第28話 おなじ

「おれをミろ」

「だ、誰ッスか!?」


 市川は振り返った。

 雨の降りしきる屋上。

 視線の先には、コウモリの様な黒い翼を生やした男が宙に浮かんでいた。


「オれヲみろ」


 それしか喋らない男の頬には、血の涙が流れた跡がある。

 服はボロボロに破れていて半裸だが、それでも制服ではない、派手な柄シャツのようなものを着ていたことが伺える。


「空を飛べるヤツなんていたんスね……」


 槍は壷内を担ぐ際に手放してしまったので、数メートル先の床で雨ざらしになっている。

 市川は何も考えず走り出した。


 2秒で届く距離。

 だが彼女がそれを拾い上げるよりも早く、目の前の床に何かが勢いよく飛んできた。


「うわ、ッス!」


 足を滑らせて転んだおかげで、間一髪かわす事が出来た。


「トゲ……?」


 ボールペンサイズの黒いトゲが、床に数センチ突き刺さっている。

 人体に命中すれば深手は免れないだろう。


「おれをミろ」


 市川はハッとしてバケモノの方を見た。

 彼女が目を反らした瞬間に、ヤツはトゲを撃ってきたのだ。

 ならば。


(やっぱり、目を反らさなきゃ撃ってこないッス……!)


 市川は宙に浮かぶ男を凝視した。


「そ、そんなに見て欲しいんスか? 承認欲求……じゃなくて、何ていうんスかね? 自己顕示欲?」


 バケモノは翼を波打たせながらてゆっくり屋上に着地すると、その場に立ってただ市川をじっと見つめた。

 市川もその顔を見返しながら、じりじりと横歩きで槍へ近寄る。


 彼女はバケモノから目を反らさずに屈むと、槍を拾い上げた。

 そのまま槍を構え、滑らない様に注意して後ずさる。

 これからどうしようか考えていた時、バケモノはふっと首を回し、市川から目を反らした。


「おれヲみロ」


 今、バケモノの視線の先にいるのは、昇降口の屋根の下で倒れている壷内だった。


「オれをみろ……おレをみろォぉ!」

「壷内!?」


 意識を失っている人間に、モノを見る事は不可能だ。

 さっきまで穏やかだったバケモノの顔色がみるみるうちに変わる。

 おぞましい憎悪の表情を浮かべるや否や、その口から弾丸のような勢いでトゲが飛び出した。


 市川は、咄嗟に壷内の前に滑り込む。


「うっ……」


 トゲは彼女の左太ももに突き立った。

 傷は深い。

 すぐにドクドクと血が流れ出した。


「おレをみろぉ……!」


 バケモノは怒りを露わに近付いてくる。


 市川は焦っていた。

 いち早くこの場を対処して、壷内を五階の安全圏まで運び、四階の旗野たちを助けに行かねばならないのだ。


「おれをみロ」

「……うるさいッス」

「オれをみろ」

「今それどころじゃないんスよ!」


 負傷していない右足で床を蹴って、槍を繰り出す。

 バケモノはそれをひらりとかわすと、空中に浮きあがりながらトゲを撃ってきた。

 市川はそれを槍で弾いた。

 が、血に塗れた左腿が悲鳴を上げ、濡れた床の上にガクンと膝をついた。


「痛いッス……」


 市川は油断なく槍を構え、一瞬たりともバケモノから目を離さない。

 しかしその大きな両目には、涙がせり上がってきていた。


「助けて……助けて旗野部長……お兄ちゃん……」


***


 同じ頃。


 青い稲光の明滅するパソコン室では、盾長剣を構えた旗野が、倒れた芥と夜島を庇うようにして立っていた。

 その正面には、血の涙を流す芥を見て笑う長峯。

 吸盤男の舌が刺さって出来た長峯の傷は、もうとっくに完治していた。


「……」


 旗野は動き出すタイミングを伺っていた。

 長剣と盾の持ち手には、絶縁性の高いビニールテープがぐるぐる巻きにされている。

 これは滑り止めの意味もあるが、「電撃を使うバケモノがいる」という壷内の証言により、一応感電対策として巻いておいたものだった。


(このまま突っ込んでも感電は防げる……しかしどうしたものか)


 目を細めて黙りこくっている旗野に対し、長峯が口を開いた。


「どうしテ?」

「……は?」

「どウして、たたかおうとすル?」


 旗野はハッとした。

 今の長峯からは、攻撃しようという意志は感じられない。

 ただ腕をだらりと下げ、棒立ちで芥を見守っているだけだ。


「……こちらも、出来れば戦いたくはないんだが」


 恐る恐る言った旗野に対し、長峯は即答した。


「おなジだ」

「じゃあ通してくれるか?」


 その問いに、長峯はニタァと歪んだ笑みを浮かべると、右腕の電極を持ち上げながら答えた。


「ソそそいつぅ、おいてけ」


 彼が指し示しているのは、やはり芥であった。


「無理よ」


 そう言ったのは夜島。


「アクヤを置いてはいけない」

「そいつは、ぼくとおなジになるんダ」


 その言葉を聞いた夜島は、わずかに顔をしかめて言った。


「同じ人なんて、いない。誰かと一緒にいたって、他人は他人でしかない」

「とモだち」

「友達だからって同じ気持ちじゃなきゃいけないなんて、馬鹿げてる」


 旗野はもう「刺激するな」とは言わなかった。

 いちかばちか夜島に全てを任せ、ただ盾を構えて防御に集中していた。

 彼女は畳みかける様に言葉を紡ぐ。


「それに、アクヤはあなたとは違う。誘いには乗らない」

「……いや、そそそイつはぼクとおなジだ」

「違う。アクヤはそんなの、欲しがらない」


 長峯は少しイラ立った表情を浮かべている。

 夜島は言った。


「そんなに自信があるなら、待ってくれる? アクヤが目を覚ますまで」

「……いいだろゥ」

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