小さな癒し手

小さな癒し手 (1)

　わたしには昔、お兄ちゃんがいた。

　どうしてそんな言いかたをするのかというと、お兄ちゃんはこの村を出ていったきり、ずっと帰ってこないからだ。

　出かけるときはいつだってうしろをついて回って、勉強を教えてもらったりもした。わたしより四つ年上のお兄ちゃんは「しょうがないな」なんて顔をしながら、それでもよくわたしと遊んでくれた。

　ある日、お兄ちゃんは「魔術師になりたい」と言いだした。

　お父さんとお母さんは危ないからって反対したけど、お兄ちゃんはどうしてもと言って聞かなかった。

　そしてお兄ちゃんは、魔法使いのおじいさんといっしょに村を出ていってしまった。悲しくて、離れたくなくて。わたしはお兄ちゃんを困らせてしまうくらい、たくさん、たくさん泣いた。

　あれから三年がたって、わたしは九才になった。だけど、お兄ちゃんはまだ村に帰ってきていない。

　わたしの名前はエルナ・メイラー。お兄ちゃん――ロット・メイラーの妹だ。

　　◆

「ごめんくださーい！」

「はーい。ねえ、エルナ。手が離せないから、代わりに出てくれる？」

「うん、わかった」

　庭の薬草畑で作業をしているお母さんに頼まれて、玄関へ歩いていく。お母さんは村の薬師で、わたしはよくこうしてお手伝いをしている。

　ドアを開けると、そこには栗色をした髪の毛をうしろで束ねた女の人が立っていた。

「ようこそ、フィアお姉ちゃん。今日は何のご用ですか？」

「エルナちゃんはいつも礼儀正しいね。えらい、えらいぞー」

「わ、わぷっ！？　お、お姉ちゃん……。わたし、もうそんなに子どもじゃないですから、やめてください」

「えー、そんなことないよー？　それに、こんなにも可愛いんだから。いっそ、このままお持ち帰りしちゃいたいくらい」

「も、もうっ。からかわないでくださいっ」

　わたしを抱きしめ、頬ずりをしてくるのはフィアお姉ちゃん。この村の宿屋、“湖畔の水鳥亭”の一人娘で、お母さんの薬の常連さんだ。

　お姉ちゃんのことはわたしも大好きだけど、こうやって会うたび抱きつかれるのだけはちょっと恥ずかしい。

　お兄ちゃんがいなくなってしまったあと、お姉ちゃんは落ちこんでいるわたしにとてもよくしてくれた。どんなにいそがしいときでも会いにきてくれるお姉ちゃんは、わたしにとってまるで本当に、もう一人のお姉ちゃんみたいな人だ。

「こらこら、うちの子を持ってこうとするんじゃないの」

「あはは。ごめんなさい、アニスさん」

「まったく、もう。ほらこれ、いつもの薬ね」

「ありがとうございます」

　畑からもどってきたお母さんが、お姉ちゃんに包みを渡す。

　どう見たって元気いっぱいのお姉ちゃんが、うちの薬を買いに来るのは理由があった。

　普段はお店の看板娘をしてるお姉ちゃんには、もう一つの顔がある。それは、この村のみんなの用心棒。

　人里に迷いこんできた魔獣を退治したり、遠くまで仕入れに出かける商人さんを町まで送っていったりする大事なお仕事だ。

　お母さんの薬は、そんなお姉ちゃんがケガをしてしまったときのための傷薬だった。

　とはいっても、お姉ちゃんは傷薬なんてなくたって大丈夫なくらい、ものすごく強い。前までこの村に住んでいた、レイリという女の人から剣術を教わっていて、見張り役のアルフさんは「俺じゃもう、逆立ちしたって敵いやしないよ」と言ってるくらいだ。

　ちなみに、レイリさんは二年くらい前にふらっとどこかへ出ていったきりだ。わたしは小さくてあまり覚えていないけれど、なんだかとても怖い人だったように覚えている。

「そうそう、エルナ。あなたにお願いがあるの」

「なに、お母さん」

「このお薬を、雑貨屋のトム爺さんまで届けてきてくれない？」

「うん、いいよ」

　お母さんから頼まれたお使いを引きうけると、お姉ちゃんが横から手をあげた。

「そういうことなら、わたしもついていくよ」

「あら。いいの、フィアちゃん？」

「今日はこの後、特に予定もないですから。それに、エルナちゃんとはもっとおしゃべりしたいですし」

「じゃあ、お願いしてもいいかしら？」

「はい、任せてください！」

　どんと胸をたたいてみせるお姉ちゃんと、薬の入った袋を持って家を出る。

「それじゃ、行こっか」

「うん」

　あたたかくて、少しごつごつしてるお姉ちゃんの手をにぎりながら、二人で並んで道を歩いた。たまにすれちがう人たちは、お姉ちゃんの顔を見るとみんなにこやかにあいさつしてくる。

「こんにちは。二人は本当に仲がいいね」

「はいっ。エルナちゃんは、わたしにとって可愛い妹みたいなものですから！」

「ううっ。お外で抱っこは、さすがに恥ずかしいよ……」

　フィアお姉ちゃんは村の人気者だ。大人の人たちから頼りにされていて、いつも笑顔で明るくて、わたしにもやさしくて。

　そんなお姉ちゃんのことが、わたしも大好きで……だけど、その背中はとても遠くて、そしてまぶしい。

　少し前に、わたしはフィアお姉ちゃんから一通の手紙を見せてもらった。

　それはお兄ちゃんが村を出た最初の年に送られてきたもので、今でも読み返すと勇気がもらえるんだそうだ。

　お父さんやお母さん、わたしには送ってこなかったくせに……。

　次の年からはちゃんと送ってきてくれたけど、それに少しだけ腹がたった。

　お姉ちゃんが読みあげてくれた手紙の中には、お兄ちゃんが村を出てから、どんな風に過ごしていたか、どんなことを思っていたかが書かれていた。

　手紙を読んでるときのお姉ちゃんは、本当にうれしそうで……いつもと少しちがった、とてもやさしい顔をしていた。

　村を出ると言いだしたお兄ちゃんは、その理由を絶対に教えてはくれなかったけれど、今ならなんとなくわかる。

　お兄ちゃんは、きっとフィアお姉ちゃんのために魔術を勉強したくて……それは多分、お姉ちゃんが剣士になったのと同じ理由なんだと思う。

「……すごいね、フィアお姉ちゃんは」

「うん？　いきなりどうしたの？」

「だって、お姉ちゃんは村の人たちから頼りにされていて、いつも元気で、明るくて……わたしじゃとても、そんな風にはなれないなって」

「エルナちゃん……」

　しゅんとしたわたしの頭を、フィアお姉ちゃんはやさしくなでてくれた。

「エルナちゃんはちゃんとがんばってるよ。お母さんのお手伝いも、お掃除や水汲みも。それだけで、十分にすごいんだよ？」

「本当に、そうなのかな……」

　お兄ちゃんは十才で魔術師を目指して、この村を出ていった。

　お姉ちゃんは十一才のときから、剣をにぎりはじめた。

　二人ともお互いを思いながら、目指すもののために自分の道を進んでいる。

　それはとても素敵で、誰にも負けないくらいにまぶしくて、きらきらしてて。

　わたしは今年で九才になる。

　お兄ちゃんやお姉ちゃんが歩きだした年まで、あと少し。

　でも、わたしにはまだ何もない。

　そんな風にきらきらしたもの、とても見つけられそうにないと思った。