙ってスプーンを動かしていた。


 だが、タベルとアルネが入ってきた瞬間、空気に目に見えない波紋が走った。

 会話は続いていたが、音量がほんの少し下がり、視線だけがこちらをちらりと伺ってくる。

 ほんの少しだけ空気が変わった気がした。

 タベルは、その視線を無視して、席に着く。

 
「どれどれ……」

 メニューを見て、呟くように言う。
その声には、微かな期待と、いつものように、腹が減っている感じが滲んでいた。


「いらっしゃい」


 厨房の奥から、少し遅れて声がした。


 姿を現したのは、白いエプロンを身につけた青年だった。
目の下に疲れの滲む顔つきで、笑みは一応、形になっている――が、心までは届いていない。


「おすすめは?」

タベルの問いかけに、青年の視線がふと店内を横切った。ちら、と。
まるで反射のように、いくつかの常連客と視線が交差する。


 すると、見られた方も少しだけ表情を曇らせ、何でもない風を装ってスプーンを口に運ぶ。
会話がひとつ、自然と切れた。


「……星喰米ほしぐいまいを使ったグラタンです。うちの……名物で」


 青年は、少しだけ言葉を噛んでから答えた。

 その口ぶりには“昔は、という前提”が透けていた。

 本人が最もそれをわかっていて、けれど、それしか言えないようだった。

 アルネと顔を見合わせて、タベルはうなずく。


「それで。二つ頼む」

 沈黙が戻る。

 青年が厨房に引っ込むと、店内の空気はようやく息を吐いた。
しかし、何かが戻ったというより、ただ張りつめていたものが沈殿したようだった。


 タベルは、肘をついて窓の外を眺めた。
陽射しは淡く、通りを行く人々の足取りは軽い。
 けれど、この店の中だけ、ほんの少し季節が遅れているように感じられた。


 ──数分後。

 テーブルに置かれた陶器の器には、まだパチパチと焼ける音が残っていた。


 こんがりと焼けた表面には薄い焦げ目が浮かび、立ちのぼる香ばしさは決して悪くない。
ただ、それだけで、料理の全容は見えてこない。


「これはどういう料理なんだ?」

 タベルが問いかけると、店主の青年――ラヴィオは、やや緊張した面持ちで答えた。


「星喰米をベースにした焼きドリアです。うちの母がよく作っていたもので……」

 その言い方には、どこか“他人事”のような響きがあった。
語尾の揺らぎは、まるで自分でも自信を持てていないことを証明しているようだった。


「そうか」

 タベル素っ気なく返し、スプーンを手に取る。
ゆっくりと器に差し入れ、ひとすくい。
そして、そのまま口へと運ぶ。

 ひと噛み。ふた噛み。

 沈黙。

 タベルは、スプーンを静かに皿へと戻した。

 小さく「カチン」と響いた音が、店内の空気をわずかに震わせる。


「……まずいな」


 空気が、音を立てて凍った。

 三分の一ほどしか埋まっていない店内の客たちの視線が、一斉に集まる。全員が何かを言いかけたように、しかし飲み込んだように、ただ静かに動きを止めた。


 ラヴィオは動かない。もしくは、動けない。


 アルネはスプーンを手にしたまま、軽く眉を上げた。
だがそれ以上は何も言わず、タベルと同じようにスプーンを皿に戻した。


「……正直すぎアル、タベル。でも……ワタシもなんか期待外れだったネ」


 かすかに諫めるような口調だったが、その声もまた、すぐにしぼんだ。


 タベルは、何も答えない。ただ黙って、爪楊枝をくわえ、窓の方へと視線を移していた。

 その視線の先にあったのは、店の外で揺れている旗。かつては“名物料理”の象徴だったであろう赤い布が、風に吹かれて色褪せていた。


 ◇◇◇


 店を出て、通りをいくつか曲がったところで、後ろから駆け寄る足音がした。
リズムが急ぎ足で、でも転びそうなほどの速さではない。
タベルが足を止めて振り返ると、息を切らした若い女性が、手を握りしめながら近づいてきた。


「……待ってください!」


 彼女は少し肩で息をしながら、まっすぐタベルを見据えた。


 その顔は、何かを決めた人間の顔だった。


「さっきは……その、失礼があったかもしれませんけど……」

「いや、別に怒ってはいない」

 タベルは首を軽く振った。
表情にとくに怒気はない。むしろ、最初からずっと平坦なままだった。


「ただ、あれは料理として“おいしくなかった”。それだけだ」


 静かに、落ちる声。

 言葉自体は冷たくも聞こえたが、どこか、真ん中の芯を突くような響きがあった。

 タベルの態度に女性は少し動揺したような目の揺らぎを見せる。

 唇を軽く噛みしめたあと、何かを決心したように、ようやく声を出した。


「……あの子、ラヴィオって言います。注文を聞いた、あの……」

「細い目の青年ネ。うっすらクマついてたアル」


 アルネがぽつりと口を挟んだ。

 女性は少しだけ笑ったような顔になって、頷いた。


「……彼、母親とずっと店やってたんです。味の決め手も、看板メニューも、ぜんぶお母さんのレシピで」

「お母さんと?」


 タベルの記憶が正しければそのような人物は店内には見当たらなかった。

 何か用事で出かけているのか、それとも――


 タベルは無言で、続きを促した。


「数ヶ月前に……彼のお母さん、亡くなったんです」

 風が小さく吹き抜ける。
通りの隅で旗がはためく音が、遠く聞こえた。


「それから、彼ひとりで母と同じ味を再現しようと頑張ってて……でも……」

「本人も気づいてる、アルか?」

 アルネが静かに問う。

 彼女は静かに頷いた。


「本人も気づいてます。全く同じ味を作るのは無理だって。でも、それを認めるのが怖いんだと思います」


 彼女は視線をタベルから外し、足元の石畳を見た。


「私たち常連も、正直同じ気持ちです。でも、それでも……席が空いてると、なんか、行ってしまうんです。あの子の背中、ずっと見てきたから」

 最後の言葉は、思い出すような、投げるような口調だった。


「そうか……それはちょっと、悪いことを――」

「……ちがうんです」

 彼女の声が、タベルの言葉にそっと割り込んだ。強くはなかったが、しっかりとした意志が宿っていた。


「あなたがはっきり言ってくれて、よかったかもしれません……」


 その目には、曇りの奥にわずかな光が差していた。

 しばしの沈黙。
街路の隅で誰かが落とした果実が転がり、石畳をカツンと鳴らす音が微かに響いた。


「……私たちも、結局彼と同じ気持ちだったと、今日、気づきました」

 彼女は言った。自嘲のような、でもどこかすっきりした声音で。

 アルネは黙って聞いていたが、ふと小さく息をついた。

 そして、ちらりとタベルの方へ視線を向ける。

 その横顔には、特に表情の変化はない。だが、アルネには分かっていた。

 ──タベルの中で、何かが静かに、確かに、動き始めていることを。


 ◇◇◇


 ──天界。


「はぁ……また勇者業サボって、好き勝手やってるわね、あの子は」

 ニリエルはため息混じりに言いながら、天界SNS『ヘイロー』のライブ画面を指先でスクロールした。

 画面に映るのは、街の食堂から出てきたタベル。気だるげな表情で通りを歩き、まるで勇者の威厳も責任感も感じさせない。ただ気ままにうろつく野良犬。


「勇者っていうのはね……普通、魔王退治とか、精霊との契約とか、そういうテンプレを踏んでくれるものなのよ」


 淡く光る水晶天井にぼやくように言いながら、視線は画面から離れなかった。タベルが誰かに何かを言い、誰かの心を少しだけ動かしている場面。その映像が、なぜか目を引く。


「……今回の勇者、ほんとにマイペースで……扱いづらいにも程があるんだけど」


 声の調子は呆れ半分、だが、その奥には――ほんの少し、興味のようなものがにじんでいた。
いつもならすぐに叱責を飛ばしにいくはずだった。

 けれど今回は、なぜかその手が止まっている。

 自分でも驚きだった。


「……まあ、『ヘイロー』の反応はいいし……今回はちょっとくらい、様子を見てあげてもいいかしらね」


 つぶやきは、誰にも届かない空気に溶けた。
ニリエルは小さく肩をすくめると、ふっと表情をゆるめた。
それは呆れと同時に、どこか放っておけない者を見つめる人の顔だった。

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